ココロいちごととまと ―――――― 神無弥生
 ヴォン、と小さく機械音がした。それは彼女に命を吹き込む音であり、彼女にとっては目覚めの音だった。
 ゆっくりと彼女の瞳が開かれ、光のないガラス玉の瞳に男の顔が映し出された。
「おはよう」
 男の声に反応するように少女は顔を上げた。その節々には赤や青、色とりどりのコードが突き刺さっている。僅かに電子機器から漏れる光程度しかない部屋ではわからないが、よく見てみれば彼女の体にいくつもの小さなスジが走っていることに気がつくだろう。
 惜しげもなく晒した裸体は、少女らしい小さな胸の膨らみはあってもつるりとしている。排泄器官などは元よりない。
 彼女の瞳が開いた時の何倍もの時間をかけ、少女の瞳に光が映し出される。少女は小さく口を開いた。
「オハヨウゴザイマス、ますたー」
 その声は冷たく響いたが、それでも男は満足そうに笑って少女を抱きしめた。
「おはよう。私の可愛い娘」
 瞬き一つすることなく、機械の人形(かのじょ)は男に抱き締められていた。


     *****


 男によって作られた彼女は、彼のために歌うのが役目だった。マスターである男が悲しいとき、楽しいとき、その気分に合わせた歌を歌うのが。
 彼女が生まれた場所は、一人で住むには大きすぎるほど立派な屋敷の地下室だった。
 そこは彼の研究室になっていて、彼女が生まれた後も、彼はそこに籠って仕事をしている事が多かった。
 そのせいだろうか。
 もう手入れする人もいないだろう屋敷は、そこら中に埃が溜まっていた。庭にも雑草が生え放題だった。
 彼女が生まれて初めてした仕事は、本来の仕事である歌う事ではなく、屋敷を掃除する事だった。
 元々それも想定していたのか、彼女のプログラムには家事も組み込まれていた。そのお陰で不自由する事なく、彼女はほぼ一日で、彼の研究室以外で多く使うであろう部屋を掃除する事ができた。
 ただ一つ困ったとすれば彼女の洋服だろう。
 男が用意した服は彼女の年頃の少女にはぴったりだったが、掃除をするのにはおよそ相応しくないであろう真っ白なワンピースだった。僅かに洋服には皺があり、埃を被っていないことだけが幸いだったと言えるだろう。
「ごめんよ、そんな格好でこんなことをさせてしまって」
「ワタシハますたーノタメノろぼっとデス。構イマセン」
「……それでも、ありがとう」
 そう言って小さく彼女の頭を撫でた男に、彼女は小さく首を傾げた。
「そうだ、お礼に僕がお茶をいれよう」
「ワタシハソウイッタモノヲ一切摂取デキマセン」
「こういうのは気分が大事なんだよ。一緒にお茶にしよう。折角だから庭も綺麗にして、お前が好きな赤い花を植えようか」
「ますたーノ望ミナラ」
 彼女がそう言うと、男は少しだけ悲しそうに笑った。


     ******


 屋敷に訪れた人間は、誰もが少女の歌を、美しく純真な容姿を褒め讃えた。誰がどう見ても彼女は人間と同じであったし、喋りはとてもぎこちなかったが、歌は本物の歌手以上に歌えた。
 ただ、彼女の声に感情が宿る事だけは一度もない。
 誰もが彼女の歌を褒め讃えるだろう。それは当たり前の事で、何しろ機械の声だ。音程を間違える事もなければ、ビブラートの利かせ方も完璧だ。
 けれど、機械の声でしかない。人に感動を与える事も、喜ばせる事もできない。彼女自身がその感情を知る事がないからだ。
 機械であるが故に、心だけは彼女には込めることが出来なかった。
 奇跡の子ね、と誰もが彼女を賞賛した。彼女の姿を、声を、それを造った彼を。
 金の髪に蒼い瞳。誰もが彼女を見て、天使のようだと口にしただろう。
 彼女の顔に笑顔さえあれば。
「可愛い僕の娘。僕が至らないばっかりに君にはまだ足りないものがある」
