「そうか、目を覚ましたか」
カミュは部屋を出ると、すぐにアイオロスにサガが目覚めたことを報告した。
嬉しそうな顔をするアイオロスに、カミュは苦笑した。
「何か話したか?」
「はい。名前を・・・」
「何て言うんだ?」
「サガ、と言っていました」
サガという名に、アイオロスは顔色を変えた。
眉を顰め、考えるような素振りをする。
「どうかしましたか?」
「・・・もしかすると、とんでもない拾い物をしたかもしれないな」
「と言いますと・・」
「サガ、本当にサガと言ったのか?」
「はい」
再びアイオロスは思考をめぐらせ、口の端を少しつりあげて自嘲気味に笑ってみせた。
「・・・王家の血をひくどころか、正式な王位継承者じゃないか」
「王位継承者・・・!?」
「行方不明中の第一王子の名は、サガ。クロス王国の国王になるはずだった人間だ」
「なる、はずだった?」
「そうですか、ご苦労様でした」
クロス王国首都、ジェミニ。城壁に囲まれたこの首都の中心に、城がある。
王のいないその巨大な城は、今はただの政治の中心として、かつての王家の華やかさも、厳かさも失われつつあった。
執務室の室長、クロス王国宰相ムウは、部下の報告にため息をついた。
「まさか、船が沈むとは・・・」
罪をおかしたサガ。いや、罪というほどのものでもないのかもしれない。
父王を殺し、覇権を握るなどよくある話だ。
だが、サガの場合はどうにも特殊な気がしてならなかったのだった。
普段穏やかで、優しすぎるくらいの皇太子であったサガが、あのときムウに見せた顔はとてもサガとは思えなかった。
更に解せないことには、サガは父王を殺した記憶を何一つ持ち合わせていなかったのだ。
(何よりあの漆黒の髪・・・皇太子は何かに憑かれているのだろうか)
このまま王にしてよいものだろうかと悩んだムウは、表向きは君主制の廃止を訴え、暫く様子を見るつもりで
サガを大使として一時王国から遠ざけたのである。
(やはり少々強引すぎましたか・・・嵐に遭うとは)
王を失ったこの国は、あまりにも色あせてしまった。
王の殺害、世間に流れる、行方不明という噂。
(暫く姿を隠して、時期を見て王として君臨させれば、国民も崇めると思ったのですがね・・・)
王を殺した記憶を持たないサガ。おかげでサガは、濡れ衣を着せられ、地位を奪われたと思っただろう。
優しい人であったサガ。恨みはせずに、その無念だけをを残し、海に沈んだのだろうか思うと、ムウはため息をつかずにはいられなかった。
「王となるべき者を・・・屈辱の海に死なせてしまった・・・。私の罪は大きいですね・・・」
(ただでさえ、妾の子と蔑まれ続けたあの人だ・・・)
王を失い、継ぐはずであった皇太子までも失った。
このままではこの国は衰退し、滅びてしまう。
負った罪の分だけ、ムウは国を栄えさせなければならなかった。
『王妃には子はない。やはりこの御子を皇太子となさるのがよいじゃろう』
『しかし』
『案ずるな、シオンよ。王妃の子としておけば表向きなんの問題もない。
あとはお前がいかに愛を注ぎ、智を与え、武を仕込むかだ。分かったな』
『童虎・・・』
『この子を王にしてやれ。お前に劣らぬ王に育てろ』
「・・・・子に殺されるとは、なんとも幸せな死じゃないか、シオン」
海を漂う一隻のいかだ。そのいかだには積荷はなく、童虎はほとんど身一つで海を渡っていた。
シオンの死、皇太子の“左遷”。ムウに今までどおり宰相を勧められたものの、とてもそんな気にはなれなかった。
(暫くして王にすると言ってはいたがのう・・・)
シオンが持てる全てを与え、王になるべく教え育てられてきたサガ。
その気質もシオンに似て、王たる尊厳に不足はない。
その皇太子が、小国の大使などとしておとなしくしていなければならない。
いくら静寂を好み、穏やかな心の持ち主であったとしても、その屈辱は耐えがたいものだろう。
(親子二代で不幸なものだ)
楽しみとも希望とも呼べるものを失った童虎は、ひとりでふらりと旅をはじめ、今は海を彷徨っている。
「さて、これからどうしたものかのう」
ため息をつき、仰向けに寝転んで空を見る。
雲ひとつない澄んだ青空に、童虎は人という存在の小ささを感じた。
(サガはどうしているだろうか・・・屈辱に耐え暮らしておるのかのう)
少し寝るかと瞼を閉じかけたとき、かすかに波を切る音がした。
(巨大な船だな・・・)
体を起こして辺りを見回すと、遠くに船が見えた。
こちらに向かっているようだ。
(・・・・はて、どうしたもんかの)
童虎はいたずらを思いついた子供のように、にや、と意地の悪い笑みを浮かべた。
