【先立つものはカネ、ではなく】
無職者であるからして、
耳垢ほどもない貯えをちみちみとこそぎながら暮らしている。
それ故、部屋で何もせずに茫としていることが多い。
動けば腹が減る。腹が減れば喰う。喰えばカネがかかる。
動かずともぼんやりと考えごとしてるだけで腹が減る。
寝ても覚めても腹が減る。
「あぁヒトは何故腹が減るのでせう?」
けれどもちっとも困ってはいない。
カネもないが悩みもない。
雨風しのぐ部屋はあるし、まだ酒もたんまり残っている。
天気がよければ酒持って海まで散歩。
いつもの野良猫たちに挨拶してぼやぼやと波間を眺める。
ヒマを絵に描いたような日々だ。
・・・
今週は映画を観る。
TVやDVDなどではなく。
劇場に足を運んで。
三本観る。三本立てではなく。三回観に行く。
何を観るかは大いに迷うところではあるが。
むしろ劇場に足を運ぶことの方がいまのわしには重要なように思われた。
上映開始時刻を5分過ぎて劇場に飛び込むと。
まだ始まっておらず客もいない。
場所間違えたか?と戸惑う。
とりあえずよさげな席に着いたのが合図になったのか
ゆっくりと暗くなり予告編が始まる。
わしだけのために、わしのタイミングで始まるユメ。
また翌日、違う映画、違う会場。
鑑賞後、外で感慨に耽っている少年達の会話が耳に飛び込む。
「なんか大声出したくなる」
!わかるっ!それだ!
大声をあげたい、走りたい、飛びたい、“ムヤミヤタラ”をしたくなる。
そんな気持ちになっていた自分をその時気付かされる。
映画を観ると別世界へ連れてゆかれるから
別次元を彷徨うような足取りではまっすぐ家には帰れない。
地上に降り立つにはヒトの声が最もふさわしいように思えてくる。
それは催眠術にかかったヒトを正気に戻すシグナルのような仕組みとして。
そんな自分内言い訳を小脇に抱えてふわふらと呑みに繰り出す。
見知った顔に逢ったところで映画の感想なんぞ述べるわけでもない。
そもそも正気でないアタマが感想という言葉や文章を構成できるわけがない。
ただ周りの声を音として聴き、余韻を肴に呑む酒。
一人ゆっくりと瓶ビールを傾けている至福。
余韻の恍惚から酔いの陶酔へ。
どっちにしたって地に足はつきゃあしない。
フラッシュバックする映像やセリフ。
旅先の風景と会話。
それらはまさに同質のものであり、
わしはどこにいたって旅をつづけている。
先立つものはカネではなく
衝動を伴う情動なんだ。
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