__Walk_in_the_moonshine,_and_drink_like_a_jellyfish.__

[04.10.31] 

〜海月の放流〜 069

誤報、デマゴギー、二転三転する“事実”。
何がほんとなのか?
ある一定の報道を大量に集中投下することで
視聴者(消費者)の「飽き」を誘い、
考えることを放棄させる情報撹乱洗脳操作制御。
報道の順位と順番。
美談悲話に隠された他の情報。
何故そのタイミングでその報道が表に出てきたのか?
すべて出来レース?
明らかな嘘をつくことでその反対が真実だと思わせる簡単なトリック。
考えることを止めた疑問を持たない人間をコントロールするのは容易い。

現代社会のコワイモノは
「地震 台風 テロ 報道」

●『年に一度あるかないか』

現在、互いにメールを使える状況にあっても。
かつての郵便のやり取りの頃と変わらずに
何か特別なイベント事があるわけでもなく唐突に
なんとも深く濃いキーワードが散りばめられた文面の通信が、届く。
しかもそれは一年に一度あるかないかの頻度。

受け取ったこちらは。
ある意味、一年分の思考体験や生活経験を総動員集大成して
返信を考える。練って練ってこねまくるのだけれど、
結局は走り書きのように思いつくままだらりら長々と書いてしまう。

この往復書簡のやりとり以外にはその間、
お互いの動向などまったく無頓着という放っぱらかしよう。
しかし。不思議なことに、
手紙なりメールが来たそのタイミングに
ちょうど僕も同じようなこと考えてたっていうシンクロニシティが
起こるもんだから、んもううれしくてたまらない。

そんな遠くて近い魂の友は片手に余るほどしか居ない。
がその数少ないうちの1人、かっちゃんから先週メールが届いた。
一年ぶりのメールで、タイトルが
『「時間が自分のからだの一部」という話』
というのだからシビレるぅ。このヒトのセンスはほんとに好きだ。

1週間考えを寝かしてからメールを返信した。

で。こうしてメールを送ったとしても。
別にそのさらに返信を期待してるわけでもない。
お互いに、いま自分はこんなことを思いついたよと投げっ放し。

互いの文面に近況報告はない。
むしろ、何をしているかよりも、
何を考えているかの方が僕も断然近況報告になってると思う。

そろそろ年賀状のシーズンだろうが、
僕はたぶん書かないし書かなければ誰からも来ない。
かつて家族持ちの友人知人から写真ハガキをもらってた時期もあったが。
こどもしか写ってなくて
当の友人知人の様子は一向にわからなかった。
お前も一緒に写れよ!
といつもハガキに突っ込みいれる始末。うひひ。

ところで。
かっちゃんとは実はまだ一度しか会ったことはない。
にも関わらず、既にこの奇妙なやりとりはもう10年近く続いてることになる。


●『おととい来やがれ? -時間とは何か?-』

最近漠然と。
空間が震えてる状態と時間とは密接な繋がりがあるんじゃなかろうか?
というイメージがあります。
そのイメージに繋がる何か体験だとか実感があるわけでもないんですがね。
空間が震えるとはどういうことか?
大雑把な(厳密ではない)イメージでは地震を想像してみる。
上下に振動してるとする。
ドンと上に突き上げられた“後”、下に落ちる。それを繰り返す。
上の次が下。“後”とか“次”ってのはまさに時そのもの。
時の概念がないと次が出てこない。
次が出てこないと上下しないわけだ。運動できないわけだ。静止状態だ。
静止状態とはもしかしたら「空(くう)」の状態かもしれない。
空(くう)に時(とき)が出遭うことで運動を記述できるわけだ。

しかし。静止状態は運動してないのか?
動かずに居るための均衡を保つという運動、を内部で
すさまじい振動を伴って行なってるとは考えられないだろうか?
人間が静止するのはなかなかに困難だが、
何故困難かと言うと内部の振動を抑えることができないからではないか?
その点、道端の石ころはなんとも忍耐強い。

さて。静止状態でも運動しているとすると空なるものに時が出遭っている状態。
つまり時空が一つになる。
こうして運動の観点からすると時空を分化することができない。

もし宇宙の始まりが完全なる静止=運動してない状態であるならむしろ
時空を分けて考えられたかもしれないが、
最初こそがすべて一つであったとするならば
もう最初っから現在まで、時空は分けて考えられないことになる。

あ、ちょっと自分の中でも用語の混乱がありますのでここで、僕の見解を整理。
空間:獏とした空(くう)なるひろがり(スクリーン、舞台?)
時間:?
物質:振動の時空間における投影(スクリーンに映写された感じ?)
(物質=空間ではないと思う)

さて、時間とは何か?この問いに対する見解がちっともまとまりません。
アインシュタインは時間tを光速度cを用いて数式化してますが
僕はこれにはあまりピンと来ません。
物理学でも哲学でも認知心理学でもさまざまな時間の定義があるのですが、
統一的なものもない現状。
時間とは“概念”でしかないのかもしれない。
たとえば数字の「1」のように。
「1」というモノが物質や現象として実在していないのと同じようなもの。
その意味で現象世界寄りではなく意識世界寄りかもしれない。

さっき、空に時が出遭うという言い方をしたけど、
時とはその瞬間の現在を指す。
時と時の間としての時間。
時間は流れとして認識されているが、連続である必要を僕はあまり感じない。
時間の流れは不可逆に過去から未来に向かう、
とすることこそ概念の定義でしかなく、
時間の本質を指しているわけではない、と思う。

