教皇宮内の一室、ワインレッドの絨毯が敷かれ、同じ色目の天蓋の中、サガはベッドに横たわっていた。
青白く、死んでいるのではないかと思わせるほどにサガは昏睡していた。
アイオロスはベッドの脇に椅子をおき、サガの顔をじっと見つめた。
「サガ・・・」
耳をすませると、かすかに息をしているのが分かった。
アイオロスは拳を握りしめ、女神の言葉を思い出した。
『今はかろうじて、生きている状態です。
・・・私とサガが同時に“契約”を解除しようとしたことで、サガの心臓はひどく弱っています。
サガとカノンは“12の楔”で心臓を中心とする体の機能を分け合っていました。
最後の一本が繋がっていたのが、幸いでした。あと少し、遅かったらサガは・・・』
アイオロスが見たサガの姿。
心臓からズルズルと鎖を引き抜き、苦しみに悶えながらなおも胸に手をつきたてた。
愉悦の目で、こちらを見ながら。
これでアイオロスを救うことができるのだと、サガは希望をもっていた。
『カノンと一本“楔”で繋がれている状態で、何とか生きています。しかし・・・』
『目を覚ますかどうかは、分からないと?』
女神は悲痛な表情を浮かべて肯いた。
『ごめんなさい・・・私が・・・もっと早く・・・何とかしていれば・・・』
『御身を責められないで下さい。・・・俺が』
(俺がいけないんだ—————)
アイオロスは思わず手で顔を覆った。
「目を・・・覚ましてくれ・・・」
「無駄だ」
はっとして振り返ると、そこにはカノンが立っていた。
まだ顔色は優れないが、思いのほか悪くはないようだった。
「心臓はかろうじて俺と繋がれている。だが、他がダメだ。
サガはこのまま、俺と死ぬ」
カノンはそう言うと、唇の端を歪ませた。
「なっ・・・」
「残念ながら女神がほとんどの鎖をきれいに引き抜いてくれたからな。
俺の身体機能はほとんど失われていない。だがそれでも、サガの分を補えるほどではない。
・・・俺もそのうち、こうなるだろう。そうなったらもう、ダメだ。俺もサガも死ぬ」
「カノン・・・」
自嘲気味に呟いたカノンの手が、かすかに震えていた。
「・・・お前は、なぜ、“契約”を解こうと・・・?」
「・・・サガの言うとおりに、してやろうと思った・・・。お前と“連結”でも“交換”でも、
好きなことをさせてやろうと。———仇になったな」
「どうして」
「俺はお前のために“契約”を解いたんじゃない。・・・サガのためだ」
カノンはそう言って俯いた。
「カノン」
「だが、もう、いい。サガの目は覚めなくとも、俺とサガは繋がっている。確かに・・・脆くても、ちゃんと。
死ぬまで、いや、死んでも繋がり続ける。————血なんてもんじゃない。
互いの精神を、肉体を、一つにしている。・・・お前が死のうと生きようと、サガがこうなっちまったらもう、どうでもいい」
カノンは澄んだ眼差しでサガを見つめると、柔らかな笑顔で微笑んだ。
(ああ・・・そうか)
サガも、カノンも、証を求めずにはいられないのだ。
互いを愛している証。誰かを愛している、愛されているという証拠が。
だからお互いに鎖で縛りあい、サガはその鎖を解いてでも、俺に心臓を与えようとした。
(サガ・・・)
アイオロスは激しく後悔した。13年前だけではなく、今も、自分の存在はサガを迷わせた。
ただ素直に、愛し合い、平和な未来を生きていく希望を、サガが抱かぬはずはない。
だがそれでは不安だったのだ。ただ安穏とした生に身をおくのが。
血の繋がりもない人間と、何の見返りもなく生きていくことが。
ならば————教えていかねばならない。
二人で生きていくということ、愛し合う喜びを幸せと感じていいことを。
(共に、生きていこう。サガ。君がこんなにも愛してくれた命を、共に分け合おう)
「カノン」
アイオロスに背を向け、部屋を出ようとしていたのを呼び止めた。
カノンはちらと視線だけをアイオロスに寄越した。
「一度“契約”を結んだ人間は、二度とは結べないのか?」
「・・・同じ人間とは、もう二度と結べない」
「違う人間だったらいいのか?」
「お前・・・」
カノンは憤った様子で振り返った。
「サガと“契約”する気か?!冗談じゃねえ。俺とサガはまだ繋がってんだ。
てめえとも繋がるなんて、反吐が出る!それに、“欠陥もち”はテメェなんだろ!!?
そんなヤツを、誰がサガと・・・!」
カノンは猛然と掴みかかったが、アイオロスは引かなかった。
「・・・分かっている。俺の欠陥は、死に至る病。サガと“契約”を結べば、サガにも、
そしてサガと繋がっているお前にも、共有されることになる」
「チッ・・・許すと思ってんのかよお前はァ!」
「頼む、カノン。・・・俺はサガと、もう一度話したい。どうしても。サガに欠陥を与え、
サガの不調を俺が被ることになっても。痛みを、苦しみを共有してでも、俺はサガに会いたい。
もう一度、俺の隣にいて欲しい。俺と共に、生きる喜びを、共有して欲しい」
アイオロスの強い眼差しに、カノンの力がふっと抜けた。
「・・・お前と“契約”すんのが、サガの望みだった。・・・サガの目が覚めるなら、俺がもう一度契約を結びたかった」
「カノン・・・」
カノンはすっと手を離すと、黙って部屋を出て行った。
「すまない、カノン・・・」
アイオロスはサガに掛けられていた毛布をそっとどかし、サガの胸の上に手を当てた。
そしてサガの手を探り出し、そっと持ち上げ、自らの胸の上に当てた。
アイオロスが瞼を閉じ、小宇宙をサガに送り込むと、サガのほうからも、押し出されるようにアイオロスへ小宇宙が送られた。
(大丈夫、これなら・・・うまくいく)
「さあ、サガ。結ぼう。“契約”を————。愛す証が、愛される証が欲しいというのなら、
互いの苦痛も分け合おう。生きるのに理由がいるというならば、この“契約”が、お前を生に縛り付ける」
ふわ、と一瞬のうちに薄暗い部屋に黄金色の光が満ちた。
「“連結の契約”を結ぶ。黄道を支える十二の宮よ、我らを照らす十二の星よ。
我らの“契約”に承認を。我らを繋ぎ、縛り、ひとつに————!」
強い風が二人を中心に巻き起こり、その瞬間煌く星々が二人を包む輪となり、
その輪はぐるぐるとまわると、ふわりと拡大し、さらに速く回ると、次に収縮し二人の体に吸い込まれた。
サガとアイオロスの胸に一瞬互いの守護星座の刻印が光ると、す、と胸の中に消えた。
一瞬の間の出来事だった。
アイオロスは微笑むと、どさりと床に倒れこんだ。