いつになったら、ちゃんとあたしを見てくれる?



3.いちばんすきな人



毎日背伸びして、少しでも彰人に近づけるように。
化粧だってもう慣れたし、ダイエットとか、色々研究して、それで。

それで。

それなのに、彰人はいつもちゃんとあたしを見てはくれない。
どうして?
あたしのこと、きらいなの?

元気に見えても、どこかで怯えてた。
きらわれたら、どうしよう。
あたしのせいで、彰人に迷惑がかかったら、どうしよう。

ひとつひとつ慎重に。あたしは絶対に絶対に彰人に迷惑だけはかけたくないって、誓ってるから。



「彰人ーーーーーーっ!!」

そして今日も。

「ねぇ、ここ教えてっ」

休み時間、授業を終えて教室から出てくる彰人に駆け寄る。

「教えてください、だろ」

彰人はいつも、そんなようなことを言って、少し、笑う。
その笑顔が大好きで、見たくて、見れたら幸せな気持ちでいっぱいになった。

「教えてください〜」
「なんだよ、その言い方」

彰人の声は、少し低くて、優しい声。なんて言うんだろう、潤った、っていうのが近い感じ。

「大体俺、彰人じゃないし」

職員室に向かう彰人について行く。
彰人はもう慣れて、少しだけあたしの歩く速さに合わせてくれる。
そんな些細なことが、あたしにとっては些細じゃなくて、生きがいにさえなる。

「なんでよ??彰人でしょ。佐々木彰人!」

あたしが言うと、彰人は「そうじゃなくて」と持っていた教科書であたしを叩くフリをした。優しく。
一瞬、髪に手が触れたような気がした。

どきん、

彰人の前ではただでさえ心拍数多いのに、もう、やばい。
どうしてくれるの。

「そうじゃなくて、俺、一応、先生」
「先生に見えないもん!」
「それ、どういう意味だよー」

『先生』、と聞いて、一瞬あたしの顔は強張った。彰人に気付かれてないかな。
普通に流したけど、あたしは『先生』という言葉が嫌いだ。(というか、教師そのものが嫌いだ)それだけで、上下関係とか敬語とか、些細なルールが付いてくるから。それ こそ、あたしにとっての些細なこと。
だから、彰人のことを『彰人』と呼んでいる。


でもひとつ、不思議なことがある。
それは、この世の七不思議に数えられる、絶対。本気でそう思う。


それは、なぜあたしたちがこんなに自然に話せるのかということ。





少し遡る。一週間くらい前だろうか。

「彰人」

そこは放課後の教室で、彰人は一人、テストの予習練習問題を作っていた。

「おぉ、村山」

振り向きもせずに、彰人は言った。
ああ声だけでわかってくれたんだと素直に思った反面、なぜだかすごく、ショックだった。


ねぇ、放課後も、誰もいないときでも、どうしてそんなに先生と生徒の距離を保とうとするの?


今は後悔してる。
ほんとうに何故だかあのときは、妙にいらいらして、何もかもがいやだった。
どうしてそんなに彰人は優しいの?
だから彰人はそんなに酷いの?

「どうしたー?」

答えない私に、彰人は優しく言った。振り向かずに。
そのことにまた、腹が立つ。

あたしは答えない。

「村山?」

苗字で、呼ぶ。
当たり前なのに、それだけで十分なのに、裏腹にあたしはいらついた。


「・・・・・・・彩」

「ん??」


聞き返す彰人は、まだ問題のプリントと向き合っていて、あたしはまるでいないみたいだった。
そう思えた。

「彩だよ」

「それがどうかしたのか?」

「あたしの名前、彩だよ」

「知ってるよ」

小馬鹿にするような彰人の言い方に、大嫌いな教師の影を見て、ぞっとした。

「村山?」

何度も名前を呼ぶくらいなら、ちゃんとこっちを見ればいいのに。
こっちを、ちゃんと見てよ・・・


「・・・彩って、呼んでよ・・・っ!!」


あたしが急に大声で叫んだから、さすがに彰人は驚いて振り向いた。
・・・振り向いた。

あたしはそのとき体が言うことを聞かなくて、気付いたら、彰人に向かって走っていて、それで。


目の前にあるのは、驚いてきょとんとした、彰人。


ああ、そうか。あたしは。


キス、しちゃった。


すっごい、迷惑。


「ごめんなさ・・・」

気付いて、すぐに謝ったけど、もう遅いことくらい、あたしにはわかっていた。

「・・・ごめんなさい・・・」

彰人の顔は見れなかった。
涙が溢れそうで溢れなくて、きっと見たら溢れるんだろう。

「・・・ごめんなさい、・・・せんせい・・・っ」


走って、教室を飛び出す。

初めて彰人に、『先生』と言った。

もう、終わった。終わったんだと確信した。


放課後、人気のない廊下を駆け抜けた。
涙はあとから溢れてきて、なにも見えない。
たまに吹奏楽部の、楽器を練習しているドレミファソラシドが、聞こえた気がした。
でも、聞こえなかった。
なにも、なんにも。

目に焼きついた、今まででいちばん近い距離の、彰人の顔。
でもそれは、まるで顔のない人を見るような瞳。
あたしにかけようとした、腫れ物でも触れるかのような、手。

なにもかもが、あたしと裏腹だった。
血だって逆流してるみたいだった。

あたし、馬鹿だ。

ほんとに、馬鹿だ。





それなのになぜ、今こんなにも彰人と普通に話しているんだろう。
世界の七不思議。というか、世界最大の不思議。

あの日の次の朝、彰人はあたしに普通に「おはよう」と言ったから、あたしも「おはようございます」と言った。それだけ。
なにひとつ変わらなかった。怖いくらい。

今だって、ほんとうは、こわいけど。


「村山?」


でも。


「え??」

「わかんないとこ、あるんだろ?」


今あたしの目の前に、なによりも好きな笑顔がある。


「あぁ、ここなんだけど」

「どれ」


誰よりもいちばんすきな人がいる。


「ここは、こーやって・・・」


あたしにはそれだけで、十分だ。

きっとずっと、このまま。



end.