チャイムを鳴らすのは形式だけで、中から扉が開かれるのを待つことはない。大概この家は有人で鍵はいつでも開かれているし、もしも鍵がかけられているときであっても合鍵を持たされている。複雑な事情が重なって幼い弟と二人暮らしをしている幼馴染から、何かあったときのためにと数年前渡された。今のところ、この鍵を緊急で使うようなことは起こっていないから幸いなのだろう。
この時間なら幼い――と言ってももう高校生の――弟の方は学校だ。兄の方は吃驚するくらいの面倒臭がりだから、玄関に客を出迎えたりすることは皆無に等しい。それぞれの事情をすっかり知り尽くしている雄高は、チャイムを押すだけ押して玄関を開ける。リビングかそれとも自室かと少しだけ迷って、結局先にリビングに顔を出すことにする。
「恭一、お袋から差し入れだ。親戚が送って来たんだとよ」
そして自分の勘は正しかった。幼馴染である楠田恭一は、ソファにだらりと身体を弛緩させ切ってテレビを眺めていた。まるで軟体動物のようだと思いながら、勝手知ったる他人の家とばかりにもうひとつ置かれたソファに腰を降ろす。
軟体動物は面倒臭そうに視線を上げると、胡乱な眼付きで雄高を見た。
「――何?」
「葡萄。箱いっぱいに詰めてきたらしくてな。俺も一房押し付けられた。――好きだろ、ヨシが」
「あぁ、サンキュ。あとでおばさんに電話しとくわ……」
テーブルに置いたビニール袋を見て、恭一は表情を少しだけ和らげる。幼馴染みと言う関係なだけあって、彼は雄高の母親とも親しい。雄高自身が恭一の母親に世話になっていた分だけ、彼も雄高の母に世話になっているのだろう。
「おばさん元気か? 暫く顔見てねェけど――」
「おまえと由成がちゃんとメシ食えてるか心配してたな」
恭一は声を上げて楽しそうに笑い、漸くソファから重い身体を起こす。意外と眼は覚めていたらしい。ぼさぼさの頭以外は顔付きもしっかりしていた。
「――あのひとん中じゃ俺はまだ不器用なガキか」
「ついでに俺の中でもおまえは未だに不器用なクソガキだ。――仕事は?」
「何本か抱えてるのはあるが、まだ余裕はある。超順調」
テーブルから煙草の箱を引き寄せながら恭一が上機嫌に答える。そこから一本拝借して、雄高はポケットからライターを取り出した。
「ライターがあるんなら持ってんだろ、煙草」
「丁度切れてるんだ。一本くらいケチるな。――ところで俺は来月から二週間程いないからな」
「――仕事?」
「趣味で二週間も旅行が出来りゃ良いんだが」
紫煙を吐き出しながら苦く言うと、出来るだろおまえなら暇人なんだから、そうやって盛大に笑われる。何を隠そう自分に暇人という有り難くないレッテルを貼り付けたのは、この友人なのだ。
「写真の方か、」
「……半分だけな」
呟くように肯くと、恭一は声にしない小さな笑みを落とし、そうかとだけ返す。
「土産買って来いよ」
「覚えてたらな。――葡萄、ちゃんと冷やしとけよ」
「もう帰るのか?」
短い会話を遣り取りしているうちに、半分以上灰になってしまった煙草を灰皿に押し付ける。どうせ今日は長居するつもりはなかった。今日は午後から予定が詰まっているし――そう、多分今日辺りにやって来るだろう、彼が。
「これから担当と打ち合わせ」
「――俺な、たまにおまえが同業者だってこと忘れそうになるわ……」
しみじみと失礼なことを呟いた幼馴染みの足を一蹴りして、雄高はそのままリビングに背を向ける。イテェな馬鹿野郎、などと子供染みた悪態を続けていた恭一は、ふと真顔に戻る。
「雄高、おまえ何かあったのか?」
「――何?」
唐突に告げられた言葉に、思わず足を止めて恭一を振り返る。恭一は首を傾げて、訝しそうな表情で雄高を凝視しながらその顔を指差した。
