Loop

 


 好きだと何度も告げた声は、終わりに近付くにつれ啜り泣くような嗚咽にしかならなかった。ひどく自然に引き合った唇も、抱かれた身体も、よく思い出せば少し前に重ねたばかりなのに、泣きたいくらいの懐かしい感触を思い出させた。
(あー……目ェ痛……)
 腫れぼったい目を擦りながら、その朝和秋は雄高より早く起床した。隣を見遣れば、まだ寝息を立てながら目を閉じたままの雄高が見える。寝顔をよく見る日だと少しだけ笑って、和秋はゆっくり身体を起こした。
 充分なほど慣らされたおかげか、それほどダメージは受けていない。許してと乞いそうになるくらい濡らされて広げられ、恥かしいくらいに欲しがった記憶を思い出しかけ、慌ててかぶりを振る。そんな恥かしい思い出は要らない。
 シャワーが先か、食事が先か。いい加減背中と腹がくっ付きそうな空腹を押さえ、散らばった衣服を掻き集めた寝室を出た和秋が結局向かったのは浴室だった。
 抱かれている間、飽きなく唇から零れたのは雄高の名前と、過去あんなにも抵抗があった短い言葉。何があっても口に出来ないと思っていた、恥かしいたった二文字の言葉が、溢れるように口を突いて出た。
 開き直りは恐いと、ひとり笑いながら少し熱めのシャワーを浴びる。甘いような気だるいような余韻を洗い流すには、これくらいで丁度いい。
 ――傍にいて、愛したい。
 ただそれだけだと口にする度、背中に縋りつく度、狂おしいくらいのキスを与えられて、愛されていると錯覚しそうになった。雄高が自分のことを愛していようとなかろうと、大した問題ではない。そう、例え彼が一番大切にしているのは、自分ではなくとも。
 ――愛したい。
 雄高の傍にいれば、何度も何度も苦しむのだろう。あの人が追う全てのものを許せるには、まだまだ時間がかかる。簡単に諦めてしまえるくらいなら、最初から恋はしなかった。
 けれど愛したい。
 やさしくなんてしてくれなくていい。自分のことなんて考えなくていい。その代わり、一番に弱い部分を自分にくれたら、それでいい。
 それが答えで全てだ。
 シャワーを浴びながら視線を落とす。何となく、排水溝に移そうとした視線を、自分の身体の上で留めると、唇を受けた証拠が無数に残されていた。それを見るなり、どうしてかまた笑いたくなった。
 恋人にはなりたくないなんて、どの口が言っただろう。あんなに愛されてただ幸せだった自分が、どうしてそんなことを口にできただろう。
 忘れなければいいと思う。
 何があっても、二度と忘れることがなければいい。
 胸の中に根付く暖かなそれが全てだということを、この腕が、あの人を抱き締めるためにあるのだと自分で信じられるようになるくらい、強く。
 

 シャワーを浴び終え、浴室から顔を覗かせたときにも、雄高はまだ眠っているようだった。どちらかといえば他人の気配には敏感で、和秋が目を覚ました数分後にはすぐ起きてくるのが常だったのに、いよいよ珍しい。
 ソファに座り込み、背中を丸めながら、そう言えば一度だけ似たようなことがあったのを思い出す。密やかに別れを告げた、大学の合格発表の朝だ。あの日は雄高を起こさないように細心の注意を払っていた。雄高も疲れが過ぎていたのか、一向に起きる気配もなかった。
 強い決心を固めてさようならと寝顔に告げた切ないあの朝は、まさかこうなるとは思いもしなかった。けれど予め決められていたのかもしれないと、今なら思う。
 別れても離れても意固地になっても、忘れられるような想いではなかったのだ。
 なら、自分が譲歩するしかない。愛して愛して愛し尽くす以外に、自分が採れる道が思い浮かばなかった。
