__Walk_in_the_moonshine,_and_drink_like_a_jellyfish.__

[04.12.01] 

〜海月の放流〜 071

何がキッカケなのか?
それはいつもその時にはわからない・・・。
つい先日。ひょんなとこからお誘いを受け
言葉の旅に出ることになった。

参加表明はしてみたものの選考委員による「審査」過程は
まさに旅に出る時の緊張感そのものだった。
それでもなんとか全員の「承認」を得て旅立ちと相成った。
Contemporary Unithttp://c-u.jp/
冒頭に曰く。
「自らの手で時代を撃て」


●『枠 - frame -』
あの人はこういう人だ。これはこういうものだ。それはこうあるべきだ。
などという自分内基準や固定観念などの「枠」はできれば取り除きたい
とも考える。

そういう枠や境界というものにとても敏感に反応し興味を持つ僕が居る。
いつも比喩として思い浮かぶのは。
「柵のない屋上で思いっきり飛び跳ねて遊ぶことはできない」
というもの。
自由とは、こういう制限付きのものであるといつも思う。

ところで。
人間として。生物として。物質として。
今ここに在る限り。形あるものとして存在している限り。
その形こそが「枠」。
カラダという枠を超える意識や想念はあるだろうけれど。
カラダ=枠を超えてしまうともはや人間ではなくなっている。

人間ではないというのはネガティブな意味合いではなく
その枠を超えたときにこそ、風や空と同質になり、
木火土金水と語れるようになるかもしれぬ。
(同質、同一になってしまえばもう何も語る必要などないけれど)

自分の中に枠がある。と言う場合。
概念としての枠が内部にあるのではなく。
「自分」という概念自体が暗黙に
「自分と他者」という線引きをしていることに気付く。
これこそが「枠」である。

出来ればすべての境界をあいまいにぼやかして
自分という枠をなくしてしまいたい。
(これもエゴなのだろうか?)


●『ヤンキー・ホテル・フォックストロット - YHF -』
YANKEE HOTEL FOXTROT/MESSAGE/GROUP 1 3/TEXT/
http://www.btinternet.com/~simon.mason/yhf.mp3

世の中にはあまり深入りしないほうがいい世界もあるのだろう・・・。
でも。
たとえば上記の音源(23秒)を延々とリピートしてると
なんだか妙な心地よさを感じてしまう。
片足突っ込んでしまったか?

もともとミニマルMinimalって好きなんだよね。


●『11月の花火』
相模原市制50周年記念の祭りが11/20に行われた。
相模原市で暮らし始めてもう1年以上になる。
とは言え。
あくまでも友人の家に転がり込んでの居候生活。
未だに転居転入届も出さず、したがって相模原市民ではないのだが。

今日は天気もよかったので。
夜勤明けにいつものように日中寝ている、ってのもなんだかもったいなくて。
小一時間仮眠を取った後、自転車で街に繰り出した。
すると。
ちょうど祭りの開会式に遭遇。
自転車を適当なところに駐めて。
しばし祭りのにぎわい、上気し浮き足立つ人、出し物、露店の波を歩く。

食料の買い出しを済ませ部屋に戻り軽く一杯引っ掛けてると。
外でなにやら大きな音がする。
ドーン。バーン。
すぐ近く。
サンダル突っかけ外に出ると。
花火。
ああ。
11月の花火かぁ。
ちょっとした違和感。それでも口あけて見上げる。ああ。

振り返り仰ぎ見ると上弦の月。
もう冬も近い。


●『ふつうな週末と夕焼けと月と』
予定のない週末。
秋晴れに誘われ当てもなく街を彷徨う。
予期せず祭りに出遭ったりしてイベントチックなこともあったが。
基本的には凡庸さに沈殿するような週末。

洗濯して。メシつくって喰って。
昼だろうが夜だろうが酒をちびちび。
ネットに繋がったりメールの送受信したり。
読みかけの本を読み終えたり。
腹が減れば喰らい。
眠くなれば90分単位で寝る。
(この週末の二日間に一体何度寝たり起きたりしたことだろう)

必要なものがあったのでちょっと足を伸ばして買い物。
なんでこんなに人がいるのだろう?
あぁそうか週末だもんな。
(いつもなら買い物は平日の昼間にしてるからね)

人酔いしてふらふらとホームタウンに戻る。
まだ陽は残っている。
ちょうど夕焼け。そして月。
まっすぐ部屋に帰らず公園に寄り道。
缶ビール1本分の月見と洒落込む。
わるくないね。

特別なことは何もない。
それもまた仕合わせな一日。
乾杯。


●『また寝てまた起きて』
また何度も。
寝るたびに違う夢を見て。
細切れの睡眠ながら。とても充足した眠り。
寝る旅。

起きるたびに違う時間帯で。
新たなナニカが待っている。舞っている。
僕はここではないどこかの誰かの朝を
一足先に味わっている。
起きる旅。

・・・
朝のリレー
という大好きな谷川俊太郎さんの詩がある。
それがTVCMや新聞広告に使われていたらしい。
TVや新聞のない生活をしているのでリアルタイムに観ていないのだが。
なんの連鎖でそこにたどりついたのか?
ネット上でそれを観ることができる。

とてもいい。
文字として読んでいた時にももちろんよかった。
さらに。ことばを声(朗読)で受け取った瞬間。
身震いしてしまった。鳥肌が立った。
あぁ。
なんと心地よいのだろう。

まるで美しく描かれた蝶が紙面から羽ばたき飛び立ってゆくように
ことばが立ち上がってくる。

映像や音楽もとても合っている。

みんなの朝が込められている。

・・・
現在、午前5時50分。
窓の外はにわかに白みだす。
日本の朝が、やってくる。
おはよう。


●『樹上の月見』
水際に生えるゆえか横に伸び水上に張り出す立派な桜の幹。
酔っぱらいのおぼつかぬ頭なれど足取りは妙に軽快に。
ストトンと木登り。
水面に映る月。枝葉に見え隠るる月。
ゆらゆらと。ひとり水上樹上にて月を観る。

一晩呑み通しで迎える夜と朝の狭間。
吉祥寺井の頭公園午前5時30分。


・・・(つづく)[04.12.01]...Qurax2海月(=)彡
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