「顔が。にやけてんな。――機嫌よすぎて気持ち悪ィ」
「…気のせいだろ」
ひとを指差すなひとをと一応注意して、雄高は今度こそ玄関へと向かう。最近機嫌がよすぎる自覚はあるが、それを顔に出しているつもりはなかった。――そう、確かに自分は上機嫌だったのだ、ここ最近。長男気質が災いしてか、それとも元からの性格なのか自分が極端に世話好きなのは自覚している。我侭で気性の荒い幼馴染みとこれまで付き合ってこれたのは、この性格が幸いしているのだろう。
「――雄高さん。来てたの?」
玄関に手をかけようとした瞬間、それより先に開いた扉の先に恭一の弟――由成が驚いたように眼を丸くして立っていた。良いタイミングだ。
「もう帰るとこだ。葡萄置いてきた」
自分が世話しているはずの幼馴染みが世話をしているこの弟は、誰に似たのか酷く控えめで大人しい。兄に養われている負い目からそうなったのかと思っていたが、どうやらそれも違うらしい。由成はきっと誰かが手を加える前から、こんな性質だったのだろう。だからこそ、あの我侭で自分勝手な幼馴染みでも世話することが出来たのかもしれないと、雄高はそう思っていた。しかし――
「じゃあ早く冷蔵庫に仕舞っておかないと。どうせ恭さんのことだから、まだ出しっぱなしなんだろう」
察しが良い。そうかもしれねェな、そう言って雄高は笑いを噛み殺した。これではどっちが世話してやっているのか判らない。いや、恐らく彼らには「世話をしている」という感覚はないのだろう。互いが互いを補って生活している。それでも由成が小さな子供の頃は、全面的に恭一が由成の面倒を見ていた。しかし恭一は、それを何の苦にもしていなかったのだ。――あの恭一が。
「ヨシ、学校はどうした?」
雄高はそれが不思議だった。雄高の知る限り、恭一は決して世話好きでも子供好きな性質でもない。むしろ、子供は好きというより苦手な人間だったはずだ。それなのに何故、彼はまるでそうあることが自然のように、由成と生活を共にしているのだろうと。
「今日は午前授業だから早いんだ。部活も休みになるから、一回家に戻ってからバイトに行こうと思って」
ならば由成の高校は全学年が午前授業だと言うことになる。――しまった、これは大きな誤算だったと雄高は密かに舌打ちした。雄高の予想では、彼が訪れるのは学校が終わった夕方か、それともバイトを終えた夜か、そのどちらかだろうと踏んでいたのだ。こんなに学校が終わるのが早ければ、既にマンションに向かっているのかもしれない。今究極に構うのが楽しい、あの少年が。
「そうか、じゃあまたな。――土産、買って来てやるから」
「土産? 雄高さん、どこか行くの?」
「恭一に聞け」
説明する時間も惜しくてそう言い残すと雄高は路上駐車していた車に乗り込む。挨拶代わりに軽くクラクションを鳴らすと、由成が小さく頭を下げている姿がミラーに見えた。あの兄弟は良い。世話を焼こう、構ってやろうという気が自然と沸いて来る。その点では雄高の好みを地で行っている二人だった。――所謂、趣味なのだ。他人を構って構って構い倒す、世話をするという、場合によれば迷惑でしかないその行為が、雄高にとっては最上の趣味であり楽しみだった。そしてそれが付き合いの長い友人から「暇人」呼ばわりされている所以であることを――雄高本人は、知らない。
マンションの駐車場に車を停めると、来客用のスペースに見覚えのある車が停まっているのが見えた。約束の時間にはまだ余裕があるのに、相変わらず客人はせっかちなようだ。重い溜息を吐きながら十一階の自室へと向かう。鉢合わせなんかしてなきゃ良いが――そんなことをつらつらと考えているうちに、エレベーターはあっという間に自分を十一階へと運んだ。
