「おっせんだよテメェは」
「良いから黙って荷物を積め。置いてくぞおまえごと」
「俺は肉体労働はやんねんだよ。――由成」
「――恭さん。自分の荷物くらいは自分で運んでくれ……」
ややげんなりしながら言ったものの、身体は素直に恭一の荷物を雄高の車に積み始めている。慣れとは恐ろしいものだと由成はしみじみ思った。
「体力仕事はおまえ担当だろ」
いつの間にか楠田家での力仕事は由成の分担になってしまっているのだ。自分に比べれば恭一の腕力も体力も頼りないと知っているものの釈然としない。
トランクに荷物を全て積み終えたのと同時に、助手席から降りて来た和秋がこっそりと由成に近付く。
見慣れている制服姿でもなく、またユニフォーム姿でもないパーカーを着込んだ和秋に、少しだけくすぐったくなった。由成にしてみれば、同年代の人間と旅
行に行く機会など皆無に等しい。それこそ修学旅行くらいだ。
「手伝う?」
「いや、終わったから。……降ろすときは手伝ってください。そんなに大した荷物じゃないけど」
「ん。俺らはそんな荷物も要らへんけどなあ……」
呟く和秋の視線の先には、ごっそりカメラ機材やら資料やらを積んだトランクがある。雄高は純粋に観光でも旅行でもなく、半分は仕事で行くと聞いた。何で
も撮影の請負をしている事務所の経営者が父親の知り合いにいるらしく、その知り合いに撮影を頼まれたらしい。その報酬が宿泊券と言うのだから中々強かであ
る。
これから向かう先は海が近い場所にある温泉地で、近くもなく遠くもないそこへ行くには車で三、四時間ほどらしい。新幹線やワンマンを乗り継いで行くのも
馬鹿らしいと、大人組が交代で運転しながら向かうことになった。
「矢野さん、車酔いするんじゃなかった?」
由成の心配はそこにある。雄高は基本的には安全運転で、乗っている方も安心して身を任せていられるが、恭一の方は運転がやや荒い。加えて注意力が散漫な
のだ。それでいて免許取得後は無事故無違反を通しているというのだから、世間というものは全く良く判らない。
「うん。けど運転あの人やろ。あの人の運転やったらあんま酔わへんし、平気」
「……多分、恭さんも運転すると思うよ。雄高さんが疲れたらだけど。――一応酔い止め、飲んでおく?」
和秋は真顔で考え込んだ後、ちらりと恭一を盗み見ると、黙ってこっくり頷いた。人は見かけによらないとは言うが、少しでも恭一を知る者であればその運転
技術に不安を抱いても致し方ない。
由成が和秋に酔い止めを飲ませている間に恭一は助手席に座り込み、他三人を急かして漸く車は楠田家から発進した。
「和秋、気分が悪くなったら言えよ」
「ん」
頷いた和秋の表情もまだ普通で、取り敢えず行きは安心出来そうだ。
「とろとろやってんじゃねェよ。追い越せただろ今の」
「馬鹿言うな。おまえみたいに危なっかしい運転なんか出来るか」
「うっせえな。さっさと曲がれ」
恭一はボックスに足を預けて、不遜なことこの上ない態度で偉そうに雄高に指図している。
あくまでも恭一と由成はおまけでしかなく、雄高に連れて行ってもらっている身分で、しかも運転さえも任しているのに、普通の神経でこの態度は有り得な
い。
「――なんかあれやな」
「はい?」
「君んとこの兄さん、すごいな」
後ろの座席に座り込んだ和秋が、こっそりと声を潜めて耳打ちする。同意したい気分ではあったものの、由成はただ静かに苦笑を返した。
――それが、恭一が恭一である所以なのだと、自分も雄高もとっくの昔に諦めている。
和秋と由成の囁きも知らず、恭一は面倒臭そうに一際大きな欠伸を漏らした。
車は予定よりも少しだけ遅れて目的地に辿り着いた。雄高ひとりで車を走らせたおかげか、和秋も車酔いをした様子もなく、車から見知らぬ土地へと降りると
