__Walk_in_the_moonshine,_and_drink_like_a_jellyfish.__

[02.10.12] 

〜海月の放流〜 020

□前回までのあらすじ:
伊勢から熊野詣で気取りで熊野古道を歩いてみる。
ペースはぐんと落としてみる。雨が降る日はぢっと動かず。
宴があれば留まり。また急激に人のネットワークが拡がる。


●『ゴーゴー熊野古道 - 三重の巻 -』

中秋の名月9/21を眺められた人は今度の十三夜10/18もぜひお月見しましょ。 かつて粋な江戸っ子や風流人の間ではこの二つの月見はセットで考えられたら しく、両方見ないのは「片月見」と言って野暮なことだったみたい。
でも地方によっては、中秋の名月が天気の都合で見えなかった場合のスペアと して十三夜を迎えるって考えもあるみたい。

まぁなんにせよ。月が綺麗に見える季節です。ちょっと月を気にして生活して みるのもいいですよ。自分のお気に入り月見場所を見付けとくのも愉しいです。

秋の月は金木犀の香りがします。


・(260)09/29/2002/三重県・海山町(道の駅)--馬越峠--尾鷲市(津村衛邸)/
国道42号は明日午前中に復旧の見込みとのこと。そんなことはぢつはお構いな しで僕は熊野古道をゆこう。この道の駅にもお世話になりました。天気もいい し。さぁゆこう。

苔むした石畳。森の中に延々とつづく。大雨の影響で道は一部川になってるけ ど国道のような土砂崩れや危険なところはなかった。
不思議なもんだなぁ。現代の技術でつくられた道は大雨であっと言う間に通行 止になってしまったのに。江戸時代の石畳の古道はびくともしてない。

自然の中で生きるには。ルールや範囲ってものがきっとあるのだ。人間も生物 である以上、生物的な大きさや機能に基づいた尺度内での生活圏ってのがある んだ。それを超えるものは結局持て余してしまうことになるのだ。

道ひとつとっても。今や車や機械(道をつくるための作業用マシンなど)の都 合に合わせてつくられてる。だからもはや人が歩くためにはできていないし。 そして。持て余した挙げ句に自然から拒否される・・・。

いや。こんな現代技術の否定をしたいわけでもないのだ。その地域に人々が暮 らしてゆくためには道路を介した物流は止まっては困るのだし。

ただ。雨が降ったら予定は棒に振るとかとっとと逃げるとか、圧倒的な自然の チカラに対してはのんびり眺めてれば、それでいいんじゃなかろうかと。
雷や台風を学校の教室の窓からわくわく眺めてたように。

抵抗が強ければ強いほど反力も強くなる・・・。

馬越峠にさしかかる頃、その先に天狗倉山の頂上へ通じる道?が伸びている。 ここまでだってかなり脚はパンパンに張り詰めてるのに、なんだこのものすご い段差は。あまりの急勾配になぜだかへらへらと笑うしかなくなってる。はは。

でも天辺は。爽快だった!足止めくらってた町もこれから向かう街も眼下に広 がってる。頂上には直径5m以上の巨大な石があり梯子がかかっている。そこに よじ登るとさらに爽快。鳥の視点(天狗の視点?)で下界を眺める。
ここで昼メシ喰ってヒルネと洒落こもう。

気が付きゃ爆睡してて2時間もそこで過ごしてた。
ここで月見なんてのもいいなぁ。食料が残ってればここで野宿するのにな。

後ろ髪引かれる思いで下界に舞い降りる。
下り坂の方が脚への負担は大きいかも。既に筋肉痛が始まってる(笑)。

尾鷲の街に降りてきた。雨がちらほら。野宿できそうなとこも途中にあったが。 ブン屋のゴトーさんの紹介で炭焼きをしている津村マモルさんとこに電話を入 れてみる。話しは通ってたようで突然の電話にも関わらずすぐに迎えにきてく れて家に招いてくれた。
なによりもまず人間に戻るために風呂に入らせてもらう。話しはそれからだ。 着てたものすべての洗濯をおまかせして、全身上から下まで着るものを借りて。 ふぅ、さっぱりすっきり。