 そういえば、と顔を上げ、時計を見上げる。自分の学校は休みだが、雄高の仕事は大丈夫なのだろうか。土日が定期的に休みのような親切な職業ではなかったはずなのに、彼は今だ夢の中だ。仕事があるかないかだけ確認しておいた方がいいだろうか、それよりもいっそ今起こした方が親切だろうかと迷いかけたそのとき、盛大な物音が寝室から響く。
「なっ……」
 何かが破壊される音にも似て、何かが転がるような音にも似たそれは、やがて荒い足音となって勢いよく寝室のドアを開いた。勿論そこから顔を覗かせたのは雄高である。
「……な、なに……?」
 いとも簡単に和秋を見つけ出した雄高の視線は一瞬固まり、その後、どことなく気を抜かれたような表情になる。
「……いたのか」
 何とも言えない表情をして、問いかけるというより自己確認のように放たれた言葉には、和秋の気のせいでなければ安堵が含まれている気がした。
「……朝から何をそんなに慌ててん。仕事?」
 予定していた仕事があり、それに寝過ごしてしまって慌てて飛び起きたというのならまだ納得が行く。どちらにしても雄高らしからぬ失態であることは間違いない。しかし雄高はいや、と首を振り、
「おまえがいなかったから、……出て行ったのかと思って」
 暫くの沈黙の後、口篭もりながら告げた。
「……何て顔してん……」
 雄高は雄高で驚いたような顔をしているが、その勢いに驚いたのは和秋の方だ。
 どうやら一度、ベッド付近で足を滑らせたらしい雄高は、今更の痛みに顔を顰めながら頭を掻く。
 泣きたいのか笑いたいのか判らない、ひたすらに正体不明の何かに苛まれる痛みが、断続的に心臓を弾ませる。痛いのに、不愉快ではない。
 ――今も、まだ、
 何て顔をしているのだろう。こんなに慌てることではないのに。自分を探して血相を変えて、見付けた途端安堵を滲ませるような雄高など、知らないのに。
 離れない。何があっても、もう二度と離れてなどやらない。
 言ってやる代わりに、泣きたい顔で笑った。
「ええから顔洗ってこいや。飯作ったるから」
 ただチリチリと胸を焼かせる痛みを殺して和秋は雄高を洗面所に追い遣る。
 ――今も、まだ愛してる?
 もしもそう尋ねたら。
 ――あんたは、何て答える?



 ゴール地点を切った瞬間、タイムを計ってくれていた友人へと視線を流す。身体は充分に暖めたあとで、走った後の感触は悪くはない。恐らくこれが現在のベストだろう。
「タイムは?」
「十一秒一。ブランクあったわりには速いんじゃない?」
 履き慣れないスニーカーは、中々足に馴染んでくれず、確かに和秋を梃子摺らせていた。しかしそれだけが理由ではない結果に、伝う汗をシャツで拭いながら和秋は僅かに顔を顰める。
 ――やっぱり、こんなものか。
「せめて十秒台に戻れるようにしたいんやけどなあ」
 一秒の壁がとてつもなく厚い世界だ。やはり昔のように走れはしなかったかと思うと、判っていても胸が苦い。全力で走ってみて初めて感じた体は重く、せめて十秒台を維持できていればいいと思えていたのは自意識過剰だった。
「てか無理に走ったら肉離れとか起こすんじゃない?」
「うん、やから今日はこの辺にしとく」
「早ッ」
 高校までは柔道部に所属していたという小柄な友人は、和秋がすぐに諦めたのを見て取ると腹を抱えて大笑いした。それに付き合って、軽く笑い返してから、和秋はすぐに表情を引き締める。
「やっぱちょっとずつ勘を戻すんが先かなあ。走ってばっかでもあかんやろうから、基礎トレから始めるわ」
「それならそういうのに詳しい先輩がいるから、あとで紹介するよ」
「ん、頼むわ」
 バイトまでの時間を見付けて何度か参加した陸上部の活動は、案外すぐに馴染むことができた。部員数は十名ちょっとという小規模のサークルで、うち陸上経験者は三名という大半のメンバーが初心者の中、気負わずに走れる雰囲気が丁度いい。