うきうきしながら周囲を見渡している。
「由成、手伝え」
「うん」
恭一には元から期待していなかったらしい雄高は、由成を手招きするとトランクに積んだ荷物を下ろし始めた。二泊三日、そこまで大きな荷物にもなりように
ない。しかし四人分のそれを二人で受け持つことになれば、さすがに重たい。加えて、大体はトランクに残しているとは言え雄高の仕事機材を少しばかり下ろし
ているのだ。
「あ、すまん。俺持つし。――軽いほう」
ちゃっかりと付け加えた和秋が、雄高の手から荷物の半分を受け取る。恭一はと目配せすると、彼は既に近くに見える旅館に向かって歩き始めていた。
どことなく淡い気持ちに包まれながらも、由成がその背中に続く。雄高がふとその肩を呼び止めた。
「由成、ちょっと頼み事しても良いか、」
「――何?」
「部屋のことなんだが」
部屋割りのことだろうかと由成は首を傾げる。当然、自分は恭一と同じ部屋で過ごすことになるものだと思っていた。
「今日は和秋と一緒にいてやってくれないか」
「――いいけど」
どうして、とは口にせず視線で尋ねた由成に、雄高は小さく笑った。
「明日までには仕事を片付けるつもりだから、それまであいつの相手をしてやってくれ」
「うん、判った」
雄高の真意を図り取ると、由成は微笑みながら小さく頷いた。
「……雄高さん、優しい」
「褒めても何にも出ねえぞ」
雄高は軽い苦さを含ませた表情で笑った。照れている。由成からしてみれば、雄高のこんな表情はひどく珍しい。
「でも恭さんは? あの人も暇に耐えられる性格じゃないと思う」
「ああ――あいつにはちょっと付き合ってもらいたいところがあるから連れていく。夕飯は一緒に食えるが、夜にはまた出ることになる。アレは明日おまえに返
すから」
判ったと頷いて、由成は和秋を呼び止めた。
部屋割りの話をすると、和秋はすんなりと頷いて、後ろの雄高に視線を向ける。
「仕事いつから?」
「部屋に荷物を置いたらすぐに出る。夕方には一旦戻るが」
「ん。――ほんなら由成君、風呂行こ風呂。折角温泉来てんから、一日三回は入らな」
雄高がいなくても割りと温泉旅行を楽しもうとしているらしい和秋は、嬉々として予定を立て始める。至って楽しそうだ。
「――三回も? 逆上せるよ」
「露天風呂やろー、普通の風呂やろー、滝風呂とジャグジー。あ、サウナもあるんやって。こうなったら我慢大会やな」
しかも人の話を聞いていない。
「……俺、三分持ちませんよ。多分」
「負けた方がジュース奢るん、どうや」
「……いや、だから絶対俺が負けるから……」
恭一が雄高に連れ回されることになったのは残念だったが、和秋と話しているだけで気持ちは弾んだ。
以前恭一に連れて行ってもらった旅行も楽しいことは楽しかったが、同年代、同レベルではしゃげる相手がいる旅行は、楽しみ方が違う。
今回の旅行は、夜になれば宴会同然に騒いで酔い潰れてしまう大人たちだけではないのだ。
実家に帰っていた時期、家に帰るのが憂鬱だった由成は部の先輩や友人に引っ張り出され、酒を覚えさせられた。おかげで自分はアルコールに強いことを知っ
たものの、自ら進んで呑もうとは思わない。
だからいつも介抱役に回される、損な性格だった。
和秋が呑まされて、もしくは自ら進んで酔い潰れてしまわないことを、由成はそっと祈った。
「桜か」
旅館を出て徒歩三分ほど往けば海が見えた。
そこまでの道程に並んでいる木々は、恐らく桜だろう。
「桜の名所だ。惜しかったな、多分あと何日かで満開だった」
小さな蕾を付けている。あとほんの数日も経てば可憐な蕾は鮮やかな花弁を咲かせていたことだろう。