ごちそうと酒も並んで、んもうなんていう嬉しさ。徐々に話しも加速していく。

マモさんの友人の飲み屋があるというのでちょっと出掛けてみることに。早速 焼酎を一本入れることに。海月マークを白ペンで書いて、と。今度来たらまた 飲めるね。

僕の旅の話もしたがマモさんの話も興味深い。マモさんはお父さんとともに炭 焼きをしているのだが。若き市議会議員の顔ももち仲間の若者たちと様々なお もしろそうなこともやってる。
これからの「地域」をどうするか、真剣に考えてる。僕もこの頃、旅をしなが らローカル/地域というものに興味がわいてきたところだったので話に引き込 まれてく。

明日はマモさんのお父さんとこに移ることになった。明日からしばらく炭焼き の手伝いをさせてもらうことになった。相当ハードな仕事のようだがわくわく が止まらない。


・(261)09/30/2002/三重県・尾鷲市(津村邸・紀州備長炭の家)/
朝。マモさんのお父さん津村寿晴さんの「紀州備長炭の家」に移動。作業用の 服に着替えて早速、山の炭焼き釜へ。
今日は3つある釜のうちの一つから焼きあがった炭を出す「釜出し」。
炭はおよそ1週間ほどかけて焼かれる。4トンの木材から500kgの炭ができる。 釜の中はまだ赤々と燃えさかり1000度を軽く超えるという。遠巻きにのぞきこ んでいてもその熱気たるやすごい。

焼きあがりは自然に任せるしかないため、何時から始めるなどという予定など 立たない。ただじっと見つめにおいを嗅いで観察して待つしかない。
それまでは周りを片付けたりいざ釜出しがはじまったときの準備を整えて待つ。

様子見に少し出してみる。最初は見てるだけでいいから、と言われ作業を見守 る。マモさんも津村父もプロだから動きに無駄がなく一見すると簡単そうに見 える。津村母もやってきて作業に加わる。
真っ赤な炭を釜から巨大な耳かきのような棒でかきだす。かきだされた炭をこ れまた長い2本爪のフォークですくいあげて一ヶ所にまとめていく。灰をかぶ せて冷ます。延々とこの繰り返し。まるで大仏の耳掃除でもしてるよう(笑)。

試しに僕もやってみるがこの熱気の中での作業は大変だとすぐにわかるし道具 の扱いも簡単にはできない。今日丸一日かけてこの作業をしていくわけか。

もともと木だった炭はまるで金属のように赤く燃えている。そして炭同士がぶ つかりあう音もまるで金属そのもののようにキンキンッとカン高い。

炭が最高の状態になるまでしばし時間がかかりそうだということで早めに昼メ シとなった。当たり前のように七輪が用意され肉や魚を焼きはじめる。おおっ! なんてゼイタクな山ごはん。なんせ備長炭だ。しかも炭は売るほどある(笑)。 ビールまでいただいちゃってすっかりご機嫌。とは言えアルコールは汗であっ という間に揮発してくようで酔っぱらったりはしないが。
(毎日こんな昼メシではない。たまたま余ってた食材があったかららしい。)

午後から本格的に釜出し。助っ人もやってきてにぎやかになってきた。人手が 増えたので昨日釜出しが終わって空っぽになってる隣の釜に新たな木を入れる 「釜入れ」も併行して進める。

熱気対策に顔には(目以外は)タオルを巻いてる。目玉とろけそう。暑い熱い。 重労働の汗と熱気の汗。普段つかってない筋肉が張り詰める。

作業は日没後もしばし続きやっと終了。おつかれさまでしたー。

労働の後、風呂でさっぱりした後の晩ごはんがまたうまい!
あぁ今日はよく眠れそうだ。


・(262)10/01/2002/三重県・尾鷲市(津村邸・紀州備長炭の家)/
炭焼き手伝い二日め。昨日空っぽにした釜に「釜入れ」。

雨が降っていて外気は寒いが作業中は大汗かいてる。空っぽになった釜の中で も余熱がまだまだ残っているので息苦しいほどで。釜内滞在時間は数秒が限度。 かかえた木材がまた重い。釜内壁に沿って立て掛けてゆくのだが、きれいに並 べていかないと倒れたりするしたくさん入らない。

