どこまでも続く星の絨毯

金色のステッキとピンクガラスのハイヒールで

軽やかなステップを踏みましょう


それは、永遠。


素敵な音楽 おいしいごちそう

醒めない夢のようにすべてを放り投げてしまうの



あなたが笑ってくれないなら、わたしは死んだっていい。




  王子さま。




「ねえ、笑って、笑って?」

そう、いつもみたいに。白い歯を光らせて、やわらかい頬をくしゃり

今にもこぼれおちそうな笑顔を、ちょうだい?


彼の目の前で、彼女は二つの手のひらを振ってみた。しかし相変わらず彼は深く瞼を落とし、動かない。彼女は頬を膨らませるようにして、だらんとコンクリートに投げ出された彼の手をとった。

「ねーえ、聞こえてるでしょ?」

今度は握った手をぶんぶんと振ってみる。校舎の壁にもたれかかった彼の目線に合わせてしゃがみこみ、その顔を覗き込むこと数分。いっこうに彼は答えてくれない。それでも彼女は諦めなかった。

「ねえ、ねえねえねえ」

彼女が耳元で大声で訴えると、やっとのことのように彼は眉をひそめた。その小さな動きを彼女は見逃さない。

「ねえ!」

これ以上ないというくらいの大きな声で叫ぶと、彼は握られている手を振り払い、ぎろりと真っ黒な瞳を光らせた。

「…んだよ」
「やっと答えてくれた! 大丈夫? 笑って?」
「うるせえ」

ぽつりぽつりと彼は呟くように言った。それが彼女のフィルターを通すといちいちキラリと光る。彼女にとっての彼は、まさに『王子さま』だった。この、校舎の裏で一人憔悴しきったような顔をしている彼が。

それならばといわんばかりに、彼女は自分の頬をつまんで伸ばした。「いー」という効果音をつけて。彼の笑顔が、彼女はただただ見たかった。


みせて、みせて、あなたいちばんの笑顔を

わたしにみせて、ねえおねがい


「いー…」

校舎裏に佇む二人に、ただ静寂は降り注ぐよう。彼女は必死に囚われた過去を振り払いながら、彼の笑顔を探した。


ねえ、ねえ、あなたのわらったかおがみたいの


「もう、どうしてそんなに怒ってるの?」
「………っせえ」
「教えてくれても、いいでしょ」
「…………みりゃわかんだろ」

彼にそう言われて、彼女はあらためて彼をつま先から髪の毛までじっくりと見つめた。
彼はところどころ擦りむいたような怪我をしていて、人から見れば明らかに異常だった。彼の口元の鮮やかな赤を、しかし彼女はきれいだと想う。
そして、笑ってくれたらと。

「また殴られたの」

彼女は問うた。先ほどまでとは、少し違う声色で。

「みりゃわかんだろっつってんだろ」
「笑って。だれに?」
「関係ねえよ」
「笑って。聞くくらいいいでしょ」
「……うっせえ」
「笑って。教えてくれたらわたし、仕返ししたげるよ」
「んなもんする必要ねえよ。バカなのはあいつらだ」
「笑って。やっぱり優しいね、大好き。」

惜しみなく彼女は彼女の望むことを紡いだ。
彼のためならば、なにも惜しくなどなかった。


あなたのためならわたし、星屑を降らせることだってできるの

ねえ、ほんとうだわ、わたし、あなたのためなら。

あなたが望むすべてを、みせてあげる

信じて、そして、わらってください


彼女がこうして彼につきまとうようになったのは、半年前から。彼女は酷いいじめに遭っていた。毎日毎日、汚れた制服で家路を辿る。彼女は、死ぬつもりだった。生きる希望など、とうに失くしてしまったから。だけどそこに光をもたらしたのが、彼だった。
彼は、校舎の裏で立ち尽くす彼女を偶然見つけた。彼女は泣いてはいなかったけれど、その心はとてもとても痛んでいるのがわかった。たすけて、たすけて、と彼女の背中は悲鳴をあげていた。だから、声をかけてみた。

『こんなとこでなにしてんだよ』

彼女ははじかれたようにびくりとからだを震わせ、彼を見上げた。死んだ魚のような目だ、彼は想った。同時に、声をかけたことを少し後悔した。
無言で見つめる瞳は、彼の胸になにかを訴えた。それはなんだっただろう。