 まだ名前の判る部員は少ないとは言え、出会った部員たちは途中入部を希望した和秋を歓迎してくれた。
「先輩、ちょっとこいつの相談乗ってやってくれません?」
 友人が声をかけたのは、グラウンドの隅でノートと睨めっこをしていた三年生の大柄な先輩だった。この先輩とは初顔合わせだ。
「矢野って言ったっけ?」
 牧という名の三年生は、近くに寄った和秋をじろじろと無遠慮な視線で上から下まで眺め、やがて得心が行ったように手を打った。
「どっかで見たことあると思ってたら、もしかして岸田か? 大阪の」
「ぁー……はあ」
 曖昧に頷いた和秋を余所に、体格の良い先輩は大らかに笑って和秋の肩を叩いた。
「そうか、あの岸田か。俺国体見に行ってたんだよ、後輩が出場しててさ。うちに来てたんだなー」
「え、なに。矢野って岸田って名前だったの?」
「……母親が再婚してん」
 高校のころに、と小さく呟くと、先輩と友人は納得が行ったようにそれぞれ頷く。
「そっかあ、人生って色々だよなあ」
 二人は顔を見合わせると感慨深げに言い合い、早速とばかりに練習メニューが書き込まれたノートを広げた。
「前に陸上やってたヤツだと指導が楽で助かるわ」
「すみませんね、素人で。よかったら受け身の取り方教えますよ」
 ――それだけかい。
 あまりにもあっさり流されてしまった自分の過去に、逆に和秋は拍子抜けする。もっと深く突っ込んで訊かれるものだと思わず構えていた自分が、馬鹿らしくなった。
 ――そんなものかもしれない。
「――岸田、ああ矢野か、矢野のメニューはこんなところだろうな。まあ気楽にやろうや。誰も急かしはしないから」
「はい」
 きっと、そんなものなのだ。
 あまりにも小さな世界に生きていた自分は知らなかった。
「短距離なら四年生の三田って人が専門だから、あの人にも色々話を聞くといい。俺は走り幅跳びだからなー」
 誰が気にするだろう。
 あんなに短かった時間のことを。
 あんなにも一瞬で、けれど眩しいくらいに輝いていた時間のことを。
 自分の中だけで輝いていればいい、そんな思い出のことを、今更誰が嘲るだろう。
「前みたいに走れなくて暫くは悔しいかもしれないけど、のんびりやろうな」
 今会ったばかりの先輩に励まされ、和秋は心から笑顔を浮かべて頷いた。
 始まっていく。
 切ないくらいに胸を占める喜びに、ここからまた道は始まっていく。
「はい、よろしくお願いします」
 ――喜びに、心から笑った。




 三日振りに取材と言う名の小旅行から帰宅した雄高を出迎えて、和秋は指に挟んだ鍵を振り回す。
「来たか?」
「来た来た。洗剤とかは持ってこぉへんかったけど」
「毎回洗剤を持って来ていたら新聞屋も割りに合わないだろ」
 出かけている間、新聞屋が料金の徴収に来る予定だから留守を任せたいという雄高の頼みを断る理由はなかった。頼りたいときに頼れと己の口から言った手前、断ることはできない、――にしても、これはさすがにない。
「なんで振り込みにせえへんの」
「大概家にいるときに来てくれるから、あまり必要を感じていなかったんだが。――今度切り替えておこう」
「そうして」
 毎回新聞屋のためだけに留守を任されるのは望ましくない。途轍もなく不便というわけでもなかったが、ここからバイト先や大学に通うのは、自分のアパートに比べると手間がかかる。
「これから先はずっとこんな感じなん?」
「暫くはな。再来月は半月くらい出る予定だ」
 徐々に活動の場を広げているらしい雄高は、最近ずっとこんな調子らしい。仕事の対象となるものが、手軽に撮れるものや場所だけではなくなったということなのだろう。これからはもっと長期の不在が続くかもしれないと告げられたとき、一瞬だけ過ぎった寂しさに似たものはこの際なかったことにしておく。