釜内に木が蓄積されていくのに比例して疲労も蓄積。腕はだるだる。

淡々とした作業だ。ただ黙々と木をかつぎ入れる。せっせと運び入れる様は遠 い視点から見たら、蟻が餌を巣に運んでるようにも鳥が巣づくりをしてるよう にも見えるかもしれん。

釜出しに比べたら釜入れは時間的には早く終わった。おつかれさまー。

さて。仕事が一段落した(すべての釜が遊んでいない状態になった)ところで 今日はまた七輪で地鶏の鍋!となった。うれしい。
鍋が整うまでにもいろんなもの焼いて喰って。鍋もこれまたうまい!具をすっ かり平らげたら雑炊。んーこりゃたまらん!もう動けないほど喰って飲んで。 野趣あふれる贅沢な宴。あぁ仕合わせ。


・(263)10/02/2002/三重県・尾鷲市(津村邸・紀州備長炭の家)/
炭焼き手伝い三日め。炭つぶし。

炭はここ数年様々な効果・効能が認められてきており用途に応じて形や大きさ を工夫して使用されるようになった。単に円柱状の炭を七輪等にくべるだけで はなく。
例えば。大きいままを部屋の四隅に置いたり。細かく割ったり砕いたものを炊 飯器に入れたり水筒に入れたり。魚焼きグリルに水を張る代わりに敷いたり。 住宅の壁に練りこんだり畳内部に忍ばせたり。
いずれも炭の脱臭、濾過、マイナスイオン誘引、などの効果をもたらす。
さらに炭焼きの過程で出る煙からは木酸液と呼ばれるものも抽出でき、害虫害 獣を寄せ付けないとか水虫にも効くとか、もうまったくすごい。

津村さんちはこういった炭のあらゆる利用方法を取り入れたモデルハウスにも なっていて「紀州備長炭の家」と掲げて各種製品の販売と合わせて家も公開し ている。

いや実際。初めてこの家に入った時にほんとにナニカ違うなと感じた。それは 最初、単純に木の家の安心感のようなものとか思ったが、そこには和みや癒し と言っていいのか寛ぎの空気感が満ちていた。これはぜひともみんなに体験し てもらいたいものだ。
僕はその家の囲炉裏のある吹き抜けの間で寝かせてもらってるのだった。うら やましかろ。ふふ。

あー、これを読んでる僕の友人たちに告ぐ。特に住宅設計をやってる君達!
三重には上野屋さんといい津村さんちといいおもしろい家があるからぜひとも 体感しに来たまえ。

で。今日の仕事は炭つぶし。金属円筒に炭をガラガラと入れたら重しを叩きつ けて割り砕く。重しにはT字状の把手がついてるのでこれを両手で持ち上げては 叩き落とす。単調な作業だがこれまた大変。腰から上の筋肉総動員。一日やっ たら握力もなくなり箸もろくに持てないほどだ。

砕いたものは数種類のフルイにかけてく。それぞれ粒の大きさによって様々な 用途に使われるのは前述した通り。

これらすべて人力。近々クラッシャーマシンの導入も考えてるらしいが今のと ころはひたすらガキンガキンやるのみ。

フルイを振る作業も顔をタオルでおおってやってるが細かい粉塵で気が付きゃ 真っ黒。鼻の穴ん中も笑っちゃうくらい真っ黒。

久しぶりに手にマメができた。はー疲れたつかれた。でも一日の終わりは充実 感で一杯。日々メシの量が増える(笑)。


・(264)10/03/2002/三重県・尾鷲市(津村邸・紀州備長炭の家)/
今日はゆっくりしてろ、と言われ一日中家で過ごす。津村さんたちに定休日は ない。が僕は慣れない仕事で体があちこちきしんでいたのでそれを気遣ってく れたのだ。

