「?!」

 

 ―――何が起きたのか、一瞬まったくわからなかった。
 後ろから何かに追突されたような衝撃の後、ガクンと車内が大きく揺れ、身体が椅子からムリヤリ剥がされるような感覚に襲われた。思いきり窓側に叩きつけられ、抗うすべもなく今度は通路側に振り戻される。

 気付いた時には、俺は車外に放り出されていた。

 

 「痛ぇ・・・っ・・・!」
左目が開かない。覆った掌に、ぬるっとした感触が伝わる。こめかみの辺りが異様に熱く感じられた。
「くっそ・・・なんなんだよ・・・」
全身がズキズキと痛い。俺はなんとか身体を起こして辺りを見渡した。
 前方には、無残な姿となったバスが転がっていた。窓ガラスのほとんどは割れている。さらに遠くには、ひしゃげた黒い乗用車がひっくり返っていた。
 その瞬間、ようやく俺は理解した。俺の乗ったバスは、後ろから追突された勢いで山沿いの県道から斜面を転がり落ちたのだろう。
「つっ!!」
みぞおち辺りに激しい痛みが襲う。俺は自分のみぞおちをさすろうとしてハッとなった。

 カメラだ。

 俺は無意識のうちにカメラを抱きかかえていたらしい。おかげでカメラは無事なようだ。
「ちくしょう・・・痛ぇよぉ・・・」
右足に力が入らない。だが、意識だけはハッキリとしていた。
「なんだよぉ・・・俺を助けてくれんじゃなかったのかよ・・・っ」

 

 俺の脳裏に蘇る、あの閃光―――
 あの閃光は、俺の危機を何度も救ってくれた。
 『偶然』じゃなく、それは『奇跡』。
 だからこそ、あの光は、俺を助ける為で―――

 

 ガラン・・・

 

 バスの方から、何か崩れるような音が聞こえた。俺はハッとなって顔を上げる。
 生存者か―――?!
 痛む足を引き摺りながら、ゆっくりとバスに近付く。だが、そこには―――

「っ!!」
思わず顔が引き攣る。割れた窓ガラスから覗く、原型を一切とどめていない車内。椅子と椅子に挟まれた人《らしき》もの、粉々に砕けたフロントガラス部に突っ伏したままピクリとも動かない運転手―――想像をはるかに超えた有り様に言葉を失った。目の当たりにした事故の大きさに、全身の毛が一気によだつのを感じた。

 だが。

 凍り付く俺の身体で、唯一冷静な動きをしたものがあった。

 

 手だ。

 まるで自分とは違う生き物のように、俺の手はカメラを垂直に構えさせた。血生臭い左手が、すぐさまそれに付随する。

 

 嗚呼。
 そうか―――。

 

 俺の顔が、ゆっくりとカメラに近付いていく。抗いようのない、目に見えない力が、俺とカメラとの距離を縮めていく。

 

 あの閃光は、間違いなく親父だ―――。
 だが親父は、俺を危機から救ってきたんじゃない。
 俺を『その瞬間』に最も近付けさせてきただけなんだ。

 『生きた写真』を撮らせる為の『その瞬間』に―――

 あの時も、あの時も、あの時も・・・!

 

 『オヤジさんに似てきたなぁ』

 誰かの声が脳裏に蘇る。俺の目がファインダーを覗き込んだ。その刹那、俺は『俺が俺でなくなる』瞬間を感じた。

 

 そうだ、似てきたんじゃない。
 俺が撮っているのは、『俺』の写真じゃない。
 俺はただの『器』で、俺の中にあるのは―――!!

 

 俺の意思とは別のところで、俺の指が動いた。
 ファインダー越しに見つめる『瞬間』を捉える為に、その指は動く。

 

 ジシャッ。

 

 重厚なシャッターの音が響いた。俺は立て続けにシャッターを切る。

 ジシャッ、ジシャッ、ジシャッ。

 カメラに収められていく『瞬間』が―――『その瞬間』だけが、ひとりのカメラマンを支配していた。目に見えない糸が、俺の身体のすべてを奪っていく。

 

 嗚呼、そうだ。
 俺が動いているのは、『俺』の意思じゃない。
 ただ『その瞬間』を捉える為に動くのは、『親父』。
 親父の為に、俺の『身体』は生かされる。

 

 『生きた写真』を撮り続ける為に、決して死ぬことは許されない。
 『俺』は『親父』に生かされる。

 今も、そして、これからも―――。

 

 

 俺の指はただ夢中でシャッターを切り続ける。そのレンズの向こうには、『親父』の望むものが待っているから―――

 

 ジシャッ。




 
 

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