「……年末はこっちに長くいられるようにしておく」
「無駄な気ィ遣いなや」
 寂しいだなんて間違っても言いはしない。雄高の長年追っていたものが、現実として目の前にある。それを引っ張るような真似だけはしないと決めていた。
 待てと言うのならどれだけでも待ってやろう。
「春休み、時間は取れるか」
「……なんで?」
「祐正を連れて北沢さんに会いに行く予定にしてる。時間が取れそうなら三日四日くらい空けておけ」
 その代わりとでも言うように、雄高は時折和秋を誘った。勿論学生の身で、長期の取材には着いていけるはずはない。せいぜい雄高が単身で向かい、日帰りで帰れるような距離だ。
「……考えとく」
 雄高の仕事に着いていっても、和秋が役に立つようなことは何もない。仕事中はすぎるくらいに口を利かないこの人は寡黙で、話相手にもならないが、カメラを持った雄高をぼんやりと眺めながら時間を潰しているのが、実はそんなに嫌いではない。
「北沢さんなあ……コンプレックスはどうなってんの、まだ人撮れへんまま?」
 そう言えば、と思い付いたままの疑問を口にする。雄高の言葉を借りれば、人間の深い場所にある感情を焼きつけることに長けていた北沢に、この人はコンプレックスのようなものを持っていたはずだ。
「仕事では撮らない」
「……まだあかんの」
 らしくはないと思いはしたものの、雄高には雄高なりの理想や憧れというものがあるのだろう。目の前に憧れや自分の目指す到達点があるのなら、多少なりの劣等感も仕方ないかもしれない。
「……そのうちな」
 しかし雄高は少しだけ笑って、曖昧な答えを口にした。
「そのうち、何?」
「そのうち、撮りたいものがある。それなら北沢さんに負けないくらいのものが撮れるかもしれない」
 だからそのうちだ、と雄高はどことなく楽しそうに言っているが、和秋にはいまいちよく掴めない。
「それって、なんや。人なんやろ?」
 北沢に負けないくらいのもの、ということは、恐らく人物を被写体にした写真を撮るつもりになっているのだろう。仕事でないということは、プライベートで撮るようなものなのかと首を傾げる。
「そのうち判る」
 何を尋ねてもそのうちとしか答えない雄高に諦めて、和秋は深々とソファに背中を預けた。何度訊いても答えが同じということは、今は何を言っても答えるつもりがないということだ。そのうちと雄高が言うのなら、そのうち判るのだろうと結論に至る。多分自分には理解することができずとも、理想に近付くために自ら課してきたことに、何らかの打開策が見えてきたというのなら喜ばしい話だ。
「今日な、入部届け出してきてん」
 荷物をあらかた片付け終え、漸くソファに腰を降ろした雄高に報告する。今までは仮入部のつもりで活動に参加していたが、現在の己の限界を知って決心が着いたのだ。
「走れたか」
「全然あかんかった、もうちょい走れるもんやと思ってたんやけどなあ」
 今はこれくらいしか走れない。けれどこれからの努力次第では巻き返すことも可能かもしれない。そう思えた自分が、嬉しかった。絶望せずに、前を見据えて決心することができた、そのことが。
「バイトもあるし、そう頻繁には参加でけへんけど、それでもええって言うてくれたし。――ああ、ジャージ買わされるんやった……」
 大学名とサークル名が恥かしいくらいにでかでかとプリントされたジャージを購入することは、お決まりのようなものだ。デザインの割りには値の張るそれを考えれば目の前は暗くなる。
「俺に借金しとくか、利子は十一で」
「冗談やろ。……ああ、これ返しとくわ」