津村さんちの二階もおもしろ空間だ。畳2枚くらいを縦に並べたくらいの細長 いコーナーにはロッキングチェアと壁面を埋めるマンガや本たち。おおっ!こ りゃすごい。わくわくわく。今日は一日ここで漫画の世界に旅する。この狭さ は読書にはかえって落ち着けて集中熱中できる。

夕方、「くらげぇー」と声がかかる。今夜は釜場であんこう鍋なのだった!
あんこうは皮と肝が最高!んまいんまいを連発。僕の旅話も肴に宴はわいのわ いのと盛り上がる。雑炊がこれまた絶品!!もう死んでもいい。あっそ、じゃ 明日はどんなごちそうにしよか。あれもうまいぞこれもうまいぞ。冬のきりた んぽ鍋はもっとうまいよ。あ、やっぱりそれ食べるまでは死にません。わはは は。
おいしいものの話って人を仕合わせにする。


・(265)10/04/2002/三重県・尾鷲市(津村邸・紀州備長炭の家)/
今日の仕事。木酢液をペットボトルに汲みわける。風雨で壊れた屋根を直す。 津村母の弟さんと大工仕事。あにやんはリストラにあってしまってここで働く ようになった(かと言って悲壮感は全くない)。
僕のことを「ほうばい」と呼んでくれるようになった。ほうばいは“朋輩”と でも書くのかな?ここらの方言で、親友よりももっと親しく深い友という意味 らしい。そう言ってもらえるなんてうれしいなぁ。
それと。そういう言葉があるってこと自体、この地方の人間文化に感動。

屋根に上ってトタン板を釘で打ちつけてく。トントンカンカンカーン。山林に 響き渡る音。青空に流れる雲を屋根の上で眺めながらの休憩も清々しい。

今日の仕事が終わると。マモさんの若い仲間達の集どいに参加させてもらう。 今夜はクリスマスにやろうとしてるイベントの打ち合わせ。彼ら彼女らの活動 拠点としている「Neighbour Garden(略称:ネバガ)」にて。

通常の各々の仕事の他にあれこれのイベント準備もかけもちして手一杯なはず なのにみんなとても生き活きしてる。「コミュニティ(地域社会)の活性化」 を真剣に考え、そして楽しんでる。

こういう活力が今きっと全国各地に沸き起っているはずだ。もう動きだしてる とこもあるだろう。まだ何をどうしたらいいのか悩んでるとこもあろう。
でも。きっと時代はこういうところからも変わっていくはずだ。実際に動きだ してる仲間がいるってことがもっと外に知れたらいいな。

聞くと。津村父こそ尾鷲では「変人」の称号を授かる有名人(笑)で地域活性 に飛び回ってる人なのだという。そんな人のもとでお世話になってるってのも やっぱり「呼ばれた」んだろうなぁ。


・(266)10/05/2002/三重県・尾鷲市(津村邸・紀州備長炭の家)/
尾鷲の漁港で月に一度の市が開かれる。その出店準備を手伝い。
釜に戻ったら大工仕事引き続き。明日の草刈り準備。

夜またネバガへ、津村母と。月2回ここではネバガカフェとしてオープン。
カフェという場を介したコミュニケーション。人とアイディアがくつろぎの中 で出会う。突拍子もないバカ話に笑いころげながらどんどんアイディアが膨ら んでく。会議でも打ち合わせでもない自然な形のブレインストーミング。

これだよこれ。こういう場こそもっと各地に起れば愉しくなるんだ。
眉間に皺寄せてうなってるよりずっと発展的なアイディアが生まれる。
こういう場では目先の「目的/達成目標」だとか持ち出さないほうがいい。
脳味噌ふにゃふにゃにしなくちゃね(笑)。