もともと概念でしかないとするならば
その本質ってのがなんなんのかっていう問い自体が間違ってる気もする。
たとえば、感謝という感情とか平和という概念の本質って何?と問われると
答えに窮する。
言葉を連ねれば連ねるほど概念の定義の繰り返しになり
辞書で単語を調べてたら「△△のこと」と書いてあるので
△△を調べたら「○○のこと」って書いてあって
また○○を調べたら「△△のこと」って書いてあるような堂堂巡りになりそう。

まぁちょっとわからないなりに時間とは何か?を思いつくまま書いておくと。
時間とは
・いまこの瞬間にある形や状態でなければならないということを決定させる
 発火スイッチ
・現象(物質)の状態(運動)を記述・記憶・記録するための
 リファレンス表

また一方で
宇宙は分化拡散することで多様化と自己の再構築化を目指してると思う。
これは、僕の直感としては
生物の成長過程と同じく細胞分裂を繰り返しニューロンの触手を
伸ばし伝達物質を飛ばして最終的に一つの宇宙脳を完成させるのだと思う。
生物の進化、歴史、経験などの時間の経過と現象事象は
宇宙脳において「記憶」として記録される。
記憶は学習でもあり何かをするため、と同時に
何かをしないための判断材料やタイミングとなる。

「時間」が自分のからだの一部でもある、
と考えたり、宇宙脳を想定したりした場合に
この定義ならちょっと使えそうじゃないですかね?そうでもない??

(うーむ。舌足らずでじれったいなぁ。おととい来やがれ>自分)

+
「地震」を運動の引き合いに出しているが、
この文を書いたのは10/17。中越地震10/23の一週間前だった。
ナニカの予兆でもあったのだろうか?
ちなみにこの地震はたまたま山梨・甲府の友人宅で体験した。
現住所よりも震源に近くかなり激しかった。


●『Paint It Black -時間と触媒-』

「黒くぬれ:○」 → 「黒くぬれ:●」
とまぁこういう左側の要請があったとするよ。
これは一種の情報だよね。
で、結果として黒く塗りつぶされた状態ができたとする。
するとここには●の性質が付加あるいは変更されたことになる。

「時間とは何か?」の話をまだ引っ張る。

時間を情報と考えてみる。
一方、○や●はある性質特性属性をもった物質の状態だ。
時間は物質に働きかける。Paint It Black!
それを受けてウラで何某かが暗躍して○は●に変わる。

さて。ここで情報としての時間には●などという属性はない。
ここには「●」にせよと書いてあるわけじゃない。
たとえばhtmlで安直に記述するなら
<font color="#000000"></font>を使ったりすればいい。
ついでに言えば具体的に●にする作業をしてるわけでもない。
にもかかわらず物質は変化してしまった。
そして情報=時間=黒くぬれ、にはなんら変化はない。

触媒みたいなもんかな、時間って。


●『とかげのおかげ』

台風23号=TOKAGE上陸。
で。仕事急きょ休み。
仕事先から連絡が入ってしばらく後。
すでに雨は弱まり台風は関東抜けそうなんですけど。

夜、部屋でゆっくりのんびりするのは久しぶり。
読みたい本も山積みだしやりたいこともいくつもある。
今日は3時間しか寝てなかったからたっぷり寝なおしてもいい。
だが。
仕事がなければその分の収入もないわけで。
「職にありつけなければ食にありつけず」なわけで。


●『国会中継』

台風の最中。
仕事も休みになったので何から手をつけようか?と思ってたが。
気がつくとネット三昧。
衆議院予算委員会の中継(10月19日分)を見ることで7時間も費やしてしまった。
_| ̄|○
http://www.shugiintv.go.jp/top.cfm

まぁでも。くだらないヴァラエティー番組見てるよりよっぽど面白かった。
(そもそもテレビジョンセットを所有していないので見られないのだが)
それにしても。
質問の仕方が下手だったり
応えになってなかったり
んもうじれったいこと多々あり。
おいおい。しっかりしておくれよぉ。
と、ひとり突っ込みいれる夜。


●『目に見えぬ緑』

地球規模での森林伐採。
森の減少による生態系の変化。
それらを憂えるのはわかる。
しかし。
地球にある緑は陸上で目に見える木々ばかりではない。
この地球上で最も表面積を占めているのは
「海」
であることも思い出して欲しい。
そこには海草と一括りにされる海の草原や森林もあるのだ。
地球で酸素を初めて放出したのも、
いま現在最も多く供給しているのも、
陸の森林ではなく、海の草原である、
という話もある。

僕らは目に見えるものばかりにとらわれてやしないか?


●『僕らは走る馬の背の上に暮らしている』

火山が噴火し、台風の激しい風雨がたたきつけ、
大きな地震が立て続けに起きている。
甚大な被害も拡大している。
気象、環境の激変。猛威。畏怖。
僕ら人間にとって都合のいいことばかりじゃない。

けれども。
僕らを振り落とさんばかりの気性の激しさ、荒々しさとは
地球の体温なんじゃなかろうか。
地球と人間との体温差が大きい時には
自然を脅威と感じる。
お互いの体温を伝え合い、その差が小さい時には
自然のやさしさに包まれる。
生けるもの同士の鼓動と体温の交感。

僕らは走る馬の背の上に暮らしている。


・・・(つづく)[04.10.31]...Qurax2海月(=)彡
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