「――先生のご親戚か何かで?」
「いや違うけど、やから何であんたにそんなこと――て、先生って何や。誰?」
エレベーターの扉が開いたと同時に、二つの声が耳に入る。ひとつは最近聞き慣れたばかりの少年の声、そしてもうひとつはほぼ毎日聞いている、うんざりするくらいに聞き慣れてしまった声。どうやら予想は外れずに、客人と彼は鉢合わせしてしまったらしい。憂々しき自体だ。
「だから先生はこの部屋に住んでる方で――、あ、先生」
うんざりするほど聞き慣れた声の持ち主の方が、先に自分に気付いたらしい。ひらひらと呑気に手を振りながら声をかけてくる。
「どこに行ってらしたんですか、僕もう待ちくたびれちゃったんですけど」
「――約束の時間まではまだ十分以上ありますよ、神城さん」
人が好さそうにのんびりと微笑んで見せる、しかし実際は一癖も二癖もある神城という男に、雄高は眉間を僅かに寄せて答えた。
「早めに着いちゃったんですよ。そしたら先生は不在だわマンションの前で知らない高校生が先生待ってるわでもうどうしようかと。ていうかとうとう高校生に手ェ出しちゃったんですか。止めてくださいよ犯罪ですよソレ」
「キモいこと抜かすな――!」
高校生――矢野和秋は、キャンキャンと勢い良く神城に噛み付いている。学校帰りにそのままマンションに寄ったのか、制服姿のままだった。相変わらず元気が良い。それは大変喜ばしいことだったが、何しろ少々タイミングが悪かった。
「――何しに来た?」
溜息混じりに尋ねたものの、彼の用事は判り切っていた。この間彼に貸した制服と弁当箱を返しに来たのだろう。彼がここを訪れるための理由を、あのとき雄高はわざと作ったのだ。そして雄高の考え通り、和秋はあの日から間もなくやって来た。しかし本当にタイミングが悪い。出来れば彼を構うときには部外者の介入は避けたかったのに。
「――弁当箱。返しに来ただけや」
和秋は一瞬だけ言葉を詰まらせてから、ぽつりと呟くように返した。その表情がどこか悔しそうに歪んで見える。
「…けど俺、邪魔みたいやな。また日改めるわ」
雄高が取り繕うとする前に和秋は手にしていた紙袋を神城に押し付けると、エレベーターに向かって足早に歩き出す。突然紙袋を押しつけられた神城が、うわあと間抜けな声を上げた。
「――待て待て待て。悪かった、俺の言い方が悪かった」
そこであっさり帰してしまう雄高ではない。雄高の横を和秋が通りすぎようとした瞬間、文字通り首根っこを捕まえて引き止める。
「ぃ、痛…ッ、何やねん、その人と約束あるんやろ、離さんかい!」
「約束と言えば約束だが、どうせ時間は掛からない。話が済むまで構ってはやれないが部屋の隅で小さくなって待っとけ」
「な…!」
「ひどいなあ先生。そんなにすぐには終わりませんよ、スケジュールちゃんと決まってないじゃないですかあ」
一瞬絶句した後、我に返ったように何かを喚こうとした和秋の声を、相変わらずのんびりとした神城が遮った。
「――終わらせますよ。良いから早いとこ部屋に入ってくれませんかね」
大の男二人がひとりの高校生を取り囲んでいる姿は、どう考えても異様だ。和秋の首根っこを引き掴んだまま、器用にポケットから鍵を取り出すとマンションの扉を開く。痛い痛いと喚く和秋を無視して、そのままリビングまで引き摺り込むと彼は漸く大人しくなった。
「あのー、すみませんこれどうしたら良いですかね?」
和秋に押し付けられた紙袋を抱きかかえた神城が、困ったように首を捻っている。その辺に置いてくれと答えながら、雄高は掴んでいた和秋の制服の襟から手を離した。
「皺になったらどうすんねん!」