けれど。厳しい現状ってのももちろんあるんだ。ここの維持運営費だってタダ じゃないし。そこでネバガの面々は考えてる。

公共事業といってもピンからキリまであるが民間への委託という形で様々に進 められる。たいていは行政が選定した企業体・専門業者へ委ねられるが。軽作 業的なものに関しては定額請負で手を挙げた人の先着で任せらることもあるら しい。業者使うよりも安く(1/3程度にもなるらしい)行政としても積極的に 導入していきそうだ。
で。ネバガの面々は河川公園の「草刈り」に手を挙げた。年2回の作業で40万 円くらいになるらしい。
これだけで活動資金全額をまかなうには厳しいもののかなり大きい収入だ。

ボランティアという形態は美しい行為ではあるが、「続ける」ためのモチベー ションとしてやはりナニカに繋がっていくものがあればいうことはない。その 意味でこの「草刈り」は参考になると思うのだ。
金儲けのためではないが労働に対する報酬はちゃんともらっとくというのは。 奉仕してやってるんだという間違った優越感に浸ってる昨今のボランティア団 体の胡散臭さに比べてずっと潔い。
しかも行政から支払われる金=税金のコスト削減にも繋がるんだし。

もちろん見返りをまったく期待しないでただ純粋になにかしてあげたいって気 持ちってある。僕の旅はそういう純粋な善意に支えられてもいる。僕もいつか それに応えるなにかを誰かにしたいと思う。でも。それはボランティアのニュ アンスとうまく結びつかない。

そもそも僕は「ボランティア」という輸入言語は日本に馴染まないと思ってる。 本来的な語源は「意志ある行動」ってことだったと思うが、なんかどっかでね じ切れてる。(あ、ちょっと愚痴っぽくなってきたからやーめた。)

って訳で明日その草刈りをするというので僕も参加させてもらうことにした。 まぁ僕の場合は昼メシにみんなでカレーを喰うっていうイベント的な人々との 出会いにひかれてる部分もあったりなんかして(笑)。やっぱ楽しまなくちゃ。


・(267)10/06/2002/三重県・尾鷲市(津村邸・紀州備長炭の家)/
朝6時半、尾鷲市役所前集合。ネバガの面々以外にも活動に賛同する人達も集 まってる。海山町の現場に移動するとそこにも各地から集まってきた。最終的 には20人前後は居たか。
早速、草刈り機部隊、かき集め部隊、移送部隊に別れて作業開始。しかし草刈 り機の音がうるさく、近隣住民からクレームが入り、一時中断。予め、近隣へ の挨拶は済ませてあったものの早朝過ぎたか。

8時半作業再開。刈れども刈れども草の海は広し。皆ただ黙々と作業に没頭。 草刈り機のうなり音がデカすぎて会話が成り立たないからでもあるが。

一時間以上ぶっ通しで作業してるともう全身滝の汗。
休憩!との声も聞こえないので誰かが雄叫びのように吠える(笑)。

午前中である程度先が見えてきた。さぁカレーだ!(笑)ビールなんかも飲ん じゃって共同作業の連帯感から和気あいあい。ここでまたいろんな人を引き合 わせてもらい今後の旅もおもしろくなってきそうな予感。

しばしヒルネでまどろんでから午後もちゃっちゃとやっちゃいましょう。

予報では午後から雨と心配された天候だったが、終了まではもってくれた。
終了の片付けとともにぽつりとやってきたが。ふぅおつかれさまでした。草刈 りも重労働だったねぇ。

さて。明日はまた歩きだそう。結局一週間もここでお世話になっちゃった。
うれしいたのしい貴重な体験、出会いができてほんとによかった。ありがとう。


・(268)10/07/2002/三重県尾鷲市(津村邸・紀州備長炭の家)--八鬼山山頂/
午前中はのんびり旅仕度。昼出発と決めてその前に街に出掛けて食料など調達。

昼メシをごちそうになりながら、僕の出発前にかけつけたゴトーさんから“取 材”を受ける。まぁこれが新聞に掲載されるとは限らないし載っても全国版で はないので、ほとんど世間話の域を出ないお気楽対応。不思議なことに自分の 本名を告げる時になぜか躊躇と違和感を感じてしまった(笑)。