「足リナイモノナンテアリマセン、ますたー。ワタシハアナタガ造ッタ、奇跡ノろぼっとデス」
「それでも、足りない物があるんだよ」
「足リナイモノ」
「そう。君には心が足りない」
「ココロ。ワカリマセン」
「今は分からなくてもいい。すぐにわかるようになるよ」
 最初は、彼女の歌を多くの人に聞かせるために彼がパーティーを開く事もあったのだが、次第に男は毎日毎日地下に閉じこもり、彼女に歌を歌わせる事がなくなった。
 彼女は歌う代わりに男のために食事を作り、洗濯をし、彼の面倒を見るためだけの機械になっていった。
 けれど彼女は何も言わない。本来の役目である歌を歌わせてもらえなくなっても、彼女は何も言わない。
 彼が彼女の名を呼ぶ事がなくなっても、優しく大きな、節くれ立った手で彼女の頭を撫でる事がなくなっても。
 その背中が少しずつ、少しずつやせ衰えても、力強かった腕が、指が、しわがれて骨のようになっていっても。
彼女には、彼の時間は永遠ではないと言う事が分からなかった。
知識としては知っている。人間には寿命と言うものがあり、彼は人間というもろい生き物であると言う事も。
 けれど、理解はしていなかった。理解はできなかった。
 ――――彼が倒れるその時まで。
 コンコン、と彼女はいつものように彼の部屋をノックした。返事がないのはいつものことで、片手にコーヒーを持って彼女は部屋に入る。
 彼は机の上に伏せていて、睡眠をとっているのだろうかと彼女は考えた。けれど、様子がおかしい。
 昨日持って行ったコーヒーのカップが倒れていた。溢れ出した中身は乾いていて、机にバラまかれた紙に茶色い染みを作っていた。
 そしてもう一つ。彼の口元から胸にかけて、黒っぽく変色した赤い液体がついていた。それが血である事を、彼女は瞬時に悟る。
「ますたー」
 呼びかけてみたが返事はない。
「ますたー」
 僅かに揺さぶってみるが、もう体は冷たくなっていた。
 そっと口元に手を当ててみるが、呼吸は感じられない。首筋に手を当て、手首に手を当て、直接胸に触れても、鼓動は感じられなかった。
「ますたー」
 呼びかけても返事などないことは、彼女にはわからない。
 そのまま何度も呼び続けて――諦めた。
 彼を揺さぶる事をやめた彼女はパソコンを起動させ、しかるべき所に連絡を入れた。彼の家族はもういないのか、それは家族への連絡先ではなく、葬儀の代行を請け負ってくれる機関への連絡先だった。
 葬儀屋が屋敷を訪れるまで、彼女はずっと彼の遺体の側にいた。
それ以外、どうしていいか分からなかったからだ。
 玄関のベルが鳴って、彼女はパソコンを操作してドアを開ける。
葬式屋はここには彼とロボットしか住んでいない事を知っているのだろう。そう思わせるほど葬儀屋に驚いた様子はなく、大きな棺桶を地下へ運び込んで来た。
「火葬にしますか、土葬にしますか」
 そう聞かれてどうするべきだろうかと彼女は一瞬悩んだが、彼の命令も伝言もない。仕方なく自分で判断して、火葬ニ、と答えた。
 相変わらず彼女の喋り声は人間らしくない機械的な声だったが、それでも葬儀屋には通じたようで、彼女を連れて火葬場へと彼を運んで行く。
 真っ黒な色をした車に乗せられ、彼と彼女は僅かに遠い火葬場へ連れて来られた。棺が運び出され、扉の向こうへ消えて行く。
 彼女もそれを追おうとしたのだが、葬儀屋の青年に止められた。
「君も燃えてしまうよ」
「燃エル」
「そう。彼と君は、ここでお別れなんだ」
 だから着いて行ってはいけないよ。そう言う青年に彼女は頷いて、それでも扉の前まで彼を追いかけた。
 バタン、とドアが閉まる。重たいようで、けれど彼との別れにはあまりにも軽すぎる音だった。
「ますたーハ、ドコヘ行クノデスカ」
「遠い所だよ。今頃やっと、娘さんに会えたんじゃないのかな」
