夢境

双子座の誕生日を明日に控えた今日、カノンは一人冥界を訪れていた。
当然聖域の許可などとらずに。

カノンにとってアイオロスが目覚めているサガと会えないというのは、
この上なく愉快なことだった。
どんなに渇望しようと、話すサガと会うことはできない。
青い瞳を見ることもできない。
アイオロスという人間を何より嫌っているカノンにとって、これほど優越感を感じさせるものはない。
しかしカノンは、眠りにつく条件としてアイオロスが選ばれていることが、気に入らなかった。

なぜ、自分ではないのか。
サガにとっての『罰』のきっかけが、なぜ自分ではないのか。

どれだけサガを苦しめようと、そのきっかけまでもをアイオロスに奪われるのは、我慢ならなかった。

だが、サガをいつまでも『罰』という理由で夢の中に漂わせるわけにはいかない。
冥府の神がたかだか聖闘士一人の話を聞くことなどないというのは分かっていたが、
死人のように眠り続けるサガを見ていると気がおかしくなりそうだったのだ。

どんなに歪んだ思いを抱いていても、サガには生きていてほしい。
どんなに哀しい笑顔だったとしても、笑ってほしい。

幼い頃からの二人を取り巻く境遇は、カノンのただ一途に兄の幸せを祈る感情さえも歪めてしまった。
そのカノンのただ一つの真実は、サガの笑顔と優しさを求める心だった。


「聖域の黄金聖闘士が、たった一人で何の用だ」
「・・・ラダマンティス」
漆黒の鎧に身を包み、威圧感すら纏いながら現れたのは、かつてカノンが互いに命を奪った男だった。
「久しぶりだなァ、色男」
「何をしにきたと聞いている」
口元をニヤリと歪ませて話すカノンに、ラダマンティスはため息をついた。
カノンは革張りのゆったりとしたソファにどかりと腰を下ろし、ラダマンティスを睨んだ。
「知ってんだろ。・・・サガのことだ」
ラダマンティスは向かい側のソファに腰を下ろして、少し間を置いて話した。
「冥界の神の判断には誰も逆らえない。覆すことも、できない」
「死ぬまでああだと言うのか」
「それは、俺にも知りえぬことだ。我らの神がどこまで精密な『罰』を与えたかは知らんが、
2、3日で解けるような簡単なものでもない。諦めろ」
「アレを解くことはできないのか」
「神によって施された一種の呪いだ。神の呪いは、神によってしか解くことはできない。
それに、それはお前の兄が望んだことか?例え何か方法があったとしても、
罰を望む人間に罰を解くことはできない」
「・・・・」
サガが罰を望んでいるのは、誰の目から見ても明らかだ。
罰を望む人間に、罰を与えないほうが酷なのではないか。
女神が罰を解くようあまり強くでなかったのは、この理由があったからだ。
「・・・こちらも、少し調べてみよう。神の気まぐれで聖域を騒がせるわけにもいかん」
「相変わらず・・・お堅いヤツだな」
「・・・サガの調子は、どうなんだ」
「何週間か前から目を覚ましていない。ほとんど仮死状態だ。深い眠りに入って、
身体活動はほとんど停止している。生きるのに必要な機能だけが動いている状態だ」
「そんなに長い眠りに入るようなものだったのか?」
「いや・・・確かに突然ではあったが・・・1週間以上続くようなことはなかった」
カノンはアイオロスのことは伏せておいた。
サガにとっての特別な存在がアイオロスであるということを、自ら認めるような気がしたのだ。
「何か理由があるのかもしれん・・・ミーノスにも、調べさせてみよう」
「・・・頼む・・・」
カノンは力なく応えた。



アイオロスはサガの手を握り、穏やかな小宇宙を注ぐように織り出した。
「サガ・・・」
サガが目覚める様子はない。
アイオロスはサガのように精神系の技を持ってはいない。
やろうと思えばできないことはないが、進んでやろうとはしなかった。
向き不向きという理由と、あまり人の心に立ち入ることはしたくなかったのだ。

教皇になれば、自然とそういう機会もでてきてしまう。
そう考えると余計にできなかった。

しかし、今は。
甦ったサガの命を、このまま夢という罰に捧げさせるわけにはいかない。
たとえ自分に会って眠りについてしまうとしても、眠り続けるよりはましだ。

「・・・すまない、サガ」

アイオロスはサガの額に額を合わせると、小宇宙を高めた。