津村さんから滞在中のアルバイト代として一封もらってしまった。大した役に も立てなかったしさんざんごちそうをふるまってもらったのでつっぱねたが、 最後は断りきれず有り難く頂くことに。正直言えばすっごく助かった。感謝。

行って来ます!と挨拶して元気に歩きだす。しかし一週間かついでなかった荷 物は重いしやっぱり体中筋肉痛なのだった。たはは。

昨日、八鬼山山頂で野宿の予定だ、と言ったら暗くてこわいぞマムシ出るぞ熊 出るぞとさんざん脅かされたのでかなりビビリ腰ではある(笑)。登山口には 実際、熊出没目撃情報のビラまで貼ってあるし。

しかも八鬼山越えのルートは熊野古道中最も難所とも言われており、果してキ ツイ道のりだ。出発がちょっと遅かったかなぁ。峠を目前に辺りは既に闇。
まいったにゃあ。

それでもなんとか峠に到着!東屋もある。おお、ここで野宿だ。ロウソクの炎 見つめながら晩メシ喰いつつ津村さんにもらった酒を飲んで今日を締め括る。


・(269)10/08/2002/三重県八鬼山山頂-三木峠-羽後峠-熊野市甫母峠/
山頂は600mちょっとだが結構冷えたなぁ。朝メシ喰ったらとっとと動きだす。 予報では天気が悪くなる。下りの方がやっぱり脚の負担が大きい。筋肉悲鳴。

雨は降ったり止んだり。合羽着込んで歩くと蒸し暑くてたまらん。傘さしてぽ てぽて歩く。

峠道を上ったり下りたり。途中、古江という集落で野良猫41匹!に魚をやって るおっちゃんに出会う。彼が飼ってるわけでもないが、餌代に月12万円もかか っちゃってねとうれしそうな困惑顔。地曳網の仕事を紹介してやろうかとお誘 いを受ける。またここに戻ってきたらそれもいいかも。

今日は朝からよく歩き通したな。さすがに疲れた。甫母峠まで上れば雨がしの げる東屋でもあるかなと期待して体力しぼってみる。
雨の古道も情緒があるものだが、疲れすぎてるともう足下しか見てられないな。

また日が暮れちゃった。真っ暗。しかも雨。頼む東屋あってくれ。あった!助 かった。暗闇でよく見えないがお地蔵さんに挨拶して今夜はここに落ち着く。

ロウソクは昨日で使い果たしてしまったので懐中電灯をコンビニ袋でぶら下げ て晩メシ。するとその明かりに反応したのか暗闇茂みに緑の光点がひとつ明滅。 蛍、か?こんな時期にまだ。なんだかこのうらさびしい雨の夜の峠に相棒がで きたようでなんだか元気付けられる。


・(270)10/09/2002/三重県・甫母峠--二木島峠--逢神坂峠--波田須神社/
天気は好転。むしろ暑い。でも森の苔や木々の緑が明るく生き活きしてる。
前後左右上下すべて緑の中を歩く。屋久島の森を思い出すなぁ。

清流で昼メシ。手足を浸し頭から顔洗うと気持ちいい。水筒代わりのペットボ トルの水も補給。津村さんとこでもらった炭がペットボトルに入れてあるから うまさ倍増さ。

峠を下ると目の前には新鹿の海。綺麗だなぁ。一服してしばし海を眺めてる。 銀色の体をきらめかせて魚がジャンプジャンプジャンプ。

民家の敷地を済まなそうに横切りながら古道は続く。石畳の感じが今までとち ょっと違う。ここら辺は鎌倉時代の石組らしい。熊野古道には(平安、)鎌倉、 江戸、明治とそれぞれ道のつくりかたの変遷もあるのだ。

