__Walk_in_the_moonshine,_and_drink_like_a_jellyfish.__

[04.08.31] 

〜海月の放流〜 065


季節の変化に順応しようとするカラダはいま
モーレツに睡眠を欲している模様。
この週末は連続18時間以上寝てた、らしい。



●『NOT_IN_SERVICE@GHOST_WORLD

・・・そして僕はバスに乗る種類の人間なのだ。

路線は廃止されそのバス停にバスがやってくることはもはやない。
・・・。

何処から来て何処へ行くのか?
・・・わからない。

ゆくかひくか。去るか留まるか。
またいつもの自問自答・・・そして僕は・・・。


●『シャケ(という名の猫)』

僕が勝手に命名した猫。
猫にシャケって名前はどうかとも思うが。(笑)
初めて出遭った時、なんかインスピレーションがあったんだよなぁ。

シャケはノラ猫なので近所をあちこち巡回している。
おそらく近所のあちこちで餌も与えられたりしてることだろう。
方々で別の呼び名を与えられたりしてることだろう。

それにしても。これがまたすんげぇー汚い猫なんだわ。
白ベースの三毛猫なんだが。白部分なんかすっかり灰色になっちゃってるし。
毛が絡み合ってレゲエさんになっちゃてるし。
寝そべってたらボロ雑巾、ボロモップかと思うよ。うひひ。

で。この部屋も巡回ルートに入ってるみたいで
窓やドア開け放して風を通してると
音もなく我が物顔で勝手に入ってくる。

うちには大した食料がないので餌なんかやらんことも多いのだけど。
(シャケの方が他所でよっぽどいいもん喰わしてもらってるかも?)
しばらく無防備に寝そべってくつろいで
また何か思い出したように出てゆく。

たまに。僕がスルメなんぞかじって昼間の晩酌?をしてると。
シャケはにゃあにゃあすり寄って来る。
しかしシャケは歯が一部無いのか折れてるのか、硬いものはうまく噛めない。
硬いスルメをそのままやってもうまく噛めずに悪戦苦闘。
しょうがないので僕が噛みしゃぶってやわらかくなったものを口から出して
シャケにおすそ分けしてやる。

その味が気に入ったのか、何度も催促する。
僕は、スルメの味だけ楽しんで
後はシャケにあげちゃうので飲み込むことがない。
シャケにしてみればこのスルメの塩っ辛さと硬さはキツイだろうし
僕はこの塩っ辛さと硬さこそが欲しいので
ひとつでふたり分を満足させられてなかなかうまいシェアだと思う。

夜勤バイトし始めてからは、
雨戸まで閉めて昼間寝て、夜には仕事に出かけちゃうので
シャケに会う機会もなかったんだけど。
ここ2、3日は早めに仕事上がったこともあり、
窓、ドア、開けてたらシャケが来た。

スルメがもう無いので今日はなんもないよ、と一応断っておくが。
シャケはそれはそれでかまわないようだ。

お互い、自分のペースでやってるねと確認し合いながら
双方共に放っぱらかしのスタンスは相変わらず。

僕は猫を飼おうとは思わない。けど。
猫が遊びに来ることを拒んだりはしないよ。

BGM:寺田町『公園には捨て猫』


●『直立二足歩行』

徒歩旅の最中は。
20〜30km/day、時には50〜60km/dayくらい歩いてたけど。
デスクワークをやってるこの頃は。
4km/dayも歩いちゃいないだろうな。

けれど。
いま、短い時間と距離を歩く時。
以前より「歩く」ということを意識するようになってる。
(なるべく歩くようにしてるという意味ではない)

運動、エクササイズ、流行りのウォーキングの類、ではない。
そんなのは過剰カロリーを摂取しつつダイエットに勤しむヒトにまかせとく。
(僕の場合はいかにエネルギを消費せず疲れずに歩けるかが課題)

根本的に直立二足歩行なんてものは
不安定なものだ。
まずこの不安定であるということを自覚する。
(中略)
姿勢や足運び、足裏の着地・接地状態など細かいことはいくつかあるのだが。
ポイントは2点に絞られる。
まず。腰(重心)。やや斜め上方にスライドさせるつもりで移動する。
そして。つま先(足指)。近頃最も意識している。
足の指で地面を握りつかむような感覚。
(島ぞうり=ビーチサンダルですっぽ抜けないように走るには、
足指を曲げて足の甲を持ち上げるようにしてやるとよいのだが、
形としてはそれに近い、かな?)

足裏で“うんてい”やってるような?
猫が網戸に足爪ひっかけてとれなくなってるような??(笑・全然違う)
鍬で畑を耕すような???
うーむ。うまいたとえが浮かばないけど。
足指で地面をつかんで後方にスライドさせる感じ。
(後足はできるだけ蹴り上げない:エネルギの浪費)

とにかく。この「つかむ」感じがいまとても愉しくて。
しかも。スピードに乗ってくると、
疾走する動物(と言うより獣)の野生を思い出してしまいそうな勢い。うひ。
シャケのように軽やかにいきたいものだなぁ。
ニャンコせんせぇー!