「桜が目的じゃなかったしな。温泉ってだけで充分だ。一日三回は入らねェと」
雄高は一瞬動きを止め、何か言いたげに恭一を見つめた。
「なんだよ」
「――何でもない。おまえは高校生レベルかと思っただけだ。それは良いとして少しは手伝え」
雄高は仕事に使うための機材を幾つか肩から下げて持ち運んでいる。ガチャガチャと音を立てるそれは、確かに重そうだった。
「厭だね、重てェだろ。ただでさえ訳わかんねェとこに連れて来られてるってのに、手間かけさせるんじゃねェよ」
雄高は顔を顰めて見せただけで、それ以上は何も言わなかった。最初から期待はしていなかったのだろう。ただ言ってみただけなのだ。
「訳判らなくはないだろう。――万が一に賭けて連れて来てみただけだ、無駄だったが」
「――あァ、」
桜か。
そう呟いて恭一は笑う。
「気ィ遣ってんじゃねェよ、気持ち悪い」
桜は母が好きな花だった。
その名と正反対の季節の花を好きだと言っていた。
そもそも桜を嫌いだと言う日本人を、恭一は知らない。
「俺は梅の方が好きだしな」
「まだ言ってるのか」
雄高は少しだけ肩を竦めて見せた。
道はいつの間にか険しくなり、ほぼ獣道状態になっている。
ざくざくと草を踏み締めながら歩いていると断崖の向こうに海が見えた。
最初から中りをつけていたのか、雄高は躊躇う素振りも見せずに崖へと向かって歩くと、そこで機材を降ろす。
高所恐怖症というほどではないが、さすがにそんな場所から海を見下ろせば恭一とて目眩を覚えるに違いない。しかし雄高は気にする様子もなくカメラをセッ
トし始めた。
それを見て恭一は地べたに尻を着けないよう気をつけながらしゃがみ込んだ。仕事の準備を始めた雄高に付き合おうと思えば、立ったままでは保つはずがな
い。長期戦になることは目に見えている。
「――寒ィな」
冷たい風が頬を刺す。恭一は誰にともなく呟いた。雄高から返る声はない。
「おまえ、なんで俺を連れて来た」
まさか咲いている確率の低い桜を見せるためだけに連れて来たわけではないだろう。雄高は恭一を振り返りもせず、短く言った。
「あれは人見知りする」
「アレ? ――あぁ、」
矢野のことか、そう尋ねると雄高は沈黙で肯定した。いつもに増して言葉が少ないのは仕事体勢に入っているせいだろう。
「俺にか」
今更雄高相手に人見知りしていてもどうしようもないし、まさか由成に人見知りしているわけでもないだろう。だとすれば、まともに言葉を交わしたこともな
い自分相手に人見知りしているのだと考えるのが妥当だった。
「おまえに限ったことじゃない。由成と少し遊ばせて最初のうちに緊張を解いてやれば、そのうちおまえにも懐く」
――多分、とそう付け加えた雄高の言葉に、シャッターの音が重なった。
「そういう性質には見えなかったがな」
矢野和秋と初めて顔を合わせたのはニヵ月ほど前、由成の家出騒ぎの頃だ。あのときは恭一も頭に血が昇っていて、彼のことを良く覚えていない。
ただ静かに、恭一さん、由成君連れて帰ったってください、そうやって自分の宥めた声だけを覚えている。
「そのうち判る。懐くまでと懐いてからじゃ態度が違う」
「――随分惚気るじゃねェか」
おかしくなって恭一はそっと笑った。そう言えば、とぼんやり思う。彼がこうやって自分の恋人の話を恭一にしたことなど、これまで何度あっただろうか。
最後に記憶しているのは、中学の同級生でもあった神城香織という女の名前だ。結婚するつもりだと聞かされていたが、見事に振られたらしい。そもそもその
兄は自分の恩人でもあるし、振られたその直後雄高の自棄酒にも付き合ってやったせいで、中々忘れられない名前だ。
「珍しいな」