波田須神社にはまだ日も暮れぬうちに到着したがここから見下ろす海の景色が いいのでもうここで落ち着く。

あ、お月さん、久しぶりぃ。元気そうでなにより。


・(271)10/10/2002/三重県・波田須神社--大吹峠--松本峠--熊野市街/
天気はからっと快晴。朝の目覚めもよし。イエーイ。ふふふん。

波田須は。秦の始皇帝の命により不老不死の仙薬を求めて中国から500隻もの大 船団を率いてやってきた徐福が上陸したと伝わる里。らしい。波田須は。秦住 が語源とも。
で。徐福の宮という墓がある。そこに参ってみる。そこへたどりつくまでの集 落の景色がなんともいい。山から海への急斜面にひっそりと、でもしっかりと 根付いた木々のように屋根波が続き段々の田畑がつづく。朝日に輝く黄金の海 を見下ろしてしばしぼえぼえと煙草をくゆらす。

徐福一行以外の船は波にさらわれた。徐福たちを救ったのは当時この地に住ん でいたたった3人の住民。徐福はこの地に根を下ろし彼らに中国の最新技術を 教え伝えた。という。
徐福がこの地に骨を埋めようと覚悟したのはこの風景に惚れたからだとも思う。

この海と集落を見下ろせる位置に「天女座」というホール&カフェがあること はこれまで歩いてきた中で知り合った人脈から聞いていた。で。訪れてみた。 が。金土日祝しかオープンしてない。今日は木曜日。うーん残念。置き手紙だ け書き残してくか。またチャンスはあろう。

さて。あと二つ峠を越えれば熊野市街だ。尾鷲から三日、車ならあっという間 の距離なのにね。
大吹峠へはこれまでの杉/桧林の道とはまた趣が異なり美しい竹林を進む。
鹿や猪が似合いそうだが突然飛び出して来れらても困るが(笑)。
峠を下ると目の前にはまた海。大泊の海岸。すっごい透明度。うおー。思わず 歓声。綺麗。一服してしばし海を眺めてる。

松本峠を上り始めると小学生達が先生の引率のもと下りてくる。こんちわー。 峠からはさらに鬼ヶ城を巡るハイキングコースが続く。ちょっと寄り道して展 望休憩所まで行ってみる。お、おおっ。眼下に広がる熊野市街そして延々と彼 方までつづく七里御浜(日本の渚100選)。うーむ、ここで野宿もイカスなぁ。 あ、食料がないや、残念。
とりあえず昼メシそしてヒルネ。

街に下りたら木本神社は祭りの準備?御輿が外に出されてる。祭りの前のわく わく感、町の浮足立つ気配が僕にも伝わってくる。

熊野の街も細かい路地がわくわくするねぇ。放課後の小学生たちがランドセル かたかた鳴らして走り去ってく。銭湯が2軒。銭湯がある街は(それを利用す るしないに関わらず)無条件に合格!(何に?・笑)

市立図書館には無料で使えるネット接続用パソコンがある。早速利用させても らう。こちらから現在地を発信しない限り僕はいつまでも行方不明だからね。 アロー、元気に歩いてます。

津村さんに紹介してもらった山本さんに連絡とってみようか。ところがなんと 現在、徳島だって。ありゃりゃ残念。

じゃもう食料調達して野宿できそうな公園探しするか。
スーパーの店先で地方物産売り巡ってるにいさんに気さくに声をかけられる。 昨日歩いてた?どこで寝るの?
にいさんは商品積んだ車で寝泊まりしながら各地を転々とする旅商人。一度出 ると一ヶ月は帰らないそうだ。それが仕事とはいえ彼もまた旅人に違いない。

熊野市駅で周辺地図を眺めながら適当な公園を探してると。後ろから聞き覚え のある声。ほうばい!えっ?あにやん!びっくりぃ。公園探してるんですけど。 お、あるよ。ここをこう進んで・・・。
津村さんたちに元気に歩いてるって伝えといてくださいね。ぢゃまた。
なんかすっごくうれしくてスキップしたくなってる。ふふ。

さあて。めざす公園が実は結構な距離だったりするのは後になってわかった。 もう日は落ち真っ暗。まいったっす。あの照明が山崎運動公園であってくれよ。

最初に見えたのは高校の校庭の夜間照明だった。がっくり。じゃあその先は? やったやっと見つけた。おお、なかなかいい感じ。ふう。水場もトイレもすぐ 近く。オッケー。
あ、お月さん。今まさにこれから山の向こうに沈みゆく。地上の対象物ととも に見てると月の動きってほんとにはやい。瞬きしてる間にだってずんずん動く。 やあやあやあ。今日もおつかれさん。一日の終わりに乾杯!


