なんだか心地のよい場所に居るような気がした。
肌に触れる空気はひんやりとしたいた。
誰かの声がサワサワと、耳を通りすぎた。


残念ながら・・・・・彼の・・・・・では・・不可能です・・・

・・ない事で・・・受け入れ・・・には・・・・

嗚呼・・・本当に・・・一体・・・


御免なさい・・・・・


そこでプツリと、声は切れた。

旅送り

神々による創造は不完全なものだったのだ。
それを知るのは神のみであり、そして人は重力に縛られ、
抗えぬ運命に縛られ、それでも尚生きてゆく。
人がそれでも幸せになれるのは、それを知らないからだ。


黄金の闘士方の、“欠陥”を持ちながら甦生し給うおはすらし。

と、聖域では専らの噂となっていた。
さてこの真偽の程を確かめんにも、誰が目にもそれは明らかに双子座の御方なり、とも
同時に囁かれていた。というのも、ただ一人青白い顔をし、薬に頼り、日暮し宮に篭って居たからである。
他の黄金聖闘士は、そのような戯言に惑わされまいとしていたが、しかし甦生後唯一人体調を崩して居る双子座に、
中々只の噂と断つこともできなんでいた。
そして、彼らが女神が、其れについて何も仰らないのも、皆を焦れさせていた。

「まさか本当に“欠陥持ち”等が居るのではあるまいな」
蠍座は言った。
「神の甦生が完全なものであるなどと思ってはなるまい。
それに、其の噂の当事者の不調が甦生のせい等と決め付けてはならぬだろう」
魚座が返した。
「だが———」水瓶座が差し挟んだ。
「しかし余りにも悪すぎるのではないだろうか。このままでは出仕もままならぬ。
それに、もし“欠陥持ち”が双子座であるならば、女神から何らかの仰せがあるのではないか?」
山羊座が言った。
「“欠陥”が有ろうと無かろうと、あの人は立派な双子座の黄金聖闘士。
何が有ろうと役目とあらば果たすだろう」
それを、鼻で蟹座が笑った。
「其れが一番、タチが悪ぃんじゃねえか」
魚座はくすりと笑った。
黙って聞いていた獅子座が、真っ青な顔をして立ち尽くした。


当然、射手座がこの噂を知らぬ筈も無く。
連日双児宮を訪ねては具合を案じ、食事を作ったりしていた。
双子座はそれを心苦しく思ったが、決して拒絶することはなかった。

だが、夜体を合わせることは敵わなくなった。
苦しげに呻いては嘔吐を繰り返すので、とても抱ける状態ではなかった。
この日も、射手座が心を尽くし、双子座を横たえた所で、体がぶるぶると震えだし、
う、う、と苦しげに声を吐き、やがて洗面所へと駆け込んだ。
射手座は黙って背を擦り、体を抱き上げ寝台へ寝かせた。

「情けない・・・恥ずかしい事だ。お前にこのような面倒をかけるなど・・・」
「気に病む事は無い。今は休め。隣には居させてもらうからな」
射手座は笑った。双子座は其れを見て悲しげに眉を寄せた。
「早く良くなってくれよ。辺りでは下らん噂が広まっているからな。
早く治さねば黄金の名折れだぞ」
「すまない———
「謝るな。早く寝てしまえ」
「ああ・・・」
「・・・多少の問題が有ったとて、すぐに治せば問題はない」
射手座に髪を撫でられ、双子座はすぐ傍に在る小宇宙の心地よさに目を閉じた。
(しかし——・・・まさか本当に“欠陥持ち”なのか———?)
双子座の頬をそっと撫で、射手座は考えた。
(余りにも、悪すぎるのではないか?神殿に篭られている女神からの接触は無い様だが、しかし・・・)

他にその様な者は見当たらない。
もしも、本当に“欠陥持ち”が黄金の中にいるとすれば、囁かれているように、
まず間違いなく———

射手座は唇を噛み締めた。
甦生を果たし、漸く双子座と共に平和な世を生きられるようになったのだ。

(死なせはしない。俺がお前を、死なせはせん・・・)

射手座は、双子座の額にそっと口づけた。


双子座の弟が、海から戻っていた。
他の闘士と同じように“女神の”御力で甦生された者だ。
甦生後体調の優れぬ兄の面倒を見に、荷物を抱えて双児宮に戻ってきた。

居間に行くと、兄は台所に立っていた。
「お前、体はどうなんだ」
兄は答えず、グラスに水を注ぎ、錠剤をばらばらと手に出して口に含んだ。
———オイ」
全て飲み込んだ後で、更に幾つも同じ錠剤を手に出すものだから、
弟は兄の手首を掴んで留めさせた。
「飲みすぎだろう」
———眠れなくてな」
「・・・あいつのとこから帰って来た途端にこれか。
無理して眠ろうとしなくてもいい。お前の其れ、副作用だろ。・・・強いの飲みすぎだ」
ばらばらと床に散らばった錠剤を見つめて、兄は押し黙った。
その姿を見て、弟はため息をついた。
「・・・一人で抱えて追い詰めるな。分かってるだろう」
「心配しなくてももう“あいつ”は出てこない・・・」
「そうじゃねえよ」
そうじゃねえ、と、弟は繰り返した。
「・・・コレ、ただの眠剤じゃねえんだろ。もうやめろ。
あの男が血相変えてお前抱えてここに来んのはなかなか楽しかったが、
もう飽きた。・・・せめてもうちょっと健康になってやんねえと今度はアイツがぶっ倒れるぞ」
その言葉に、兄の肩がぴくりと揺れた。
「・・・どうした」
「・・・・“多少の問題”・・・・」
「は?」

兄は独り言のように呟き、天上を見上げた。
弟の掴んでいた手首は、いつのまにか青くなっていた。
「死に至る“欠陥”では、多少という言葉では済まされないのだろうな・・・」
空ろな瞳。
青白い顔。
鬼のようだと、弟は思った。
ゾクリと背筋に寒気が走る。

「“欠陥”・・・?お前、それ、誰のこと言ってンだよ・・・」

兄は答えなかった。
代わりに、しゃがみこんで床に散らばった錠剤を、
一粒ずつ拾っては、瓶に戻し始めた。