「・・・旅の、商人、ですか?」
謎の来訪者に、白皙の美青年は顔を顰めた。
童虎は助けを求め船に乗り込み、ああだこうだと言いくるめ、副船長と対面していた。
来客用の部屋に通され、青年は椅子に座り、机を挟んで童虎が対峙していた。
「そうじゃ」
「荷物は持っていませんでしたよね」
「おかしいのう。さっきまでは確かに大量の砂糖が・・」
「お引取り願いましょうか」
「船長に会わせてはくれんかの」
「船長は多忙でいらっしゃいますので」
「・・・これを見せても?」
童虎は懐から、きらりと光る金の懐中時計を取り出した。
青年はその時計を受け取り、文字盤を見て、慌てて起立した。
「・・・失礼致しました。至急船長に取り次ぎます。・・・こちらへ」
童虎は満足そうに笑うと、青年のあとについて部屋を出た。
童虎の持っていた懐中時計。それはクロス王国の政治を司る者の中でも、正三位以上の高官だけが持つことを許された、
文字盤にクロス王家の紋章の彫られたものだった。
(ここまで威力があるとは。予想以上だったの)
先ほどまでいた部屋とは別の部屋の前で止まり、青年は一度息を吸うと、ドアをノックした。
「ソレントです。クロス王国の方がいらっしゃっています」
暫し間があった後、中から入れ、と短く声がかかり、ソレントと呼ばれた青年は失礼します、とドアを開けた。
扉の向こう、重厚なつくりの机に、椅子。その椅子に腰掛け、机に肘をつく青年がいた。
(この船の幹部は随分若いのう)
逆光で顔が分かりにくいが、この船長も相当若いのだろうと童虎が目をこらした。
「サガッ!!?」
その光の中に浮かび上がった顔に、童虎は思わず声をあげた。
「サガ・・・?」
「サガ!お主こんなところで何を・・・!」
突然騒ぎだした童虎に、ソレントは思わずたじろいだ。
一方船長である彼は特に驚いた様子もなく、童虎の顔をじっと見た。
「・・・人違いでは?私はカノン。この船の船長です。クロスの方がお一人で何か?」
「・・・カノン?」
姿も、声も、あまりにも似すぎるこの男に、童虎は背中に冷や汗が流れた。
『行方不明中の第一王子の名は、サガ。クロス王国の国王になるはずだった人間だ』
『なる、はずだった?』
『ああ。王は死に、同時期に王子は行方不明。宰相が国の覇権を握るために二人とも殺したんじゃ、ってのが専らの噂だ』
『そんな・・・』
『ま、今ここにこうして生きてるんだから何がどう本当なのか分からないがな』
『・・・今、王は不在なんですよね』
『ああ』
『なら・・・なんらかの理由で、あの人が国を継げなかったことに変わりはない・・・』
日も沈み、星が輝きだした頃、カミュは食事をもってサガの眠る部屋へ入った。
サガはもう半日近く眠り続けている。疲弊した状態で睡眠は欠かせぬものだが、死んだように眠るサガに、
カミュはひどく不安になった。
(一国の王子が、海賊船へ・・・)
悲しそうな顔をするサガ。何をそんなにも悲しむのかカミュにはわからないが、その寂しげな表情に、なぜか懐かしさを覚えていた。
(どこか・・遠い記憶の中で・・・)
食事をベッドの傍らの机に置き、カミュは胸の傷の様子を見ようと着せていた服に手を伸ばした。
(外傷自体はたいしたことはない・・・内側は・・・やはり折れているか、ひびがはいっているか・・・・)
右の肋骨辺りに触れた瞬間、顔を顰めたサガにカミュは慌てて手を離す。
(絶対安静が必要だ。船員は皆暫くこんな怪我をしてこなかったから、注意深く様子を見ていないと・・・)
服のボタンを丁寧にはめ、胸が痛むのか汗を浮かべるサガの額を拭い、カミュは席を立った。
ドアノブに手をかけようとしたとき、外側からノブをまわしているのに気付き、カミュは一歩下がった。
「カミュ」
小さな声で、そっとドアを開けるミロに、カミュは思わず微笑んだ。
甲板には海の風が少し強く吹いていた。星々が輝き、波の音が静かに聞こえるだけだ。
「で、どうなんだ?あの王子様」
「もう聞いたのか」
「この船に乗ってるヤツは全員聞いてるよ」
「・・・外傷じゃない。恐らく肋骨が折れているんだ。暫くは安静にしていないといけない。まあ、歩いたりはできないから
それほど警戒しなくても大丈夫だろうが・・・。それに、あの人は・・・」
「優しそうな顔してるもんな」
カミュは驚いてミロの顔を見た。
「アイオリアとかシュラが心配してたようなことにはなんないだろ。すごい優しそうな感じ」
「・・・そうだな」
人を見るのに優れたミロ。本能から人柄の善し悪しをかぎ分ける彼に、カミュはまた少し微笑んで、傍に寄り肩に寄りかかった。
珍しいその行動に、ミロは微笑むと肩を力強く抱き寄せた。