・(272)10/11/2002/三重県・熊野市(山崎運動公園-波田須-獅子岩近く)/
朝6時直前起床。ちょうど朝日が目の前に昇ってくる。美しい朝焼け。肌寒さ も太陽の熱とともに清々しさに変化する。

山本さんに再び電話してみると。仕事行く途中でちょっとそこの公園に寄るよ とのこと。日記つけたりしてるところに満面の笑みを携えて山本さん登場。は じめまして、海月です。

津村さんからもおかしな旅人がそっちに行くからと吹き込まれてたらしい。が。 僕も津村さん繋がりの人ならきっとおもしろい人なんだろうと興味津津。

山本さんも市議会議員の顔も持ってる。マモさんといい山本さんといい僕が今 までいだいてた先入観、偏見は改めなくっちゃだわん。とにかく人間としてお もしろそう(目上の人に対して失礼な言い方だろうけど)。

話しがどんどん盛り上がってしまって山本さんはすっかり仕事に行くことなど そっちのけモード(笑)。
ふいっと天女座の話題になり実はあそこには山本さんもからんでることを知る。 昨日は休みだったから置き手紙してきたことを言うと。じゃ今から行ってみる かってことに。
漠然とした予感通り、天女座を訪れるチャンスがきたってわけだ。

これだ。このノリ。こういうフレキシビリティ。これが予定を立てない行き当 たりばったりな旅の醍醐味。あっもしかしたら僕が旅で出会ってきたおもしろ き人々の共通点はこのノリかも。

丸一日かけて歩いた道のりも車ではあっという間だった。
天女座はもともと工場だったものを改造改装した空間。ギャラリーもホールも とても洒落てていい感じ。カフェからは太平洋を一望。素敵!

玄米の薬膳カレーを山本さんにおごってもらう。うまし。

今日は残念なことにここのオーナーでありシンセ奏者の矢吹紫帆さんは不在。 熊野古道PRキャラバンツアーに出てしまっていて、現在、大分・由布院だって。 (あ、親戚のこどもらは元気かなぁ)またきっと出会うチャンスはある、よね。

山本さんの友人の物ではあるけど空き家になってて自由に使える家があるが。 しばらく熊野に居るなら使ってかまわないよ。と素敵な提案。じゃ早速と移動。 まったくこの方の行動力、瞬発力ってすごい。

空き家から想像してたのとはまったく違ってすごくきれいにしてあって電気も 水道もガスも風呂もトイレも冷蔵庫(アルコホール満載・笑)も全部生きてる。 部屋は6畳間三つがふすまぶちぬきで開放。ブラーボ!素晴らしい。ここでひ とりでのんびりゆっくりしてればいいとのこと。さらに晩メシはあとで運んで くれる、と。なんてゼイタクなもったいない待遇。感謝。

山本さんが仕事に出掛けると僕はひとりこの家でうろうろしてしまったが。日 記もたまってるし、また図書館でネットしに行ってもいいな。それよりまずは 風呂に入って洗濯しよう。

風呂あがりに冷蔵庫のビールを拝借。効くぅ(笑)。ヒルネしてから図書館ネ ット。帰ってきたら本棚物色して読書。そこへ山本さんの奥さんが食事を運ん できてくれる。突然やってきて申し訳ありません、お世話になります。

ひとりで喰うには多めの夕飯。鍋にはすき焼き!酒のあてになりそうな〆さば その他。ヱビスビールもついてるよ。最高!ちょっと多いかもと思いつつむさ ぼるように平らげる。うまいぃ。大満腹。しばらく動けないほど。

もう何からどう感謝していいのかこの旅の仕合わせな境遇にただただ有り難や。


・・・(つづく)[02.10.12] 海月
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