ぱしゃ
水のはねる音がした。
ひんやりとしたものが頬に当てられた。
未だに痛む頬に、冷たさがしんと染みとおった。
「・・・カノン」
「何だよ」
サガは目線だけを横にずらし、ベッドに腰掛けるカノンを見た。
サガは頬に当てられた濡れたタオルを手で数度触った。
「・・・私は間違っているか?」
「何がだ」
「お前と“連結”を解いて、ロスと“交換”して———お前も、ロスも、永らえる。
私一つの犠牲で済む。何がいけない・・・何が間違っている」
「だからアンタは馬鹿なんだ」
「馬鹿・・・?」
「自分の望みばっかじゃねえか・・・」
「ロスの望みは、生き永らえ聖域の今後を担うこと・・・お前の望み・・・
そうだな、お前の望みは叶うまい・・・だが、私と心中など・・・」
「俺と死ぬのが嫌か」
「そうではない・・・お前が私の道連れになるのは、嫌だ」
「・・・あの男と揉めんのも分かるな」
「見たのか?」
サガはカノンと目を合わせ、少量の小宇宙を通わせた。
脳内に侵入しようとしたところを、カノンに遮断された。
「っと・・。油断も隙もねえな。・・・見るかよ。お前が苛立つのは、俺かあいつだけだろうからな」
「・・・何がいけないというんだ、ロスは・・・」
「お前は本当に分からず屋のどうしようもない男だな」
「お前にだけは言われたくない」
「俺はあいつの為に“契約”を解くことはねえ。絶対にな」
「・・・無理やりにでも、解いてやる」
「おお怖。やれるもんならやってみろよ。アイオロスに渡す頃には心臓がズタボロになってんだろうけどな」
「・・・」
「教皇にはお前を指名した。それでいい。アイオロスは死ぬ。覚悟はできてるだろう」
「・・・アイオロスは、私が生かす」
カノンは舌打ちをすると、勢いよく立ち上がった。
「頬の痛みを忘れんな。サガ・・・俺はあいつの為に“契約”は解かねえ・・・分かったな」
バタン、と扉の閉まる音がした。
「うっ・・・・」
アイオロスは突然の息苦しさに胸をおさえた。
(何なんだ・・・・!)
ドクン、ドクン、と心臓が大きく脈打つ。キーンという耳鳴りがやまない。
「・・・“欠陥”、か・・・・」
アイオロスはよろよろとソファに縋りつき、横になった。
(いつまで生きられるのか・・・・)
アイオロスは手のひらをじっと見つめた。
見た目には、どこにも異常はない。
だが内側から確実に、蝕まれている感覚がアイオロスにはあった。
(俺がサガの立場だったら、恐らく同じことを望んだだろう・・・。
“契約”——————だが俺は、それを受け入れてはいけない。
俺が欲しいのは、サガといる未来だ・・・・俺だけ生き残っても、意味が無い)
「気付いてくれ・・・・」
欲しいのはサガの犠牲ではない。
犠牲の上に成り立つ命ほど、空しいものはない。
そんな命ならば、欲しくはない・・・。
神殿にて祈りを捧げていた女神は、人の気配に振り返った。
「し、失礼いたします」
雑兵は慌てた様子で跪いた。
「どうかしましたか」
「そ、その・・・女神に謁見をお許し頂きたいという者が・・・・」
女神は神殿の外に意識を飛ばした。
「・・・カノンですね。入っていただいて下さい」
「しかし!あの者は・・・!」
「カノンは聖域を守る黄金聖闘士。拒む理由はありません」
「問題ありません、女神」
「ひっ」
雑兵は腰を抜かし、よれよれと逃げ出した。
「許しがなくとも、勝手に入ってきますので」
「カノン」
女神は優しく微笑み、カノンを招き入れた。
「珍しいこともあるものですね。貴方から私を訪ねてくるなんて」
「・・・女神に、お願いがあります」
「私に?」
「私の心臓の“契約”を、解いて頂きたい」