正しい歩き方なんてのがあるのかどうか知らないし。
誰かに教えられたことはないけれど。
僕は僕なりの経験と観察と勘で二足歩行を上達させたいな。

BGM : NEWEST MODEL『あんよは上手』


●『嵐からの隠れ家あるいはアジール』

イルミナシオンIllumination。

そこはどうやら
僕にとって嵐からの隠れ家(Shelter from the storm)
あるいはアジールのようだ。

そこにたどり着いた瞬間からすべてが許されホッとして
世間の様々なチカラやムードや渦や空気に影響されやすく常に緊張状態の僕は
解き放たれる。
そのためなのか、つい弱い部分まで無防備に表に出てしまって
人前では出さないほどの弱音を吐いてしまったり
馬鹿みたいに泣いてしまう。

そんなうっとおしい僕に
馬鹿ね」ってやさしく言ってくれてるようで。
僕はうれしくてまた馬鹿みたいに泣いてしまうんだ。

BGM : Bob Dylan『SHELTER FROM THE STORM』
寺田町with橋本潤『あの娘はいつも俺に「馬鹿ね」ってやさしく言うのさ』


●『間借りなりにも』

どんな時にもどんな場所でもどんな場面でも。
いま、ここに、居てもいいのかな?
ジャマじゃないかな?
もう去った方がいいかな?
まだ大丈夫かな?
と、僕は時折、びくびくおどおどする。

いつもいつも自分の居場所を探してる。
いつも一時、間借りしてるだけ。
時や場所ばかりではなく、このカラダさえも。
長居していてはいけない、動き続けよという運命なんだろうか?


●『気圧配置』

自分に自信がなくなったり悲観的になったりするスイッチがあるようだ。
そのスイッチはどうやら低気圧や前線の影響で作動するみたいだ。
不安定になるのは天気ばかりではなく元気もだったとは!


●『overflow』

あふれる。
言葉が文字が音が映像が
脳みそを駆け巡って何ひとつとりとめもなく
すべてが台無しのようにすべてが混沌として

外見上は何も考えてないかのように
ぼやぼやと もしくは 飄々と
座り込んでいる


●『スカラムーシュScaramouche』

僕の危なっかしさとはサーカスの綱渡り
道化ってやつかな

ツギハギで覆い尽くされた世界
継ぎ目という境界線上の刃(やいば)を
手放しでふらふらと漂い歩く

BGM:寺田町GROUP『スカラムーシュ』


●『untouchable』

なかなか手が出せないものがいくつかある。

それはとても気に入っているが故に。好き過ぎるが故に。
間違いなくものすごく重要で大事で影響力を持っているだろうと感ずる故に。
いつも視野の隅に捉えているのに手を伸ばせずにいる。

たとえば。映画や本。

・・・
長期間旅をする。放浪する。
ということに少なからず興味があるか。
実際に旅した者であれば。
沢木耕太郎藤原新也の名を知らぬ者は少ないだろう。

沢木耕太郎のルポ作品『敗れざる者たち』『テロルの決算』は
僕もむさぼるように読みすっかり虜になった。
しかし。
旅人のバイブルと言われてるらしい『深夜特急』は
読んでいない。読めない。
ユーラシア大陸一周をする以前にもちろんその存在は知っていたけれど。
読んでしまってからでは影響受けすぎて
「僕の旅」ができなくなる気がしたからだ。

帰ってきてから読もう、と思っていたが。
あれから15年も経ってるのに未だに手を伸ばせない。

藤原新也はもっと強烈だった。
本屋で写真集が平積みにされていようものなら
もうその区画からダッシュで逃げる。(笑)

当然、旅の前にも最中にも読まない見ない触れない。
が。
アジアから帰ってきてから
本の引力(魔力と言うべきか?)に抗しきれなかった。
まっすぐ伸ばしかけていた手の先を
ギリギリのところで方向制御して
手にとったのは『東京漂流』。
予想以上の破壊力にあえなく玉砕。
読後、放心。しばし体育座りで固まる。
気がつくとよろよろと夢遊病者のように再び本屋。
『全東洋街道』を手にしていた。

「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」
「人間は肉でしょ、気持ちいっぱいあるでしょ」
・・・完膚なきまでにやり込められた。
“社会”復帰できず。(笑)

その後、様々なターニング・ポイントで
読み返したり他の本も手にすることになったが。
『メメント・モリ』
だけはやっぱりまだ手を出してない。
(なんかそろそろ本に呼ばれてるような気もするが)

藤原新也を読んだから「死」(つまりは生)を意識したわけではない。
僕も自分の旅(日常と呼び習わされている生活を含む)をしてきたからこそ
「死」は身近に見続けてきた。身近どころか常にいまココにある。

・・・
穢れ。触れてはいけないもの。アンタッチャブル。
それこそが結局最も重要な核心であることを人生の旅人は識るのだ。
いや。既に感じ、わかっている、ということを識るのだ。


●『天気の所為』

台風接近中。前線活発化。関東もしとしとと雨。
気温低下。寒い。
呑み会お流れ。映画もパス。

土曜朝に仕事上がって帰宅。
空をにらみすべての予定は棒に振ることにする。

メシ喰って昼頃、寒さに震えながら寝る。
・・・目が覚めると6時。
まだまだ雨降ってる。寒い寒い。

ネットで台風の動きや天気予報をチェック。
・・・いま、日曜日の朝6時だということに気付く。

すべては天気の所為。
おかげでメシを余計に喰わずに済んだ。


●『sync』

sync
シンクロ、シンクロニシティ、同期、共時性、同時発生、共感共鳴。

「呼ばれる」という感覚。
人に。物に。状況、環境に。場に。

自発的な行動をとった末にたどり着いたとしても。
それはもっと大きなうねりに誘われ導かれたのであろうなと思う感覚。

そう思えるココロの状態、ゆったりととても静かに
どこにでもころがってゆけるニュートラルな状態。

流れてゆく。

流れは刻々と変化する。その変化を流れと呼ぼう。
流れは波。一瞬一瞬の刹那の状態。

うねりはもっと大きな変化。抗いようのないチカラ。
うねりは運命。気付いたときには既に巻き込まれている。

大きなうねりの上で流れは交錯する。
個々に違う流れに乗ってきたモノたちが出遭う瞬間。
シンクロニシティ。呼んでいる。


・・・(つづく)[04.08.30]満月...Qurax2海月(=)彡
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