「記憶喪失って一回なってみたくない?」
「なに、あたしのこと忘れんの?」
「一回だけなってみたいってだけだよ。一日で元に戻るとかさ」
「あぁー…いいかもね」
記憶
「ね」
水村の顔を覗き込む。相変わらずブサイク。
「じゃあさ、あたしが記憶喪失になったらどうする?」
「えーと」
水村は真剣に考え込んだ。腕なんか組んじゃって。
「どーする?」
もう一度聞くと、水村は真面目な顔をして言った。「おまえがおれにした伝説を語る」
「はぁー!? 真面目に考えてたんじゃなかったの?」
「いや、おれは真面目だよ? だってさ、言っといたほうがいいと思って」
「何を言うのよ?」
「おまえが残した数々の伝説だってば」
「あたしなんかしたっけ?」
あたしが言うと、勇太は「はぁ〜? おまえ何言ってんの」と言いながら、指折り数え始めた。
「まず、おれが森下千里好きっつったら、おまえデビューしてからの写真集とかDVDとか全部買ってきたべ? あ、あとカレンダーも」
そう言って水村は壁に掛かった森下千里を眺めた。
「そんでさ、しかもおまえおれの知らないあいだに母親とも仲良くなってるしさー。まじビビんだけど。しかも、おれの友達ともいつの間にか知り合いんなってるし。やばくね?」
「やばくないよ。あたし水村がすきだし普通じゃない?」
あたしが淡々と答えると、「や、普通ではないから」と水村は苦笑した。
なんだかんだ言ってあたしのあげた森下千里グッズはこいつにとって重宝してるだろうし、感謝して欲しいくらいなんだけど。
「あたしは、水村が記憶喪失になったら、絶対思い出させるよ。あたしのこと全部」
苦労して、頑張って頑張って手に入れた水村を、簡単に手放したりできない。あたしのこと忘れるなんて、許さない。
「どうやって思い出させんの?」
「んー、わかんないけど」
「なんだよ」
だってほんとうにわからない。水村があたしを忘れる? 水村があたしを忘れたら、あたしって一体なに? 『水村ー!』とあたしが男らしく声をかけて、こいつが訝しげな表情であたしに『…誰?』と言う。想像するだけで、怖い。あたしはきっと、水村に忘れられたら、壊れてしまう。
あたしはつまり、水村の記憶に存在していることで、生きていられるわけで。
あたしの命は、こいつが握ってるってことね。
なんか、悔しいけど。
「あんたは?」
「へ?」
「あんたはあたしに忘れられたらどうすんの?」
水村は、きっとあたしに忘れられても普通に生きていきそうだ。
普通に、どっかその辺の可愛い子に惚れて、フラれて、仕方なく妥協しようとしても、妥協する相手すら見つからなくて、一生誰からも愛されず……
ってあれ? こいつもあたしなしじゃだめじゃない?
ちらりと黙り込んだ水村を見る。あれ、結構真剣に考えてんな。
「おれ、別に塚本いなくても別に平気だわ」
――はい?
あたしなしじゃだめって言うんじゃないのかよ!あたしは黙りながらも心臓を直接グーで殴られたくらいのダメージを受けた。殴られたことはないけど。
やばい、泣きそう。
しかも。
普段あたしのこと「おまえ」だとか「おい」とかばっかで呼ぶくせに、今回はちゃんと苗字で呼んだ。それがやけにリアルで、ほんとにいなくても平気なんだ、って、思った。
やばい、まじ泣きそう。
「でもやっぱ、おれのこと思い出させよーかな」
「……え?」
「だって塚本いないと、来年のカレンダー、買えないじゃん」
水村はまたカレンダーを見上げてから、あたしにニヤっと笑った。
――それはつまり。
あたしがいなきゃだめってことで、おまけに来年も一緒にいようってことなわけ?(さすがに後者は深読みしすぎ?)
やばい、泣きそう。
「……どーやって思い出させんの?」
あたしは下を向きながら言った。
「んー…」
水村はたぶん、カレンダーを眺めていた。
「おれのDVD付き写真集プレゼントしてやるよ」
「なにそれ!!いらないよ!!!」
って言いながらも、あたしはちょっと欲しいと思ってしまった。自分の水村への愛情を、少しだけ恨んだ。
「はぁ? おまえなんで泣いてんの!?」
「しらないよ!」
うれしいからに、きまってんじゃん。
あたしたち、お互い記憶喪失になったって、心配しなくていいんだもん。あたしはあたしのために、水村は森下千里のために。
命を懸けてでも思い出させるんだから。
fin.
0922
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