蒼海の狭間

天には星々が輝き、風は穏やかに吹いていた。
サガはひとり甲板で手すりにつかまり、船の進む先を見詰めていた。
涼しい風はサガの頬を掠め、蒼銀の豊かな髪を揺らした。

「こんな夜更けに、誰かと思った」
「・・・アイオロス」
後ろからかけられた声に振り返り、サガは微笑んだ。
アイオロスはサガの隣に立つと、同じように空を見詰めた。
「この間は隣で手すりによりかかっていたらサガに倒れられたからな。今夜は大丈夫か?」
「最近は何も、ない。穏やかな気分だ」
「それはよかった」
月と、星の明かりに微かに浮かぶサガの微笑に、アイオロスは思わずどきりとした。
白い顔は闇の中にも美しく輝き、蒼銀の髪は星々の光を湛えたよに風に揺れている。
「・・・・あと、1週間ほどで北の大陸に到着する。そうしたら大きな町で降ろそう」
アイオロスは残念な気持ちを抑え、告げた。
アイオロスは、サガは喜ぶだろうと思ったが、サガは少し寂しそうな顔をした。
「そうか・・・あと一週間で、お前とも別れるのだな」
「サガ・・・?」
「いや・・・すまない。私など、ただのお荷物に過ぎないのにな」
「何を言う!俺はサガのような男と会えて、その、いや、あの」
アイオロスは急に恥ずかしくなり、顔をそむけた。
サガは少し驚いたように目を見開くと、ありがとうと言って微笑んだ。
その笑顔にアイオロスは顔が赤くなるのを感じた。
(お、俺が・・・この歳になって・・・)
サガの笑顔、サガの仕草にいちいち高揚してしまう自分に、アイオロスは恥ずかしくなった。
「・・・私も、嬉しかったんだ。歳の近い話し相手などいなかったから」
「サガ・・・」
「随分と世話になった。・・・もはや王国からは退けられてしまった身だから、そう大した礼もできないが・・・」
「いや!そんなことは考えないでくれ!俺はただ・・・いや、俺たちも、楽しかった・・・」
アイオロスは少し残念そうにサガに笑いかけた。
あと一週間。あと一週間でサガとは、二度と会えなくなる。
もとは海賊と、王族。相容れぬ存在ではない。今も————
(サガを、偽っている・・・)
その事実に、アイオロスは後悔した。
なぜ、出会ってしまったのか。
なぜ、こんなにも長く彼と関わってしまったのか、と。
(早く・・・別れねば)
急に暗い顔をして俯いてしまったアイオロスにサガはどうした?と顔を覗き込んだ。
あまりにも近い距離に、アイオロスは思わず思い切り後ろに下がった。
「あ・・・」
気まずそうに二人の声が重なった。
「あ・・・す、まない」
サガが控えめに謝ると、アイオロスははっとして悪い、と短く詫びた。
あからさまに傷ついた顔をするサガに、アイオロスはばつの悪そうな顔をすると、もう一度すまない、と詫びた。
サガは少し微笑んで、いいんだと言ったが、その頼りなげな表情にアイオロスは胸を突かれたように感じた。
「・・・私は、部屋に戻る」
また明日、と言ってサガはアイオロスに背を向けてしまった。
すれ違いざまに頬を掠めたサガの髪に、アイオロスは思わず手を伸ばしてしまった。
が、その指はするりと髪を通り、サガはそれに気付くことなく船内に続く扉へと歩いていく。

行ってしまう

思わず、体が動いてしまった。

————っ!」
急に後ろから強い力で抱きすくめられ、サガは思わず身をかたくした。
「ア、イオロス・・・?」
「サガ・・・・!」
髪に顔をうずめ、決して逃がさぬように逞しい腕で抱きとめた。
「なにを・・・」
身をよじり逃れようとするサガに、アイオロスは更にその力を強め、抱き締めた。
「好きだ」
「!」
アイオロスの言葉に、サガは目を見開き、腕を思い切り払いのけアイオロスのほうを向いた。
「なにを・・・!」
「・・・信じてもらえないのは分かってる。でも、俺はサガが・・・」
「何を、言っているんだアイオロス・・・」
「サガ」
「何を・・・!」
顔を俯け、口元を手で覆い、肩を震わすサガにアイオロスは思わず手を伸ばす。
「さわらないでくれ・・・!」
サガの拒絶に、アイオロスは手を引いた。
「なぜ・・・」
小さな声で尋ねたサガに、アイオロスは少し悲しそうに微笑むと、サガの髪に手を伸ばした。
はっとして顔をあげるサガに、アイオロスは静かに言った。
「サガが、サガだからだ」
その言葉にサガはわからない、といった風に眉をひそめた。
「信じてもらえなくても、覚えていてほしい。俺は、サガのことが好きだ」
「アイオロス・・・」
「・・・・驚かせてしまったな。おやすみ、サガ」
アイオロスは手にとったサガの髪に口づけを落とすと、船内へと戻っていった。

「・・・・」
アイオロスのいなくなった甲板で、サガはひとり立ち尽くしていた。
(アイオロスが・・・)
限りない憧れと、劣等感。
その存在に好きだと打ち明けられたことに、サガの心は強い衝撃を受けた。
自分より遥か遠くにいると感じていた光が、自分を好きだと言った。
暗い影に囚われ、醜い嫉妬心をもつ自分に。
そのことだけで、サガの中でアイオロスの地位はがらがらと音をたてて崩れてしまった。
(なぜ、私なんだ・・・?)
彼が愛するに足るような人間ではないというのに。
そして、サガは自分が驚きと同時に、僅かに嬉しく思う気持ちが存在することにも、衝撃を受けた。

「やってしまった・・・」
ひとり戻った船内で、アイオロスはうろうろと落ち着き無く歩き回っていた。
心に秘めたまま、別れようと思っていた矢先に、サガに気持ちを打ち明けてしまった。
「相当ショックだったんだろうな・・・」
サガの先ほどの傷ついた表情が脳裏を掠めた。
「・・・・言わないほうがよかったのだろうか」
サガの友人として、サガの笑顔を見ながら、別れを惜しみ、また海へ出る。
それもひとつの選択だったのだろう。しかしアイオロスは、サガという花に手を出してしまった。
「耐え性ないなあ俺も・・・」
アイオロスはため息をつくと、自室のベッドに仰向けになった。
(サガはこれからどうするだろうか・・・)
自分を拒絶するのだろうか、それとも———
僅かに希望を持ちそうになった自分に、アイオロスは目を閉じた。
(拒絶されるだろうか・・・耐え難いな)
その青い美しい瞳で、蔑みの目をされるのだろうかと考え、アイオロスはまたため息をついた。
「そんな表情をさせたいわけじゃないんだけどなあ」
傷つけたくはないと、自分が一番思っていたはずなのにと、アイオロスは苦笑した。
「・・・とりあえずは、明日にならんとな」
アイオロスは考えることをやめ、眠りへと入っていった。