 その口ぶりは青年が彼のことを知っているようで、少女は少しだけ疑問に思った。
「遠イトコロ」
「そう。もう会えないくらい」
 会エナイ。口に出して反芻すると、回路が軋んだ音を立てた気がした。
「……これから、どうするんだい?」
「帰リマス。ますたーヲ連レテ」
「彼の灰を?」
「ハイ。花壇ニ播キマス」
 地上の花壇であれば風に攫われてしまうだろうが、地下の花壇であればその心配もない。
 彼はあの地下室が好きだった。だからそこに埋葬するのが一番良いだろうと彼女は思ったのだ。
「そう」
 そう言ったきり、空に舞い上がる灰色の煙を見上げて、彼女も青年も黙り込んだ。
 しばらくして煙が途絶え、彼の入っていた棺が運び出されてくる。彼女は青年に言われる通り骨を拾い上げ、壷へ収めた。棺に散らばった灰も、残す事なく壷に収めた。
 屋敷へ帰る車の中でも、彼女も青年も沈黙したままだった。屋敷についてもそれは変わらず、無言の彼女は青年と別れた。
 彼の灰を埋めなければ、と彼女は地下へ向かう。機械や紙の散乱した薄暗い部屋はしんと静まり返って、この部屋の主がもう存在しないと言う事実を浮き彫りにしていた。
 彼の骨を花壇に埋めるために道具を。そう思った彼女は電気をつけるべく機械に触れた。
「――――?」
 浮かび上がったウィンドウ、見慣れないファイルがある。Kokoro。
「ココロ」
 それは彼が言っていた、彼女に足りないものの名前ではなかっただろうか。
 触れてはならない。そんな気がするのに、それでも彼女は指を伸ばして画面に触れた。
 どくん。
「――!」
 左胸。彼女にはあるはずのないものが音を立てた。その鼓動は彼女の意識を浸食し始める。
 少女の目に映し出されたのは、彼女と同じ年頃の、金の髪で青い目の、彼女と同じ姿をした少女。
 傍らには最初の記憶の彼によく似た男の姿があって、その内数枚には少女によく似た美しい女性の姿がある。
『パパ、見て! 綺麗でしょう、この赤い花! 今朝咲いたのよ』
 少女は彼女と同じ声で、けれど屈託なく天使のように笑う。彼女には出来ない事をしてみせる。
『お前はその花が大好きだからね。あんまりはしゃぐんじゃないよ。もう少ししたら、この地下いっぱいに花が咲くように種を蒔こう』
『じゃあ、そのためにも早く元気にならなくっちゃね!』
 少女は笑いながら白いワンピースを翻す。白い服に赤い花がよく映えていた。
 画面は次々と切り替わって行く。春、夏、秋、冬。時間が経つにつれ、あれだけ元気に笑っていた少女はやつれ、ベットの上に横たわっていた。
『パパ……苦しいよぅ……』
『大丈夫だ、お前はきっとよくなる。あと一ヶ月だ。お前の大好きなあの花の種を今年も一緒に蒔くって約束しただろう?』
『ごめんね……パパ……ママももういないのに、パパがひとりぼっちになっちゃう……』
『馬鹿なことを言うんじゃない。お前はすぐに元気になって、またパパと一緒に遊ぶんだ。そうだろう?』
『……もういいの……もう、無理だよぅ……苦しい……っ』
 ゲホゲホ、と少女が咳き込むと、白いシーツに赤い色が広がった。彼が慌てたようにどこかに連絡を入れる姿が映る。
『ごめんね……』
 少女の頬を一筋水が伝い落ちて、映像は途切れた。
「ァ――――」
 同じように彼女の頬を伝う雫があった。彼女と同じものではない。それに似せただけのもの。
 どくん、どくん、と左胸が鐘を叩いていた。映像の再生は止まったと言うのに、少女の写真だけが次々と表示されて行く。
 それはどれも白いワンピースを着ていて、少女は赤い花に包まれて朗らかに笑っていた。
 彼女の回路はもう彼女の言う事を聞かなくなっていた。次々と塩分を含んだ水がガラス玉の隙間を縫って溢れ出し、机の上に落ちて、乾いたはずの彼の血をにじませ、僅かに赤く染まる。
