| 【川 -彼岸と此岸-】
受信者に徹して映画を観ていた。それは「旅」と言ってもいいと思う。4ヶ月間でおそらく100本を軽く超えるのではなかろうか?
 DVDやネット配信、劇場にも足を運ぶ。
 ドキュメンタリー、人情物、サスペンス、SF、ファンタジー、アニメ、歴史、
 旧作、新作、超大作、低予算、ハリウッド、アメリカンニューシネマ、西欧、
 東欧、旧ソ連、中東、アジア、邦画、カルト、B級、有名、無名、et cetera。
 
 個々の作品には好き嫌いもあり、何度も観たいもの、二度は見たくないもの、
 数年置いて再び観たいもの、生理的に受け付けないもの、等々ある。が。
 「映画」というものが語りかけてくるものは、
 「人」と出会った時に伝わるものと同様である。
 それは時代や世界ひいては宇宙の成り立ちや繋がりを語る「ミーム」である。
 昔話、伝説、神話、土着宗教などが語り継いできたものである。
 そんな風に感じてならない。
 
 そしてそれはなにより死生観ではなかろうか?
 もしくは。ドコカラキテ、ドコヘユクノカ?という問いと応答ではなかろうか?
 
 一度観た映画も再び観る時期、心境、状況によって印象ががらりと変わる。
 わしはいままだこどものような気がする。
 こどもだった頃に充分にオトナだった気もする。
 死を身近にそして直感で感じていた。逆にいま死を知りたい。
 決して急いで死にたくはないけど、
 死が隠された世界は他にも何か大事なことを隠してるような気がしてならない。
 
 『黒猫白猫』という映画のワンシーン。妙に脳裏に残っている。
 「死は永遠だ。始まりは関係ない。」
 
 
 
 
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