「アイロンくらいかけてやる。手洗いしてやろうか?」
「いらんわ――!」
「そうかそりゃあ手間が省けて良かった。――神城さん、コーヒーで良いか?」
「あ、お構いなく」
お構いなくと言われたものの、本当に何も出さないわけにはいかないだろう。この男はこう見えても、雄高よりも二、三歳年長なのだ。自分の分も用意するついでだからと断りを入れてからキッチンに向かう。神城はこの部屋にも慣れたもので、リビングのソファに当たり前の顔をして腰を降ろしている。和秋はというと、まだ落ち着かない様子で壁際にそわそわしながら佇んでいた。
「――本当に部屋の隅で小さくなっておくつもりか?」
そうからかいの言葉をかけると、ムッとした表情を見せてから、それでもお邪魔します、と小さな声で呟くと和秋は神城から離れた場所に腰を下ろした。素直な由成や極端に反抗的な恭一に慣れている雄高にしてみれば、中々新鮮な反応だ。
コーヒーを淹れると同時に、冷蔵庫から缶ジュースを取り出す。昔からコーヒー党だった雄高には、今時の高校生が好む飲み物など良く判らない。しかしこの間出したジュースより、こっちの方が好きと言っていたから、多分文句は言われないだろう。
小さめのトレイにカップを二つ、それから缶ジュースを載せてリビングに戻ると、神城が何やら和秋にちょっかいをかけている最中だった。和秋は厭そうに顔を顰めながらも、無視するわけにはいかないのか適当に相槌を返している。神城も雄高とは違った意味で人を構うのが好きな男だ。――悪戯好き、と言う点で。
丁度神城と和秋の中間に位置する場所に腰を降ろし、カップと缶ジュースをそれぞれの前に置く。缶ジュースに書かれた文字を確認した瞬間、和秋が複雑そうな表情をしたのが横目に見える。和秋が手にした百パーセント果汁のリンゴジュースに、可愛いなあと神城が喜んだ。
「それで神城さん、前に話してた件だが――」
和秋の反応に小さな笑みを零しながらも、雄高は神城との話に集中することにした。今はともかく、この男を帰してしまいたい。
「はい。取材の話ですね。先方にもう話はついていますので、あとは先生の了承が取れればと」
「行くよ。了承も何も最初っから行かせるつもりだったじゃねえか。――それで、個人的な話になるんだが、滞在期間を一週間ほど延ばしてもらいたい。ホテルの移動は?」
「ありません。移動にはレンタカーを使うつもりでしたから」
「じゃあそのホテルとレンタカーの予約を一週間多めに取っておいてください。その分の旅費は――」
「はい、先生の自費ですね」
にこやかに笑いながら神城が言い切った。確かにそうだ、確かにそれは正論であるし勿論自分もそうするつもりだった。しかしそれを神城があっさりと口にしてしまうことが気に食わない。
「――そのように」
「それでですね、向こうについてからの話なんですが、最初の三日間は僕がお供します。残りは全て先生の好きなように使って頂いて結構ですが、こちらとして外せないポイントが幾つかありますので――」
そう言いながら神城が鞄から書類を引っ張り出す。広げられたそれには、旅先の細かい地図や当日スケジュールが細かく定められているようだった。話し合いも何もあったもんじゃない――半ば諦観しながらも、雄高は書類を受け取ると、一刻も早く話を終えるために大人しくそれに目を通し始めた。
「先生だめですよ。高校生に手ェ出しちゃ」
「――判ってる。判ってるからもう帰って下さい」
「帰りますよ僕だって暇人じゃないんだから。――じゃあまた来週伺いますから」
