__Walk_in_the_moonshine,_and_drink_like_a_jellyfish.__

[08.12.23] 

〜海月の放流〜 146


Nowhere... Now here!


【終わりと始まりの狭間】
休日。部屋でほげほげしてると新聞の勧誘。顔も見せずにドアホン越しにきっぱりお断り。すると、見本紙置いていきますからご検討くださいとドアポストに投函してゆく。

よろず包み紙にしてしまう前にぱらりはらりと読んでみる。
定額給付金に関する記事に目が止まる。
その記事の意味や意義、記者の意図などはもうどうでもよくて、一点だけ興味を惹かれることが書いてある。
> 「年齢計算に関する法律」では、
> 生まれた日の前日の「二四時」に加齢される
で、早速、「年齢計算ニ関スル法律」を調べてみると。
「生まれた時刻が何時かを一切問わず、その生まれた日を第1日目として年齢を計算し、誕生日の前日深夜12時限りを以て年齢を一つ加算する」
4月1日生まれのこどもが早生まれとして取り扱われるのはこっから来てたのか。

とすると。1月1日生まれのヒトは前日前年大晦日の24時に一つ年をとる、ということである。
今年2008年1月1日生まれの小さきヒトはなんと年内に満1歳になるのである。

新しい領域に入ってから新しく成るのではなくて、
新しく成ってから新しい領域に入ってゆくのだな。

もう少し考えてみよう。
今日の24時と明日の0時は一般的な認識では同一時刻とみている。しかし。
厳密には違うものと考えることが出来る。

24時|00時
→|←
-0|+0
0

基準点を0とした場合、-0と+0は違うのである。
わかりにくく言えば(笑)、
下から積み重ねて0に達したものが-0、
上から削り込んで0に達したものが+0、である。
-0と+0の間には全く厚みの無い極々薄い膜=0がある。

さて。
-0は過去。+0は未来。とみることも出来る。
その薄い膜の領域が現在つまり「いま」である。
まさに「刹那」である。

過去は連綿とあり、未来は永遠に続く。けれども。
我々は過去を生きられない。未来をまだ生きていない。
過去のどの瞬間を切り取ってもそれは「いま」であったし、
未来のどの瞬間もやはり「いま」しか生きられない。

24時から0時に変わる瞬間、それを最も意識するのは誕生日と新年を迎える時ではなかろうか?
そういう時こそ「いま」を考える絶好の機会、かもね。



・・・(つづく)[08.12.23]Tue_Qurax2海月(=)彡
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