__Walk_in_the_moonshine,_and_drink_like_a_jellyfish.__

[04.09.30] 

〜海月の放流〜 067


いまの仕事が夜23時から翌朝7時までなので
「中秋の名月」は出勤途中に眺めてた。
ここしばらく雨やくもりで月が見えるかどうか心配だったけど
雲の切れ間からおぼろ月が見え隠れしてた。
去年の中秋の名月は、旅の途中の北海道・阿寒湖で見上げてたんだなぁ
・・・と、いろんなことを思い出してたよ。



●『メリット』

某シャンプーの話ではなく。
(シャンプーと言えば、
おそらくここ10年はシャンプーなんて買ってないなぁ。
全身、ただの石鹸で用は足りてるもんね。
それ以前は“メリット”使ってたこともあったなぁ。
いや、そういう話ではなく。)

メリット、デメリットの話。

様々な選択肢の中で生活していれば、
それをチョイスする時はたいてい
メリット、デメリットを天秤にかけてる、のかもしれない。

仕事、であればそういう基準がとてもシビアに要求されることもあろう。

しかし。
損得勘定だけで生きる、ってのは
味気ないものだよなぁ。世知辛いものだよなぁ。

わしはヒトから見ると損をあえてとるような生き方を選んでしまってるけど。
道草喰ったり寄り道したり立ち止まったり
その瞬間瞬間に沸き起こる衝動や内なる声を聞きながら
生きてるのって結構愉快なもんなんだ。

楽しけりゃいい!っていう快楽主義ほどには
楽しいことばかりも選択してはいないんだけど。
結果的には愉快痛快な方向に向かう気質なのかもしれない。

デメリットの方が多いようなことでも
たった一つでもうれしいとかたのしいとか思えるなら
わしはそれでいいな。


●『夢の中の登場アイテム:Cuellarボックスとはなんだ?』

夢の中で盲目の人と探し物をしてる。
キュエラー・ボックス。
一体それが何なのか、知らないのだが。

夢から覚めてもそのアイテムの名前だけは覚えていたので
メモに走り書き。
それにしても、わからない。
だいたい、キュエラーってナニ語?
おそらく生まれて初めて聞いた言葉。

「キュエラー」をググってみたらヒットしたが、
人物名にあたるようだ。Cuellarと綴るらしい。
さらに「Cuellar」でも調べるとクエリャルとも読めるらしい。
この場合、人名の他に地名にもあるようだ。スペイン語?

それにしても、わからない。
キュエラーなんて人、知り合いにはいないし、
僕が知ってる限りの何かしらの作品中にもそんな名前聞き覚えはない。
キュエラー・・・
一体、なんの“お告げ”なんだろうか?
そして、盲目の人は一体誰だったのか?


●『雑魚寝』

慣用句として「川の字」になって寝るってぇのがある。
三人が並んで川の字の形で寝る様子というわけだが。
三人の「三の字」そのままでもいいんじゃないのか?(笑)

カワノジ。
試しに「河の字」とムリヤリ間違ってみる。
この場合はかなり窮屈っぽいが6人雑魚寝な感じだろうか?
(真中の口形の体勢はキツイね?)

ちなみに。
Kの字になって寝るのは一人でもできる。
っつうか横向きに寝てるときこうなってたりする。うひ。


●『フルベッキとゆかいな仲間たち』

まずはこちら↓をとくとご覧あれ。
『フルベッキ先生とゆかいな“佐賀藩の学生達”』
http://www.asyura2.com/0401/up1/source/1435.jpg

修学旅行だとしたらずいぶんと無愛想な顔ですねぇ。
慣れない写真に緊張してるんでしょうか?(笑)
ど真ん中に座ってらっしゃるのがフルベッキ先生ですね。

さて。
ここからが本題。こちら↓をご覧下さい。
http://www.asyura2.com/0406/idletalk10/msg/503.html
http://www3.ocn.ne.jp/~sigikain/meijisyasin.html

・・・
この写真の真偽の程はネット上でも様々な疑問議論がなされているようだが、
これが真実であるのかは結局、
当事者たち同様、闇の中に葬られてしまうのだろうな。
それでも、僕のわくわくは止まりませんよ!
この写真が嘘であったとしても「何だ嘘かよ」って吐き捨てるのは
映画を観に行って所詮フィクションだろと言い放つのと同じくらい
野暮なんじゃなかろうか?

フルベッキGuido Hermann Fridolin Verbeckについては
恥ずかしながらいままでまったく知らなかったけど。
これは調べる価値アリ!とみた。
長崎のグラバー園で有名なグラバーThomas Blake Gloverも要注目人物だ!


●『イッポンの歴史』

歴史は人が創る。誰かの都合のいいように創られる。
僕らは教えられる、○○時代はこうであった、と。
歴史はまるでイッポンの川の流れのように語られる。

歴史の授業はその川の源流らしきものから始められるので
近現代の付近になると、あとは自分でやっとけ、と時間切れになる。
僕が一番知りたかった明治、大正、昭和はいつも時間切れの中にあった。

僕はいつもギモンだった。
僕らが生きてる今、は将来どのような歴史として語られるのか?
“今日”のニュースを毎日見聞きしてても、
あまりにも雑多にいろんなことが起きている。
そのうちのどれが歴史としてピックアップされるのだろう?
何が重要な出来事として記録されるのだろう?

どうやったらこんなにさまざまなことが起こっている今を
イッポンの歴史にまとめることができるのだろうか?

そのギモンを出発点にすると。
過去の時代がイッポンの流れとして語られることにも
ギモンを持たざるを得なくなる。
もっといろんなことが起きていたはずじゃないか?
本流から枝分かれする支流、亜流、並行する別の流れ。
氾濫と蛇行を繰り返し川筋が変わり、取り残される三日月湖。
清流、濁流、急流、緩流。潮に押し流された逆流。

・・・
ほんとはどうなの?
僕が知りたいのはいつもそれなのだ。
“正しい”ことだけを知りたいわけでもない。
真実を追究、というほど大上段に構えたいわけでもない。
何が起こったのか、と同時に
どのようにしてそれが伝えられるか(あるいは隠されるか)、
そのタイミングと手法に興味がある。

誰かが、誰かの都合と情報操作と撹乱で歴史を編纂、工作し続けるのならば。
僕は、僕の歴史を編みなおす。


・・・(つづく)[04.09.30]立待月...Qurax2海月(=)彡
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