【気まぐれな確からしさ -probability-】
ある価値観を良かれと思って取り入れて日々生きている。
もっと消極的にそれを当たり前に思って疑問すら持たないことも多い。
寝る前に歯を磨く、朝起きたら顔を洗う、とか。
わしもうすうす感じてきていたのだ。
どうも違和感が蓄積してきた。
それなのに。
とある在り方や考え方を初めて知った時の衝撃や共感はあまりにも強烈であった。
その時の気持ちを大事にしたかったのだろう。
まだそのことを知らないヒトに教えて回ることで共感者を増やし、
自分の感受能力を正当化したかったのだろう。
同じようなことが他にもあった。
マイナーな作品や人物、事象、発想、方法などを見つけ出してきたり。
旅を勧め、無理矢理旅に引っ張り出したり。
しかし。それって。宗教勧誘と全く同じじゃないか!
あるいはコミューン、ニューエイジ、カルト、エコ。右だの左だのの大声。
あのある種の胡散臭さ。わしが違和感を抱かずにいられなかったはずのもの。
結局、それらにわし自身取り込まれてしまっていたという滑稽さ。
無批判でいることの怖さ、もろさをわし自ら招いていたのだな。
良い事であれ悪い事であれ、
マスコミや世間で取り上げられた事物は多くの耳目に触れ伝播するうちに
印象操作や先入観が作り上げた虚構となり一人歩きし始め、
別のモノに変わってしまっている。
批判する態度であったはず者も結局、取り込まれて
メディアの俎上でクチパク。
本人が否定しようが肯定しようがもはや無関係に進行。
・・・
他者を通してしか自分が見えない。
自分の目玉は自分の目玉で直接見ることが出来ない。
しかし、それでも。
自分の身体は自分で感じるしかないんだよな。
瞬間瞬間の違和感や共鳴はきっと間違っていなかったと思う。
必要な時に必要なことが必要なだけ届く、のは確かだと思う。
でも。
それをいつまでも不変のモノとして
大事にし過ぎるから間違っちゃうんだな。
大事にし過ぎて腐らせちゃうんだな。
入ってこない感じ、あるいは、入ってきてしまう感じ。
その確からしさの密度は各瞬間ごとに異なる。
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