彼が自ら語ったのはそれくらいだろうと改めて思う。自分の恋愛話などこの歳になると軽々しく話せるものではないが、それ以前から雄高は自分のこととなる
と口を噤む傾向があった。
多少の変化を読み取れるくらいには付き合いが長い恭一が、根掘り葉掘り聞き出さない限り、雄高は自分からは語ろうとしないのだ。
「――隠したって仕方がない。妙な繋がりが出来ちまってるからな」
雄高は静かに笑った。
「あいつらを見てると嬉しくなるな。――俺たちも昔はああやってじゃれていたのかと」
「……懐かしむような歳かよ」
しみじみと呟いた雄高に恭一は遠慮なく笑った。
恭一にも少しだけ理解出来る。
「そうだな、出来ればあいつらが、このままじゃれ合って仲良くやってくれりゃ良いと思う。矢野に限らず、工藤もそうだ。俺の知らない由成の友達だってたく
さんいる、そいつらが、ずっと由成の傍にいてやってくれたら……どんなに良いか」
そうやって支えてくれる誰かがあの子の傍にいてくれたら。
そしてあの子がいつだって幸せでいてくれたら。
「親心か」
「――だろうな」
この感情は恋と呼ぶより情に近い。
「どうしたって、俺が支えてやれねェ部分はある。それを、おまえんとこのヤツだとか工藤だとかが救ってやってくれたら――」
由成が帰ってきてから、今この瞬間まで。
何も辛いことなどなかった。
自分は満ち足りている。あの子の成長を、豊かになってゆく人間関係を見届けることが、これほど幸せに思えるほど満ち足りている。
「今が一番に、幸せな時期なんだろうな、俺は――」
潮の匂いが強い風を避けるように俯いて、恭一は呟いた。
――この時間が続けば良い。
永遠とは言わない。
ただ少しでも長く続けば良いと思う。
「永遠を、」
だけど由成は違った。
由成は無邪気に永遠を望む。
――恭さん、俺とずっと一緒にいてくれ。あんたがいないと駄目になる。
そんな優しい言葉で、そんな辛い言葉で、事ある毎に由成は永遠をねだった。
「……誓ってやれるには、どうしたら良いんだろうな」
恭一にしては酷く弱い声で呟く。俯いていても、雄高が顔を上げたのが気配で判った。
「……誓ってやれないか」
「やれねェよ。……まだ無理だ。だってあいつは、」
まだ若すぎる。
「……いつか、結婚するんだぜ」
「それはおまえもだ。しなきゃ良いだろう」
「そんな単純な問題じゃねェ。俺とあいつは違う、あいつは……楠田の跡継ぎだ。本人がどう思ってようと――親父や貴美子さんが、黙っちゃいねェ……」
まだ遠い将来、由成は父の跡を、楠田と言う名前を、そしてとてつもない富と会社を継ぐことになる。それは既に決定事項であり、変えようがない事実だ。
恭一が家督を放棄し、気侭に生きている代わりに由成は父の跡を継ぐことを了承している。いつか必ず伴侶を迎えることになるのだ。由成が心変わりをしてい
ようとしていまいと、両親はきっと結婚を勧めるだろう。そのときに、強く拒むことなど出来るだろうか。あの優しい子に。
「おまえは永遠なんて誓えるか」
そして自分は耐えられるか。
あの優しい子の隣で笑う、知らない女の存在に。
それでも愛していると、言えるだろうか。
「そんな柄じゃないことは確かだな。おまえも、俺も」
「だろ」
恭一は乾いた笑いを漏らす。どこか空々しく響いて波音に消えた。
「永遠を信じられるほど俺は素直じゃない――だけど、誓えとあいつが望んだら」
雄高は恭一から視線を外すと、再びファインダーを覗いた。その先に――痛いくらいの、美しい夕焼けがあった。
「俺は誓うだろうな。嘘でもなんでも、あいつが望んだら」
雄高はもう、恭一を見ていない。なのに言葉だけは真っ直ぐに恭一の胸を貫いた。
夕焼けが綺麗だと、恭一は別の思考で思う。明日はアイツを連れて来よう、あの子は綺麗なものが好きだから、きっとひどく喜ぶ――