神城との話は一時間ほどで片が付いた。それでも長かったくらいだ。詳しいスケジュールを決めるというより、神城の今日の目的は自分の意思を確認しに来た程度だと踏んでいたのだ。しかし話はそれだけに留まらず、大まかではあるが本当にスケジュールを決められてしまった。神城の方で調整したものに、ほんの少しだけ雄高が口を挟むと言った程度のものだったが。
「……先生、本当は羨ましかったんですねえ」
漸く話が纏まり、玄関まで見送ってやっていると、リビングの扉を眺めながらしみじみと神城が呟いた。何のことだと眉を寄せると、神城は例の人の食えない笑顔で、
「楠田先生のところの。仲がよろしいでしょ、あそこ。――それ、羨ましかったんでしょう」
――相変わらず厭な男だと、雄高は表情を変えず胸の内で呟いた。
「先生ね、多分少し間違ってらっしゃる。だめなんですよ、一方的じゃ。だからああいう風になれない。――僕の言ってること、当たってるでしょう」
「帰って下さい」
にべもない雄高の言葉に、へこたれない神城はにこにこと満面の笑みで、酷いなあもう、と笑った。
「あんまり実験しちゃだめですよ。あの子が可哀想だから」
余計な一言――むしろ彼の語る言葉の殆どは余計なものだったが――を残すと、神城はそれじゃあと頭を下げて今度こそ帰って行った。その後ろ姿を見送って、溜息を落とす。
「――実験、な」
そんなつもりはないんだが――、そう独りごちても神城の耳には届かない。しかし言い得て妙だとは思う。実験――確かにそうかもしれない。自分は、試したかったのだ。多分――
「先生て、何のことやの?」
「――俺が教師に見えるか?」
「見えへんな」
丸々一時間、存在を無視されていた和秋は拗ねて見せるかと思いきや、案外そうでもなく、神城を見送って玄関から戻って来た雄高に淡々と尋ねて来る。神城との約束は仕事の話だと理解して、拗ねるべきではないと心得ているようだ。躾が良い。
「じゃあそういうことだ」
「そういうことってどういうことやねん。間の話を省くな。――オーナーやなかったんか、」
「オーナーもやってる。むしろそっちの方が収入は多いしな。兼業――と言えば聞こえは言いが、どっちつかずの半端者だ」
尋ねたのも、確認という意味合いが大きいのだろう。話の内容からして大体の察しはついているはずだ。和秋は空になった缶を指で弄りながら呟きを落とす。
「――似合わへんな、いわゆる小説家とか、そういう作家さんみたいなもんなんやろ?」
「俺もそう思うよ」
そもそも物書きの真似事を始めたのも、小説家の友人――あの幼馴染みのことだが――の担当から、空いたスペースがあるから何か書いてみないかと冗談半分に誘われたのがきっかけだった。あのとき書いたのはちょっとしたコラムだったように思う。自分にとってはその程度の記憶だ。
「何で黙っとったん、」
「わざわざ言うほどのものでもない。定期的に仕事が来るわけでもないし、――言っただろう、半端者なんだよ。小説みたいなものを書くこともあるが、大抵は旅行記や穴埋めコラムだからな」
小説家という肩書きは自分には相応しくないと雄高は思う。ライターと呼ぶ方が正しいだろう。
「さっきの人、担当とかいうヤツ?」
「ああ。――そう言えばだいぶ神城さんに絡まれてたな。大丈夫か」
和秋の手の中で転がっていた空の缶を引き取ると、雄高はそれをゴミ箱へ投げ捨てた。まだ要るか?と尋ねると、和秋は首を横に振る。
「絡まれてたっていうか――何か色々聞かれただけや。……あのひと、おかしいな」
「ああ、おかしいな」
唸るように言った和秋の言葉に笑いながらも同意する。この様子だと、随分神城に弄られたらしい。
「あの人は人をからかうのが好きだからな。いらんことは喋らない方が身のためだ、倍になって返ってくるぞ。あの人は厄介だ」
「………」
