教皇の体調のいい日を選び、正式に星矢が次期教皇として公表された。
その後アイオロスは日に日に弱り、ついには公式の場には姿を現さなくなった。
星矢の教皇就任は、彼の誕生日に行われることとなり、聖域中が新たな教皇の誕生を祝おうと浮き足立っていた。
「アイオロス」
頭上にかかった声に、アイオロスは目を向けると、そこには歳を経ても未だ美しいままの、女神の姿があった。
「ア、アテナ・・・!」
「そのままにしていて頂戴。・・・ごめんなさい。急に来たりして・・・」
「申し訳御座いません・・・このような姿をお見せしてしまうとは・・・」
「どうか気にしないで・・・・アイオロス」
女神は悲しそうな顔をした。
アイオロスは苦笑すると、体を起こし、申し訳御座いません、と言った。
「結局・・・何のお役にもたてないまま・・・この世を去るようです」
「・・・」
彼女には、恐らくアイオロスの死期が見えている。
だからこそ今こうして訪れたのだろう。
「貴方には・・・命を救われました」
「・・・私は何も、しておりませんよ・・・。私ばかり楽をして、聖戦が起こることもなく、平和な時代を
生きてしまった・・・・。シオン様にお会いしたら叱られそうですよ。・・・星矢も、恐らく彼の時代に・・・」
「ええ・・・私も覚悟はしております」
「本当に何も・・・何もできませんでした。後悔を繰り返すばかりで・・・本当に、私が教皇となってよかったのかと」
「人は後悔を繰り返し、歩み続けるものですよ。貴方は教皇として立派に聖域を導いてくれました・・・」
「ありがとうございます」
アイオロスはゆっくりと息を吐いた。
「アテナ・・・」
「はい」
「私は、明日、世を去るでしょう・・・。無力な者の最期の我侭を、聞いては頂けませんか・・・」
「私でよければ、どんなことでも・・・」
「私の死後、葬式などは行わないでいただけますか」
「それは・・・」
「せっかく、新たな教皇が生まれるのです。・・・私の死で人々を惑わせたくはありません。
星矢も気を使ってしまうでしょう。誰にも明かさず・・・ただ、今はこの平和を皆に喜んでもらいたいのです」
「アイオロス・・・」
アテナは白く、細い手で目を覆った。
「・・・それと、私の墓を・・・」
アイオロスは言いかけたが、小さく首を振った。
「何です・・・?私にできることならば、どんなことでも・・・貴方にはそれだけお世話になったのですから」
アイオロスは微笑んだ。
「いえ・・・。アテナに頼みごとばかりしては、歴代の教皇に会わせる顔がありません。
ただ今は、他愛のない昔話など聞いてはくださいますか」
「ええ」
「双子座の聖闘士のことを、御存知ですか」
「もちろんです。貴方の親友でいらした方と・・・」
「はい。・・・そして、私がこの手にかけた男です」
「アイオロス・・・」
「・・・私は彼を、心から信頼し、尊敬し、人として・・・愛しておりました」
「立派な方だったのですね」
「・・しかし彼のほうは、私のことをそうは思ってはいなかった。私はただ一方的に彼を想うばかりで、
彼のことなど何も考えてはいなかったのです。彼が思い詰めていたことも知らず、結局彼を深い闇から
救い出すこともできませんでした」
「・・・」
「彼を殺し、私は恐ろしくなり目を潰しました。彼を殺した事実に押しつぶれそうになりました。
そして、私はまだ幼い貴方をも見捨てて、聖域から逃げたのです。
何年も何年も彷徨い続け、結局はここに戻ってきてしまった。———シオン様がお決めになっていたこととはいえ、
教皇という立場は私には重荷でした。・・・しかし、どうしても気がかりなことがあったのです」
「それは・・・?」
「双子座の・・・サガの亡骸は、どうなってしまったのだろうかと・・・」
「・・・アイオロス・・・」
「彼を殺した恐怖に怯えるばかりで、死した彼のことをも私は捨て置いてしまったのです。
その時ばかりは・・・本当に、死んで彼に謝りたいと思いました。・・・誇り高い、聖闘士だったのに・・・」
アイオロスは嗚咽をもらした。
その目が涙を流すことはなかったが、確かに彼は泣いていた。
「彼は・・・見つかりましたか?」
「・・・聖域に戻ってきたときに、彼の亡骸は谷へ打ち捨てられたと聞きました」
「そうですか・・・私の力の及ばないばかりに・・・」
「私が戻ってきたときも、あなたはまだお小さかったではありませんか。全ては私の罪です。
・・・せめて、彼のいる谷へ、私も身を捨てたいものです」
「アイオロス・・・」
アイオロスは目の傷をそっと撫でた。
「彼は最期の最期に、私を穿つ拳を弱めたのです。その傷は、とても心臓へ届くようなものではなかった。
私だけが、彼を傷つけてしまった。・・・アテナ、人はみな、彼を悪そのもののように言います。
彼はシオン様を殺し、アテナをも殺そうとしました。・・・しかし、彼は本当に、優しく・・・聡明で、
誇り高き黄金聖闘士だったのです。双子座の聖衣が未だ新たな後継者を見出さないのは、
まだ彼を想っているのではないかと、そう思うほどに・・・。
私が死ねば、彼の本当の姿を知るものもいなくなってしまいます。・・・誰よりアテナに尽くそうとした彼のことを、
アテナにだけは知っていただきたかった・・・・」
「ええ・・・きっと、本当に素敵な方だったのでしょう・・・お会いできないのが残念です」
「そう言っていただけて、きっとサガも喜んでおります」
アイオロスは微笑むと、深く頭を下げた。
「いつまでも死に近い者の傍にいるのは不吉でございます。・・・お会いできるのは、これが最後かと」
「教皇、射手座のアイオロス。よく聖域を導いてくれました。これより後は、ただ、安らかに・・・」
「は」
女神はアイオロスの部屋を出た後、一筋の涙を流した。