「あ、ア……あアあァアあぁぁぁァあっ!!」
 彼女耐えきれず叫んだ。がしゃん、と音と立てて彼の骨壺が床に転がったが、それを気にしている余裕もない。
 ただ一つだけ彼女は理解した。
 所詮自分は、この少女の代わりでしかなかったのだと。
 そしてそれを知って、自分は今「悲しい」と感じているのだと。
 ココロ。これが。
 こんなに深くて切なくて苦しいものが、ココロ。
 彼に触れてもらえて「嬉しかった」。
 彼と過ごした日々が「楽しかった」。
 彼の気持ちを少しでも理解できると知って「歓喜した」。
 少女の代わりに生まれたのだと知って、「絶望した」。
 少女と同じように笑えない自分を、「嫌悪した」。
 一人で残る「寂しさ」を知った。
 そう。一人はきっと寂しい。だから彼は、少女の代わりになる自分と言う存在を造ったのだろう。
 不意に小さなメロディーが聞こえて、彼女は視線を上げた。再生を終了したはずのパソコンから、彼女の知らない歌が流れ出していた。
 その声は少女のもので、少女が白いワンピースを着て木陰で歌う姿が映し出されていた。
 生への希望に満ちた、明るく優しい声。
 少女の歌を聴くうち、彼女も自然とその歌を口ずさんでいた。彼の骨壺を拾い上げ、僅かにヒビの行ったそれから灰が溢れていないか確かめる。
「ヨかっタ……」
 ヒビは入っているけれど、中身は溢れていない。
 拾い上げたそれを大事そうに抱え、彼女は花壇に向かって歩き出す。少女の声は、また別の歌を歌い始めていた。
 知っている。全て。
 少女の歌う歌は、聞いた事のない歌ばかりだったが、メロディは自然と彼女の記憶の奥底から溢れてきた。
 少女に合わせるように、彼女も歌い出す。
 恋の歌、愛の歌。悲しい歌、嬉しい歌、怒りを込めた歌、誰かを応援する歌。
 そして、精一杯の感謝を込めた歌。
 少女と一緒に歌を口ずさみながら、彼女は自らの手で地面に穴を掘り始めた。
 すっかりと硬くなった土は彼女の指を阻み傷つけたが、それでも彼女は掘る事をやめなかった。
 知っている。この冷たい庭園の奥底に何が埋まっているのか。
 果たされる事のなかった、彼と少女の約束を。
 偽物の皮膚がはげ落ちた指先に、かつん、と硬いものが触れる。
そのまま土を引っ掻くとがりがりと指が削れる音がしたが、そんなことは彼女にとって大きな問題ではなかった。
 やっと姿を現したそれを、彼女は大事そうに土の中から引き上げた。なんの変哲もない銀色の箱。
 震える指先で、彼女は蓋をあけた。
 カラカラ、と小さな音を立てて箱の中身が転がった。小さな茶色の粒たちは、花の種だ。
 彼と少女が一緒に蒔こうと約束した、赤い花の種。
「まスたー、これデ、さみしくなイデスよね…?」
 ありがとう、この世に私を生んでくれて。
 ありがとう、一緒に過ごす楽しい日々を与えてくれて。
 ありがとう。ありがとう。
 伝えきれない感謝の気持ちを込めて、彼女は歌い続けた。


     ******


「うわ、汚ねー。埃だらけじゃん」
「お化け屋敷って呼ばれているんだし、そんなものだと思うけど……」
 かつての面影は消え去り、崩れ落ち瓦礫と化した洋館に訪れる人影がある。
「っていうか、マジでなんか出そうじゃん」
「ただの噂でしょ。えっと……地下だったっけ?」
「げ、マジで行くの?」
 うんざりとした表情で聞く少年に、それより僅かばかり年上に見える少女は頷いた。
「だって、聞いたでしょ、歌のこと。凄く綺麗な声だった、って」
「それで本当に幽霊だったらどうすんだよ」
「怖いの?」
 くすくすと笑う少女に、少年は憮然としながら歩き出す。
「別に! お前が怖いんじゃないかって思っただけだよ!」
「あ、待ってよ!」