「永遠でも何でも誓ってやる。誓ったからには命懸けで守ってやる。それくらいの覚悟は――俺にもある」
そこまで言うと、雄高は笑ったようだった。
「――あいつはそんなこと、死んだって望みはしないだろうが」
「弁えてるな」
「ああ。あれは躾が良い」
「――不満か」
雄高は数度シャッターを切ると、漸くカメラを下ろした。気に入った画が撮れたのだろう。
「不満なんかじゃないさ。それくらいで丁度良い」
カメラを仕舞いながら、雄高は独り言のように零す。
「……あれは負担になることを怖がる性質だ。だから、それくらいで丁度良い」
「らしくねェな」
腰を上げると、恭一は先立って旅館に向かって歩き始める。長い間同じ姿勢でしゃがみ込んでいたせいで、関節が妙に痛んだ。
「甘やかしてやりゃあ良いじゃねェか。得意だろ、そういうのは」
「負担じゃないと言い聞かせても通じないことはある。おまえが一番知ってるだろう」
判んねェよ、恭一は雄高に背を向けて吐き捨てた。
――その言葉が自分を指しているのか、それとも彼を指しているのかは、判断出来なかった。
「――何やってるんだ、おまえらは」
部屋の扉を開けた瞬間、目に飛び込んで来た風景に雄高は顔を顰めた。それもそうだろうと由成は苦笑する。
「……逆上せました……」
ぜえぜえと息を弾ませながら答えたのは和秋で、ついさっきまで我慢大会と称して湯に延々浸かったりサウナ室に二十分以上入っていた所為で、身体中の水分
が抜けていってしまっている。
畳みに寝転んでいる和秋を団扇で扇いでやっていた由成は、自分たちに割り振られていた部屋に入って来た恭一と雄高を交互に見遣った。
「ご飯はこっち?」
一度部屋に戻ったのだろう、雄高は機材を持っていない。尋ねた由成に実質上旅行を仕切っている雄高は頷いた。
「ここに運んで貰うように頼んだ。……和秋、しんどいなら寝とけ」
「へいき。だいぶ復活した」
それでもまだ足元がふらついている和秋は、よろよろと立ち上がった。
「良い湯だったか?」
「うん。露天風呂が綺麗だった」
由成の着ている浴衣を羨ましそうに恭一は眺めると、ちくしょうと小声で罵る。
「……俺も入りてェな」
「夜も出掛けるんだろう。明日ゆっくりできるといいね」
慰めにならない言葉を告げると、思いきり頭を殴られた。
本当のことを言っただけなのに――そう聞こえないくらいに小さな声で呟いたのと同時に、配膳台と魚介類を中心にした料理が運ばれて来る。
魚より肉を好む恭一は少しだけ顔を顰めたものの、大人しく箸を持った。
頂きますと行儀良く手を合わせたのを合図に、それぞれが食事を始める。由成は喋りながらものを食むことを得意とせず、喋るか食べるかに集中した結果、無
言になってしまうか、とてつもなく食べ終えるのが遅くなってしまう。逆に恭一はこういうところは器用で、喋ることと食べることを同時にやって退けるのだ。
「あ、これ旨いぜ」
そう呟いた恭一は、丁度咀嚼していた由成の返事を待たずに自分の皿から由成の皿へと箸で摘んだ料理を移した。急いで口を動かして、口に含んでいた料理を
飲み込む。
「いいの?」
自ら旨いと評した料理を躊躇いなく由成に食わせようとする恭一に、由成は首を傾げてみせた。
「要らねェのか?」
「要る、けど」
こういうところは変わらない。由成は胸の中で苦笑する。
妙なところでしっかり兄なのだ。とびきりに過保護な兄の顔をして、恭一は由成に散々尽くしてくれる。一番に性質が悪いのは、それを気恥ずかしく思う反
面、くすぐったいような感覚を心地好いとさえ思える自分なのかもしれないと思う。そんな自分を自覚して、由成は小さな苦笑を噛み殺した。 |