あふれる絶望と鼓動



―――どくん

―――どくん


―――どくん


「はぁ・・・は・・っ・・はぁ・・・」


また、またひとり。

この手で殺めてしまった。


「・・・はぁ・・・っ」


この手は血で染まりきっている気がする。
赤く、真っ赤に染まっている気がするんだ。



「シン」

背にかかった自分の名に、大きくからだが震えたのがわかった。
がくがくと震える体。腕は今にも千切れそうだった。

「おい、シン」

肩を揺すられても、振り向けない。立ったまま金縛りにあっているようだった。

「シン!」

肩を強く掴まれ、呼ばれた方向に体は勝手に振り向く。

「しっかりしろ!!」

ぼんやりとしか見えない、自分の名を叫ぶ人の輪郭。
誰、誰だ。

「シン!!」

ふと意識がはっきりしたのがわかった。
さっきから僕の名を呼んでいたのは、大尉だったのか。

「おい、お前大丈夫か?」
「・・・はい」
「大丈夫って顔じゃないけどな。早く休めよ。明日もまた、出なきゃならねーんだ」
「・・・はい・・・」



導かれるようにふらふらと部屋に帰る。
つうと汗がこめかみを伝う。

手をかけてしまった人の残像が、脳裏を掠める。


「おかえりなさい」


部屋に入ると、マナはにっこりと微笑んでシンを迎え入れた。

「疲れたでしょう。汗かいてるわ。服も汚れてるし。先にシャワー浴びてくれば?」

ああ彼女の顔さえ、ぼやける。
血に染まり苦痛に歪んだ人の顔が、瞳に焼き付いて離れない。

「シン?どうしたの?」

そう言って彼女は僕の手を握った。この血で染まりきった手のひらを。

「やめろ!!」

自分でも驚くほどに大声をあげてマナの手を振り払っていた。
彼女を穢したくは、ないんだ。

「・・・シン・・・」

少し震えた声で彼女は僕を呼ぶ。
彼女はきっと僕を恐れてる。自分でも、恐いんだ。戦場で数え切れないほどの人を手にかけ、その家族や恋人から、憎しみを浴び続けている僕が。

「だいじょうぶよ」

彼女は僕を抱きしめ、囁く。

「私がいるわ」

あなたはひとりじゃないわ、と囁く。

こうしてマナはいつも僕の望んでいる言葉を囁いてくれる。僕は満たされ、生きている心地を取り戻す。

「だいじょうぶよ・・・」

細い腕の中で、そのぬくもりに酷く安心する。
震えが収まらない手を、そろそろと彼女の背に這わす。

大丈夫、僕はまだ、生きている。




シンを抱くマナは、彼には見えないその顔を歪ませる。

――血のにおい。

記憶は鮮やかに蘇り、夢に何度も見た映像を彼女にもう一度、と囁きかける。

シンが憎い。
パパとママが死んだのに、生きて私の名を呼ぶシンが。
死ぬはずだった彼はこうして生きていて、パパやママ達は死んだ。

シンが憎い。
こうして私の胸に縋り、その背に抱えた憎しみと哀しみを吐き捨てるシンが。
病んだように優しくするシンが。苦しそうに微笑むシンが。

はやく戦いを終わらせて。
そうしたら私はあなたを殺してパパとママの元へ行くわ。

はやく戦争を、終わらせて。

そのために私が必要ならば、なんだってする。

ねぇシン。パパとママを、使用人を、友達を、殺した奴らを。
みんなみんな、その手にかけて。

あなたが戦うならば、わたしはその報いを。


彼女は彼の髪に顔を埋め、伝わってくる彼の鼓動と血のにおいを遠ざけようと、息を止めた。



end.