紙切れ。

まえがき  原型  成型

-020
言葉は永遠だ。そういうと言葉はそっぽを向く。かけがえのない無口な言葉たち。ときどき邪魔になる言葉たち。永遠というと人は赤くなる。南国の花のように、17歳の照れくささで花粉のように飛んでゆく。4歳の冷静さで根っこのようにみつめる。20代の理屈はそれを扱いあぐねる。永遠に反応する物質が、遺伝子の片隅で奔放に宿っている。科学者はそれを発見できずにいる。確かに居るのに、どこにも居ない。長寿の秘訣を尋ねる。テロメアを研究する。恋人に問いただす。それでも居ない。不意に永遠を望む。その中にこそ永遠が居る。人の欲の銀河の中。


-019
老人の仕草はかけがえのない化石。いのちの塵埃に答えようとする、手のふるえ。その力。雨降りの木に雨が降るようにとじて、掌のように私の中にひらくといい。寡黙な愛。歴史の嘘。感傷の血溜まり。遠い正義。梢の透明。窓の水滴。アスファルトに蒸せた、人のさやしさにも、そっとひらくといい。


-018
かなしみはそっと人々に寄生する。人々は大げさにかなしみに寄生する。それからおもむろに孤独を計算する。心のままに世界をいだく。世界はそのままに隆起し陥没する。空は染められ漂白される。一日と呼ばれるその中の、正午という嘘めいた線はたよりにならない。人々のつくった点や線や空間は、かなしさの中では何も区切ることはできない。それらは人々ではなく人がつくるものだから。人はかなしさの中では自由で孤独で居られる。


-017
煙草の火種の赤らみ、それに似て、ときどき月を思い出すのは、どこかあわれに淫らだ。首輪のない猫等が互いを呼び合うように鳴いている、その所為かもしれないし、体が熱い所為かもしれない。暗闇でゆれる草花が幽霊の顔にみえた玄関で、煙草を吸うのはうつくしく後ろめたい。人の傲慢な愛しさと、地球のかなしい螺旋。そんな遠いいのちで私は知っているだけだ。時間は人とともに、歪んだまま名付けられた。名付けられ、名無しのまま旅にでる。子等の胸に。古びた仕草の中には、永遠が宿っている。


-016
脚に時間が打ちよせると、瞼に太陽が素潜りします。時折思い出したように、隣家の風鈴が凜と空へ手を振ると、体には夏がたくさん実っていました。知らないふりをして花火ばかりみていたこともあったし、好きでないふりをして手を握ったこともありました。夏はいつも半袖のように正直で苦手です。あるいは乾いた洗濯物のように。曖昧なんて、と言われてもどうしようもなくて、ただ、笑います。あちこちが言葉足らずなら、その分体だけは真っ直ぐに伸びる気もするのですが、太陽はどうも饒舌すぎて、くったりしてしまいます。時折、思い出したように涙をください。


-015
お好み焼きを焼いていると、さらに部屋があたたまってしまって、その日いちばん暑い部屋は、とても裕福な砂漠のようでした。そういえば畳のうえで、駱駝が仰向けで寝ていたような気がします。扇風機の前で、ときどき寝返りをうって。すこし不格好な置き時計がサボテンに見えてくると、携帯電話はただの石ころになります。AMラジオのノイズが砂嵐になると、いよいよ、体は風になりました。
けれど唐突に、タイマーがなると、全ては蜃気楼のように消えて、ああ、お好み焼きができあがったようです。


-014
体が軋んでいるのは疲れたがっているからで、何処か、何処でもいいところへ行かなければならない。あるいは密室の中で振動しつづけなければならないか、そのどちらか。大抵はどちらでもいいところでいつも遠ざかっている。重力はないけれど景色はよく見える場所。音も色もよく吸い込める。だらしなくて、信号機や植物や子供の真似をしている場所。


-013
裏通りを自転車で走ると、いつも稲畑のあおい匂いが体の一番上のほうに溜まっている。空は水になろうとして、溢れ出た湿度が私の稲畑の上に被さる。しばらくして大通りにでると、排気ガスの匂いがさらに覆い被さって、実家の近くを通りかかると、線香の香りが重なる。一息ついて煙草を吸うと、マイルドセブンの粒子が膜を張っている。私の海と森がそれを吸い込んで私の大気になって、それが稲畑や車や道に漂っている。私の地殻は今は落ち着いていて、核になるともう動かずに、何かが化石になるのを待っているようでもあるし、爆発するようでもある。


- 012
烏はレコードを食べたのか、または誰かがその黒い喉を調律したのか、聞いたことのないリズムで、その声は清く街を流れる。いつも、そのような言葉を並べて世界に関係してゆく指から、しだいに遠のく純粋さ。透明に透明を重ねて濁るのは、世界の内側。遠く遠く流れた、果てと呼ばれた風の吹きだまりの中に危うさが笑う。つめたくせつなく。


- 011
空は一面、青灰色にけむった野原のようで、誰の声も聞こえず、かすかに、雀の線のような声や、烏の狡猾な眼差しが青白くぬれて飛んでいました。緑道のベンチでおしゃべりをするふたりは秘密になり、寡黙な新聞屋のバイクの音は、誰かの枕に囁いたのでしょう。アパートの階段から見た西の山々は、森いっぱいに、煙草をふかしたようにひどく雲にかすんで、この静かに冷えて水を吸った風と、青白く病んだ空が、今日一日ずっと続けば、晴れる心も確かにあるのだろうなと、朝のゆるやかに光りけむる気層の底で、小さく想いました。

(C) copyright 2007 流居 all right reserved.