彼は、笑った。安心させてあげるために。そして彼女を抱きしめた。何も言えなかったから、抱きしめた。細い肩。皮のすぐ下に骨があるように思えた。彼の胸で、彼女は声を殺して泣いた。はじめての、涙だった。

彼女は誓った。
このひとの笑顔を守ろう、と。


すべてのかなしみも さみしさも

あなたはもう知らなくてもいい

わたしが守るよ

そしていつだっていつまでも

やさしい音色の響くお城で眠らせてあげたい


「笑って」
「……いいよ、もう」
「笑って?」
「おまえだって、疲れてんだろ。ほんとは」
「…わら、って」
「おれなんかに、もう構わなくたっていいよ」
「……わ…ら……て…」

彼女は泣いた。二度目の涙。そして、死のうと思ったのも二度目だった。


あなたが笑ってくれないなら、わたしは死んだっていい。


誓いの糸がほつれて、そして切れてしまう。彼女は軋むその指先で彼の口元を拭う。人差し指の先が、赤くなった。

「わたし、好きなの、ねえ、ほんとうよ?」
「………やめろよ」
「あのね、あなたを守りたいの。いつだって、あのときみたいに笑っていてほしいの」

あのときみたいに、と言う彼女の脳裏に浮かぶのは、はじめて彼のぬくもりに触れた日だった。もうすべて失くしたと思っていたあの日。どうしたら、楽になれるのだろう。死ぬしかないではないか。そう考えていた彼女に、彼は笑いかけた。その笑顔は、空をつきぬけて天国さえも通り抜け、どこまでもどこまでも続く気がした。永遠なのだと思った。そしてそのすべてを守りたい、と。永遠に光り輝いていてほしいから。彼女の胸に、誓いの剣を立てる。もういくらでも傷ついたから、どうってことはなかった。

「いつまで、あんなこと引きずってんだよ」
「わたしにとっては、永遠なの……!」
「迷惑だよ、おれ、そこまでおまえの責任持てない」

ああ、誓いの剣が倒れてしまう気がした。彼女は赤く色づいた指先を、掻き消すように握り締める。彼は相変わらずだらんと空を仰ぐ。
不思議な光景だった。男は傷だらけでコンクリートに座り込み、空を見上げて。女は男に縋るようにしゃがみ込んで、唇と拳を結んでいた。


あなたに必要とされないわたしは、どうしたらいい

いっそ憎めば?

やっとの思いで掬った星のかけらも

あなたはもういらないの?


彼は空を見上げるのが好きだった。だから彼女はいつか空を彼にあげようと心に決めた。それを彼に言ったら、笑って『いらない』と言われたから、じゃあ星をあげようと思った。今度は彼に黙って突然あげることにした。
星のかけらを集めて、集めて、集めて、いつかひとつにしようと思っていたのに。

「わたし、もういらない…?」


今度はお城を建てることにした。彼女はとりあえずデザインを考えた。彼のように、キラキラしていたらいいと思った。だから、キラキラしているものを見つけると、すぐに拾って集めた。今まで、小さなビー玉や貝殻、いろんなものを拾った。
いつか、いつか、すべては彼に繋がってゆくはずだった。少なくとも彼女はそう信じていた。


「最初から、いてもいなくてもかわんなかったよ」


どこまでも続く星の絨毯

金色のステッキとピンクガラスのハイヒールで

軽やかなステップを踏みましょう


「……ずっと、いらなかった…?」


それは、永遠。


「もっと早く気付けよ。こっちはずっと迷惑だったんだよ」


素敵な音楽 おいしいごちそう

醒めない夢のようにすべてを放り投げてしまうの


「わたし、ずっとずっと、わたしが、迷惑だったの」


あなたが笑ってくれないなら、わたしは死んだっていい。


「おまえなんか、いらねえよ」




彼女は誓いの剣をもう一度立てた。そして、この胸に突き刺そう。
ほどかれた指先は、もう彼の跡を残してはいなかった。
ただ。
ただ、彼の笑顔がみたかった。

それは確かに、彼女のすべてをもう一度救い上げたから。

立ち上がり、彼を見据えても、その瞳は彼女に注がれはしなかった。
それでも彼女は、精一杯可愛い顔を作ってみせた。



「永遠をみせてくれて、ありがとう」



―――ただ。




fin.



040619