 十日で一割の利息をふんだくられては堪らない。顔を顰めながら、今まで手の中で遊んでいた合鍵を雄高の掌に落とす。
「あんたが不在の間、ここにおるのはかまへんけどな。ちょっと無用心なんやない? 合鍵渡すのは家族か恋人だけにしとき」
 出かける際預かっていた合鍵を返すと、まだ言っているのか、と呆れたような顔をして、雄高はまた和秋に鍵を投げて寄越した。
「――いい加減に諦めろ」
「何を?」
 再び自分の手元に戻って来た鍵を握り締め、素知らぬ顔で言い返す。和秋のこの態度には雄高も慣れたもので、同じくらいの素っ気無さで言葉を返した。 
「あと二年は口説いてやる。それまでに観念しとけ」
「……気が長い話やな。なんで二年なん」
 待ってくれるのは一向に構わないが、どうしてそんな半端な数字なのだと顔を顰めた和秋に、飄々とした顔で雄高が答える。
「さすがに俺も、三十になったら身の振り方を考えなきゃならないからな」
 ほんの一瞬息を詰め、身体を強張らせた和秋を見て、雄高は愉快そうに笑う。してやられた、と和秋は低く唸った。
「――強迫かい」
「そう思うなら思え」
 こんな話をしている最中に、そんな現実を持ち出すのは狡い。雄高がまさか結婚なんてことを考え出したら、自分は黙って身を引くか、それとも泣いて取り縋るかのどちらしか選べなくなってしまう。
「だから今のうちに俺を選んでおけと言っているんだ」
 キスもセックスも当たり前に戻ってしまった今、恋人にはならないなどという言葉が、どれほどの意味を持つだろう。なのに、和秋が事ある毎に口にするそれに、どうやら雄高は固執しているらしかった。
「……けどなあ……」
 恋人にはならなくていい。その思いは今も残る。キスをして、抱き合って、躊躇いなく名前を呼んだ後に好きだと告げる。それが可能になった今この瞬間にも、恋人という名前を与えたいとは思えなかった。
「あんた、愛してるって言うてくれへんし」
 それはただの言い訳にすぎない。いい加減にしろと言われても、意固地に和秋が首を振り続けているのは、或いは面白がっているだけなのかもしれなかった。
「……」
「ほらすぐだんまりや。あんたいっつもそう」
 恋人という単語に雄高が執着しているらしいことが、ただ嬉しく、そして面白いだけなのだ。
 言葉ひとつに何を拘ることがあるのだろうと、おかしかった。
 自分のすべてを所有してしまっているこの人が、言葉なんかに拘っていることがおかしくて、嬉しい。
「――言ったら、恋人になるか?」
「言えるんか? あんたうそつきやのに」
 他愛のない言葉遊びに見え隠れする想いが、自分の胸をこんなにも暖める。雄高が自分を愛していようとなかろうと関係がない。だからこそ言える。
「うそつきの愛してるは要らへんで」
 笑みさえ浮かべて言える。あんたは、言えないだろう。そんな恥かしいこと絶対に口にはしないだろう。――そう思いながら、揶揄できる。
 しかし和秋の余裕も、それまでだった。
「死ぬ直前になら言ってやる」
「……は?」
「だからそれまで傍にいろ」
 なんてうそつきだと笑いかけて、結局は笑えずに、手の中にある鍵をぎゅっと握り締める。封筒に入れてポストに投げた、あの日の、銀色の鍵。さようならと泣きながら手放したその鍵が、再びこの手に戻って来た。
「……死ぬ直前って、そんな余裕あんの?」
「知らん」
 なんてうそつきだ。無責任な大嘘だ。
 もしもそれが本当に嘘なら、人生を賭けた嘘だと思う。
「……しゃあないなあ」
 鍵を掲げて、反射するその眩しさに目を眇める。
 戻って来た。
 全てが戻って来た。
 ――今なら動くかな。
 壊れずに、上手に、歯車は廻るかな。
「ほんなら、死ぬ直前に恋人になったるわ」
 まだ言うか、と盛大に顔を顰めた雄高に、和秋は声を上げて笑った。