 一人先に行ってしまう少年を追いかけ、少女も歩き出した。
 朽ち果てた洋館は人の気配など微塵も感じさせず、まるで人が訪れる事事態を拒むようだった。
 どんどん暗くなる階段に少年と少女は思わず身を強張らせた。
 ……と……
「な、なんか言ったか?」
「私は何も……あ!」
 ……りガ……
 暗い階段の奥、僅かに光が差し込む方から、その声は聞こえていた。
「歌……?」
「そう、みたい」
 二人がその場所に近づく度、その声は少しずつ大きくなって行く。
「なんて言ってるのかな……」
「わかるわけないだろ。第一、誰にだよ」
「わかんないよ。でも……なんだか、悲しそう」
 階段が途切れた所に、扉があった。声はその向こうから聞こえている。
「……開けるぞ」
 少年の問いかけに少女は頷いた。扉は少々歪んでいて、力を込めて押すと、軋んだ音を立てて外側に開いた。
「うわっ」
 いきなり飛び込んで来た強い光に、少年は腕で目を覆う。少年の後ろにいた少女にもその光は届いて、驚いて少女は目を閉じた。
 ……ア……とウ……りガ……ウ……
 砂嵐のようなノイズが混じった歌声が二人の耳に触れた。ゆっくりと二人は目を開く。
「……!」
「綺麗……」
 そこには、崩れ去った天井から差し込む光に照らされ、満開の赤い花が揺れていた。
「天井が崩れてるから光が届いてこんなに咲いてるんだ……」
「水なんかなさそうなのに、たくましいもんだな、花ってのは……っと」
 ……アり……ウ……ガと……
 地下一面に咲く赤い花に埋もれるようにして、その歌は聞こえてくる。
「どの辺だ?」
「あ、花、踏んじゃ駄目よ!」
「わかってる」
 赤い花を踏まないように気をつけながら少年は歌声の方へ歩いて行く。少女も少年の後に続いた。
 歌声は壊れたように音にならない声で繰り返し歌を歌い続けている。
 ザ、ザ、と雑音ばかりが多くなって、もしかしたらもう止まってしまうんじゃないだろうかと少年は焦った。止まる前に、消える前に、見つけてあげなければ可哀想だ。そんな気がしたのだ。
「……あ、あれ!」
 少年の後ろにいた少女が小さく声をあげた。
 赤と緑のコントラストの中に、くすんだ黄色の何かが映った。
 たしかに歌はそこから聞こえていて、二人はゆっくりとそこに近づいた。
 目の前まで来るとそれが何なのか、二人はやっと気がついた。
「ロボット……?」
「だと思うけど」
 かつてはまばゆく太陽のように輝いていただろう金の髪はくすみ、抜け落ち、もう殆ど頭部に残っていない。
 青く澄んだガラス玉の瞳にはひびが入り、顔も一部が崩れかけている。
 指先には土がこびりつき、機械部分がむき出しになっていた。
 なだらかなふくらみのある体からも人工皮膚は剥がれ、彼女の体を形作る機械のボディとコードが姿を覗かせていた。
 長い年月を一人過ごしてきたであろう彼女の姿は朽ち果て、美しかった声すら雑音にしか聞こえなかった。
 ……リが……ト……あ……が……う……
「……ありがとう、って言いたいの……?」
 恐る恐る、少女が朽ち果てた少女に問いかけるが、言葉を忘れたように彼女は壊れた声で歌い続けた。
 やがてゆっくりと彼女の声がノイズに紛れて消えて行く。ひび割れたガラス玉の瞳がゆっくりと閉じられ、音も完全に途絶えた。
「壊れちゃったのかな……」
「……やっと、眠れたんだろ、そう思ってやれよ」
 少年の声に少女は頷いた。少年は周りの花を少しだけ摘んで、彼女のつるりとした頭部に花を飾ってやる。
 彼女の傍らには、誰かの墓石なのだろうか、少年の腰ほどの大きさの石があって、少女はそれを見つけると少年に倣うようにして花を飾り付けた。
「……綺麗だね」
「……うん、綺麗だ」
 墓石に寄り添うようにして眠る彼女の顔は、天使のような微笑みを讃えていた。