__Walk_in_the_moonshine,_and_drink_like_a_jellyfish.__

[01.11.01] 

〜海月の放流〜 003

□前回までのあらすじ:
日常は旅のなかにある。旅は日常のなかにあった。


●『ラッチョ・ドローム - Latcho Drom(よい旅を)-』

ここ数年、ロマ(ジプシーともいう)への興味は大きなうねりとなり、血と肉 は強襲され揺さぶられている。音楽、映画、歴史、生きざま。

インドから歩き始めた民は西へ西へと移動し、アジア、アラブ、ヨーロッパ圏 を流浪する。行き着いた先がフラメンコだ。その先、タンゴ、ラテン・アメリ カとの関連まで続くのだろうか。この辺りはまだよく知らない。
インド発の東回りの文化というのもある。その行き着いた先には日本もある。 インターネットも通信衛星も国際電話も国際郵便もない千年以上も前から人々 は地球を歩き巡っていたのだった。

ただしそれは多くの場合、為政者の提示する主流から外れた(もしくは意図的 に排除された)アウトサイダーたちだった。彼らアウトサイダーあるいは動き 回る分子『ネットワーカー』の働きが結局のところ、主流派にとっても見逃せ ないキーとなってくるのだが。

ヒッピー、サブカルチャー、アンダーグラウンド、・・・。あまりにも浮き足 立っているように見える。アウトサイドのものたちを外側からつまり主流の内 側から見ると実に胡散臭い。それなのになんだか妙に楽し気だ。
けれども。アウトサイダーになったところで楽しいとは限らないのだった。
安定も信用も保証/保障も、ない。

ジプシーに憧れ焦がれるほどに自分が日本人であることを突き付けられる。
それを肯定しようと思う。
ただ。日本人って何なのだろう?
そんな問い方ではきっと答えは出ないだろうから、わしは思う。
「日本人であるわしはなにに興味を抱き、共感共鳴し、反発するのか?」
日常の旅の中で日々出会うあれこれに思う存分、思考とからだを遊ばせてみた い。麻痺させられる前に!

その方法の一つとして、会社を辞めた。
その方法の一つが、旅に出ること、かもしれない。

保険や所属や肩書の鎧を脱ぎ捨てた生身のわしはどこまで通用するのか?
木枯しの一吹きでさえも吹き飛んでしまいそうだ。
雪のひとひらにさえ押しつぶされてしまいそうだ。
けれどもそこにはそれほどまでに微妙微細なものを感じられる細胞が躍動して いる。
細胞たちは踊りたがっている。
脳細胞は思考したがっているし、体細胞は舞いたがっている。

運命によってすべて決まっていてもよい。
すべてはお釈迦様の手のひらの上でのことでした、でもよい。
それならそれで。思いっきり踊ろう。

わしはもうそう決めたのだ。わしも螺旋に気が付いてしまっていたのだ。

・・・(つづく)[01.11.01thu 満月] 海月
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