「・・・よろしいのですか?」
女神の言葉に、カノンは静かに肯いた。
「私は結局、サガの望み通りにしてやる以外の道を知りません」
「貴方が構わないというならば、私も協力は惜しみません。ですが、これは貴方とサガの契約。
第三者である私が解くことで、何らかの問題が生じる可能性もあります」
「構いません」
「・・・それと、わかっているとは思いますが」
「はい。・・・一度解いた契約は、二度と結ぶことはできない・・・」
「貴方と、サガのためです。同じ人間との二度目の契約はありません」
「心得ております」
「では・・・」
女神は金色の杖を掲げ、カノンは自らの黄金の小宇宙を高めた。
「貴方たちの『連結』の契約を、解除します」
杖をカノンの心臓に向けると、室内は瞬く間に黄金の輝きに包まれた。
「カノンとサガを結ぶ『12の楔』、まずは1つ目から」
女神は杖をカノンの胸に当て、そのまま引く。杖に従うようにカノンの心臓から鎖が飛び出す。
ジャラジャラと音をたて、鎖は引き抜かれ、その先の楔も胸から現れた。
鎖は一度大きく宙を舞うと、床に音を立てて落ちた。
カノンは栓を抜かれるような気持ちの悪さを感じていたが、歯を食いしばり耐えた。
「大丈夫ですか?」
「・・問題、ありません」
カノンの言葉に、女神も肯くと、再び杖を胸に当てた。
「次に、二つ目を」
「何がいけない・・・何が、何が・・・」
サガは床に蹲りながら、自分の胸を押さえていた。
先ほどから得体の知れぬ不快感が心臓のあたりに広がっていた。
「解きたい・・・『契約』を・・・そうすればアイオロスに渡せる・・・・」
サガがおずおずと自らの心臓のあたりに手を伸ばし、小宇宙を高めると、
ふいに別の小宇宙を感じて立ち上がった。
「アイオロス・・・」
【サガ———、入っても、いいか?】
小宇宙で問い掛けられ、サガは逡巡したが、肯いて扉を開けた。
「入るぞ」
薄暗い室内にアイオロスの小宇宙が広がる。サガはそれだけで救われたような心地がした。
(ああ、やはり・・・彼が、必要だ)
「ロス・・・何か?」
「————もう一度、冷静に話を、したくて」
「・・・心臓のことなら、私は今でも同じ考えだ。この聖域には、お前が必要だ」
「聖域、には?お前はどうなんだ、サガ」
アイオロスは苦笑して訪ねた。
「私・・?」
「お前に俺は、必要ないのか?」
その言葉に、サガは頭を殴られたような衝撃を受けた。
「お前は俺を、愛しているか?」
「愛してる・・・私は、お前を・・・」
「俺のことを、必要としてはくれないのか?」
「え・・・」
(肯いてくれれば————サガ、俺はお前のためにどんなことをしたって生き延びるのに)
ただ愛しい者に求めてほしかった。聖域ではなく、サガ自身に。
(生きるために言い訳が必要か・・・———俺も年をとったな)
「私は、私は愛してる・・・だが・・・・」
「俺は、お前と共に、生きたい」
(共に———?・・・だが、望んではいけない。罪を忘れてはならない)
「だ、だめだ。それはいけない・・・!」
「なぜ」
「私は咎人。お前とは、生きられない!死ぬのは私だけで十分だ!」
「サガ!」
動揺しはじめたサガを落ち着けようと手を伸ばした瞬間、アイオロスは刺すような胸の痛みにうめいた。
「やはり・・・もっと早くにこうすべきだった」
「サ、ガ・・・?」
サガは小宇宙を一気に高めると、自らの心臓に手を突き刺した。
「サガ!」
しかしそこから血が溢れることはなく、サガは苦痛に顔を歪ませながら、心臓のあたりを探った。
そして何かを掴むと、一気に手を引いた。
「ぐ、ああああ!」
ジャラジャラと音をたて、鎖がサガの胸から飛び出した。
サガはガシャンと音を立ててそれを投げ捨てる。そして再び、胸に腕を突きたてた。
「サ、ガ・・・何を・・・やめろ・・・!」
「解いて・・・みせる。そしてお前に・・・お前に私の、心臓を・・・!」
「やめろ・・・!」
「ぐああああああああ!」
残りは一本というところで、カノンは体をのけぞらせて悲鳴をあげた。
「カノン・・・!?」
女神はただならぬ様子に小宇宙を静めた。
「どうしました?!カノン!」
カノンが胸をおさえ苦しみに耐えていると、床に散らばった鎖がカタカタと音をたて、ふわりと浮き上がった。
「いけない!」
女神が杖を上げ制止しようとしたが、一瞬の間に楔が再びカノンの胸に猛烈な勢いでズルズルと吸い込まれた。
「うあああああああああ!!!」
「まさか・・・サガが?!」
床に広がった残りの鎖が、一斉に浮き上がり、鋭利な楔がカノンに狙いを定めた。
「なりません、サガ!」
杖を掲げ、女神は白い小宇宙を立ち上らせた。
未だ苦しむカノンに向けると、カノンの周囲に陣が広がり、やがて立方体の結界に包まれた。
楔はそのままカノンに向かったが、結界にぶつかるとそのまま霧散した。
カノンはがくりと床に手をつき、荒く息を吐いた。
「・・・サガ・・・」
女神が双児宮に目を向けると、アイオロスの小宇宙が脳内に響いた。
【女神・・・!】
その声は恐らく、黄金聖闘士全員に届いただろう。
【サガが・・・!】
女神の視界には、倒れたまま動かぬサガと、アイロオスの姿が映った。
「サガを———こちらへ。双児宮の加護の届かぬこちらのほうが私の力が響きやすいはずです」
【わかりました・・・】
アイオロスは通信を切ると、サガを抱きかかえた。
顔は青白く、息が細い。———今にも、死にそうな顔をしていた。
「サガ・・・死ぬな・・・俺はお前と共にいる未来が欲しい・・・!」
アイオロスはサガを抱え双児宮を飛び出した。
サガは自分が段々と、闇に飲まれていくのを感じた。
闇———しかしそれは、サガが以前感じていた悪意ではない。
ただ暗い、深い、海のような闇だ。
ああ、消えるのか
人は完全な存在ではない。
地球が完全なる球体ではないように。
月に決して陽の当たらぬ闇があるように。
創った神自身が不完全である限り、人が完全たることはありえない。
その不完全さを抱えながらも、生きねばならない。
生きて、死なねばならない。
それは誰にも変えられぬ理。摂理。
ただ闇雲に生を求めれば、そこから綻びが生じ、やがては死ぬのだろう。
何のために、誰のために。
人は理由を付けねば、強く生きることもできない。