__Walk_in_the_moonshine,_and_drink_like_a_jellyfish.__

[01.10.01] 

〜海月の放流〜 002

□前回までのあらすじ:
『日本を、徒歩で、1年以上』旅をすることにした。・・・それにしても。
未だに地図すら広げてはいないのだった。


●『旅人 - Wandering Jellyfish -』

[Wandering Jew]
━《名》[the 〜] さまよえるユダヤ人(刑場に引かれるキリストを侮辱した罪 で、最後の審判の日まで世界を流浪する運命を与えられたという中世伝説上の 人物) [研究社新英和中辞典第6版]

旅人はお気楽なもんだ。居心地のいい場を転々と漂っていればいい。その場を 離れるときにはもう次の場に気持ちが移行しつつあるから、新しいナニカを追 ってゆけるから、寂しくない。でも。
残される立場の者はいつも哀しい。そこでの生活はまた変わらずに続けなくて はならないから。去る者を追うことはできないから。新しいナニカは(来ない かも知れないのに)ただそこで待つしかないから。
できるなら僕はずっと漂っていたい。浮游していたい。海月のように。

旅から戻る。と。必ず訊かれる。「どうだった?」どうもこうも。まだ頭の中 で整理がつかなくて。「うん、まあね、よかったよ」と生返事。それが本当に 印象深く衝撃的な旅であればあるほど。

旅から戻る。余韻を引きずりながらも日常社会生活への若干のリハビリ。
再びたんたんとした日々の生活。くうねるだすの連続。

旅は非日常なんて誰が言うのだろう。旅には旅先での日常があり旅人としての くうねるだすの連続がある。たしかに。「旅はいつも旅人の入って行けないと ころにある」のかも知れない。旅先の人々の日常を自分と置き換えることは決 して出来はしない。なにも手出しは出来ないし無責任で無力だった。
それを非日常と呼ぶのかも知れない。
けれども。
こちらとあちらを行き交うことが長いスパンでの日常ということだってあるだ ろうに。

日常の繰り返しのなかで。ふとしたことで気付く。
「あ、そうか。あの旅はこういうことだったか!」
気付くには消化吸収のための時間と発火起爆剤が必要なのだった。そして。
その気付きを日常のなかに練りこんでゆく。
いろんなものを混ぜ合わせて練りこんだ旅人はまた性懲りもなくスパイスを求 めて航海に出る。

旅は。旅の始まりとともに終わり旅の終わりとともに始まる。日常は旅のなか にある。旅は日常のなかにあった。

このところ旅行には出かけていない。なんらかの交通手段を利用して別の町へ 移動する「旅行」には出かけていない。
けれども。
国内外を問わずいまいる世界と別の世界とを行き来することを「旅」とするな らわたしは毎日、旅をしている。本の世界。映画の世界。芝居の世界。絵や写 真の世界。うたの世界。インターネットの世界。言葉の世界。仕事の世界。メ シづくりの世界。眠れば夢の世界。時代も場所も縦横無尽に行き来している。 そうか。そうだ。
わたしは日常生活のなかで時空の旅人だった。空想の旅人だった。

そして。様々な空想と現実を練りこんだ旅人は少しずつ・・・おいしくなるか な?おいしくなるさ!

・・・(つづく)[01.10.01mon 中秋の名月] 海月
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