__Walk_in_the_moonshine,_and_drink_like_a_jellyfish.__

[04.11.17] 

〜海月の放流〜 070

気がつけば11月も半ば。
寒いわけだよ。

一年を振り返るような季節も近付く。
相変わらず僕には
あっという間の一年、とか
時が早く過ぎるように感じたりはしない。
時間感覚がズレてるのかなぁ。

ところで。
時間ってやつは「流れる」って感覚で表現することが適切なんだろか?
時間に関してはずっと想うところがあるんだけど。
なかなかうまく消化し表現できてない。

たとえば。五十音表が「あ」からはじまる。
いうえ・・・とつづく。
かさたな・・・とつながる。
しかし。
あといの間に連続性は必要ないし
あとかの間に必然性はない。

それでもナニカが繋がっている気がする。
時間もこういうことなんだと、僕は漠然と想っている。


●『許容できなくなってる社会』
かつてはもっとヘンなヒトがいっぱい居て。
このヒト一体何やって喰ってんだろうなぁ。
っていうヒトがそこらにいたもんだ。
それでも地域社会は許容できていたし
彼らが動き働くハレの機会もあった。

いまやそういう彼らは態のいい囲い込み、隔離によって
目に見えないところで排除されてしまっている。

失敗や挫折や主流から外れることを寛容に許容できなくなっている社会。
ギスギスして世知辛い。

声の大きいものがほんとに正しいのか?
多数であることがほんとに正しいのか?


●『51%』
民主主義的投票システムによる多数決の原理。
を突き詰めてみるの巻。

とにかく51%確保すれば勝ちなんだよね。
となると、その「51%の中の人」の51%を説き伏せれば
新たな過半数票が狙えるんじゃないの?
とすると
「「51%の中の人」の51%の中の人」の51%を説き伏せればよくて、さらに
「・・・「「「「「「51%の中の人」の51%の中の人」の51%の中の人」の51%
の中の人」の51%の中の人」の51%の中の人」・・・」の51%。

最終的には1人そそのかしたぶらかせばいいってこと?
逆に言えば。
独善者がいつでも勝てるシステムだったわけだね、現代民主主義。


●『出来レースと茶番劇』
選挙と闘争、決定と断行のメカニズム。
みんな最初から決まってたこと。
たとえそれがどんなに理不尽で不条理であったとしても。

世界がイリュージョンであるのならば
投影されている映像としての現実社会現象は
出来レースと茶番劇であっても当然。

僕にできることは。
レースやドラマのストーリーを変えることではなく、
それを見るか見ないかの選択と、
どう見るかどう見えるかの伝達、しかない。

なお、僕は運命論者でもある。


●『プラス思考の厭世家、ペシミスティックな楽天家』
すべてなにもかもすでに決まっていることだとしたら。
もはやすべてなにもかも変えることもできないとしたら。
僕は何を知る必要があるのか。
僕は何をする必要があるのか。
仮に何かを知り得て何かを為し得たとして。
それが果たして何だというのだ。

すべての本を読むことはできない。
すべての土地を訪れることはできない。
すべての人と出会うことはできない。
すべてを経験することはできない。
すべてを知ることはできない。

厭世的な気分になってしまう。

かと言って。
決して投げやりなわけではない。
やみくもに手当たり次第に手繰り寄せ
いつまでもじたばたともがきうろたえようとも
彷徨うのだ。

僕を救い続けたのは神や仏の「概念」ではなく
いつだって内なる声「迷ったら前へ!」だった。

何かを求めてではない。自分探しなどでもない。
動き回る宿命に忠実なだけだ。
(物理的空間的に動くことだけに限定はしない。
思考を廻し舞わすことも動き回ることである。)
つまりこれが僕に予め定められたプログラムというわけだ。
できないわけがない。
これをプログラムした世界(宇宙)は、
僕ができるように世界(宇宙)を用意しているのだから。

僕はただ知りたいのだ。
到達を目標、目的とするのではなく
知り続けたいのだ。

その知的好奇心によって僕は生かされている。
そして最期はその好奇心によって僕の生は全うされ締めくくられるのだろう。

Curiosity killed the cat.
The curiosity is killing me.

いつ終わってもおかしくない危うさ脆さ。
けれどその一方では。
終わりはない。とも言える。

僕はそういう種の末裔であり
まだ仲間は残っていることを楽観的に信じている。


●『回転する世界』
高速回転する
プロペラ スクリュー 車輪
ふ と止まって見える
ゆっくり と逆回転するように見える

止まっているモノも
ぢつは 高速運動しているかも知れない


●『あるがままは見えぬ』
たとえ目に映っていようとも。
必ずしも見えているわけではない。
ある、と認識できるわけではない。
脳が見たいものしか見せてはもらえない。

たとえ目に映らなくとも。
必ずしも見えないわけではない。
ない、と認識できるわけではない。
脳が見たいものなら勝手に見せてもらえる。

僕が何を見ているのかは他のヒト(の脳)にはわからない。
ここにナニカがあったとして。
僕らはそれについて別の視点を持たざるを得ない。

同床異夢。

嗚呼じれったい。
全体ヒトにはどう映っているのだろうか。
ジレンマと興味。
それらへの好奇心が、伝え合うことを切望させるのだった。

僕らは巨大なゾウに群がる極微のアリのようなもの。
あるがままのゾウを見るには。
時に目を閉じて
連想連鎖ネットワークの想像力と編集能力を駆使せねばなるまい。


・・・(つづく)[04.11.17]...Qurax2海月(=)彡
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