和秋は黙り込む。先刻の僅かな時間で言われなくても身を持って体験したのだろう。
「……あんたと良う似とる」
「心外だな。俺はあの人ほど性格悪くねえぞ」
雄高は顔を顰めた。神城と同等に考えられるのは不本意だ。神城は人をからかって怒らせることが趣味のようだが、自分は違う。構う相手には単純に好意を持って接しているはずだ。――基本的には。
「一緒や。必要なことは言わへんで、要らんことばっか喋ってるやんか」
「おまえが言う必要なことっていうのは何だ? ――俺が物書きだってことか」
「……そう言う意味やない」
雄高から視線を反らすように俯いて、和秋は困ったように口を噤む。それを眺めながら少しだけ思案して、しかし直ぐに雄高は和秋沈黙する理由に思い当たった。
「――俺はおまえのことに関しては住んでいる場所と通っている高校しか知らないが」
畳みかけるように、しかし言い聞かせるように静かに告げる。――雄高の予想が正しければ多分、この少年は。
「それで、一緒にメシを食ったり話をしたりすることに何か不都合があるか、」
――不安なのだろう。
何かしら事情があって一人暮らしを始めたのだろうということは、直ぐに察しがついていた。この不自然な時期に転入して来たのは、あまり人に話したくない事情があるのだろう。その上住み慣れた土地と、そして家族や友人と離れれば、少しばかり不安定になっていても仕方がないと思う。
「そういうわけや――ない、けど」
和秋は固く顔を強張らせて呟いた。言葉を捜しているのかもしれない。気まずさに、もう帰ると言い出し兼ねない雰囲気だ。
彼が今よりももっと不安定だった時期に出会った。恐らくこの町に彼が住み初めて、最初に深い関わりを持った人間が自分だったのだろう。
「――……他に何が知りたい?」
不安で足元が覚束無かったあの日、たまたま自分が彼を拾った。正体がわからなくなるほど酔っ払っていたのも、それ故の行動だろう。この町で、偶然自分が最初に彼に出会った。ただそれだけことによって、自覚しているのかしていないのかは知らないが、和秋はどこかで雄高に期待しているのだ。――やさしくされることを。
「おまえが知りたいんなら何だって話してやるよ。――代わりに晩飯付き合え」
「……またそれかい。いい加減ワンパターンやな、アンタも…」
和秋が漸く見せた小さな笑みに、雄高は知らず安堵する。――そうだ、変に深刻な顔をしているよりは笑っていたり怒っていたりした方がずっと良い。子供という生き物は、そういうものだ。
――ならば。
「けど今日は付き合えへん。夕方からバイトあるし」
「なら少し早い夕飯になるか。しっかり食っていけよ」
期待されるのは構わない。彼に対して興味が尽きない限り、幾らでも構ってやれるし世話も焼いてやれる。そして一度気に入った人間は、中々手放すことがないことも自覚している。
「……本気か、」
厭そうに顔を顰めた和秋は、しかしそれでも雄高の提案を飲むだろう。どれくらい甘えても良いのかと距離を測ろうとするかのように、恐らくは甘え慣れていないこの子が近付いて来る。少しずつ少しずつ、彼の中で自分が占める割合が大きくなれば良い。
「バイト、六時からやで」
「充分だ」
否定的な言葉を口にしながらも、和秋はこの家で晩飯を食っていく気にはなったようだ。いつ帰ろうかとタイミングを図っていたさっきまでの雰囲気が綺麗に消え去っている。
(――…一度くらい――)
――本当は。真っ直ぐな気持ちだけで、彼を構っているわけじゃない。
時折、心細いだけのこの少年を自分は利用しているんじゃないかと思う。そしてそれは、多分正しい。――神城の言葉も。
和秋が思うよりずっと計算高い自分に、雄高は苦く、笑った。