いつからだろう。わたしの朝があなたに逢うためだけに始まるようになったのは。




明日もしまた逢えたら




寄り添う二人。電車の中。窓に映るお互いの顔。時々触れるのは、吊革を握る右手と左手。

わたしはまばたきすら惜しいくらい。隣にいるあなたは少しうとうとしているけれど。窓越しに眺めるその表情に、いとしさがまた込み上げる。わたしったらほんとうに情けない。こうして隣にいるあなたの名前すら知らない。もちろん、あなただってわたしの名前なんか知らない。わたしのこと、どう思っているのかしら?なんだかんだで週に二日か三日こうして同じ車両で隣同士なんだから、わたしの顔くらい覚えていてもいいはずだ。わたしの駅の二つ後にあなたはいつも乗ってくる。そしていつもわたしの隣を陣取るんだから、わたしのこと嫌に思ってることはなさそう。まぁ、なんとも思ってないって言うのが、一番色濃い。

悪戯な大きな揺れ。バランス崩した少女の髪が、彼の右肩に触れて流れた。

「あ……」

見上げると目が合った。あなたもわたしをみていた。

「ごめんなさい」

小さな声で呟く。色のない声。なんて可愛くないんだろう。咄嗟に可愛いことなんて、何も思い浮かばない。可愛くみせたい相手にばかり、棘のある口の利き方。

「あ、いや」

あなたは瞳を細めて言った。初めて見る表情と、初めて聴く声だった。少し低いけど優しく響く声。わたしもっとあなたに溺れてしまいそう。一体どうしたらいい? 気付けばわたしは縋るような瞳をしていたのかもしれない。電車の騒音に紛れるように自然に、そしてこのぎこちない間を縫い合わせるように、あなたは言った。「いつもこの電車乗ってますよね」

「え、あ、はい」とわたしはまた可愛くない言葉を返した。せっかく、せっかく話しかけてくれたのに!

「あ、あの……わたしも思ってました。よく同じ電車だなぁって」

なんとか会話を途切らせないようにとついて出た言葉は自分でもよくわからないものだった。だからどうした?って言いたくなるようなせりふ。きっとあなたはわたしに話しかけたことを後悔するんだろうなぁ、なんて思った。わたしだめだなぁ。全然気の利いたこと言えないしできない。吊革を握っていない右手がぎゅっと硬い拳を作る。それでもあなたの方を向いた顔を元に戻すことはできなかった。勿体なくて。さっきから、あなたのネクタイばかりを見つめている。青と緑のしましま模様。胸元を少し緩めたシャツが似合ってるなぁなんて考えてしまう。

「…いつもここにいますよね」
「あ、はい、なんとなく、いっつもここに来ちゃって」
「はは」

少し笑ってまた目を細めたあなた。ほんとうはあなたに逢うためですなんて言えない。ねえ夢みたい。こうしてあなたと話せるなんて。うれしすぎて腰が抜けそう。とても幸せ。夢みたい。このままずっと電車が走り続ければいいのに。だけどもう会話は途切れてしまった。窓越しに窺ったあなたの表情は、いつもどおりのものに戻っていた。


ほんのすこしの、勇気が欲しいな。


せめてもう一言何か言い出せて、あなたをまた振り向かせるくらいの。想いばかりが先走って、なんにも言葉にならないの。ぎゅっと握った右手が痛い。つぐんだ唇噛みしめる。あまりに弱いわたしを変えたくてしょうがない。だって、あなたと隣同士の15分間が何よりも幸せだったわたしが、あなたの声や笑顔を知ってしまったの覚えてしまったの。隣同士にいるだけじゃもどかしくなってしまった。また声が聴きたい笑って欲しい。

寄り添う二人。電車が速度を落としてゆく。俯いた少女に構わず扉が開かれる。吊革を放した手、それは二人の距離を意味していた。人ごみ中でどんどん小さくなる彼の背中に、少女は切なさばかりみていた。


明日。
明日もしもまた逢えたら、そしたら―……




fin.



050404

通勤通学電車の他人同士の近すぎる距離は不思議!
お久しぶりすぎです。短いです。