__Walk_in_the_moonshine,_and_drink_like_a_jellyfish.__

[06.07.24] 

〜海月の放流〜 106

毎年毎年、毎日毎日が新しい。
経験や積み重ねは大事だ。けれど。
ただ筋肉の反復練習じゃあ
何年経とうが何も代わり映えはしない。
そればかりか疲労や故障を招いてしまう。
そんなことを考えてる誕生月。


●『カタログとイベント』
すべてがあるのになにひとつない。

現代社会はハレとケの区別が薄らいでいる。
そんなことはもう何十年も前から言われているが
むしろ日々ハレばかりで飽きてしまった「消費」者には
ケが失われつつあるのではないか?
そこで。
スローライフだのロハスだのエコだの
日常生活にスポットを当てることにしたのだ、資本投入。

日々をイベント化。
日常のカタログ化。

すべてがありそうでなにひとつ足りていない、と感じさせる脅迫状。
いつまで消費し続けなければならないのか。

いま、ここに、ある。のに。



●『夢で逢いましょう』
2つの世界がある。

最近またよく夢を見る。

いつ寝ても起きてもいい怠惰な反社会生活をしているから
昼夜に関わらず3時間だけ寝て数時間起きてまた3時間寝る、
というような細切れの睡眠。そのためかも知れぬ。(昼間なら白昼夢?)

これだけ頻繁に寝ているから夢もバリエーションに富んではいるが
起きてる間に見聞きしたものがすぐに反映されたのであろう夢も多い。

夢の中で自分が少年になったり老人になったりすることはない。
いつも現時点での自分の年齢や経験や記憶を保持した状態。
だから夢を見ているという違和感はほとんどない。
夢であることに気付くことはほとんどない。(それはちょっとさびしい)

最近で覚えている夢は2本ある。
ひとつは。
大学受験をしてみようかと考えている。
どうせなら今度は違う学科や専門を選びたい。
哲学科なんてのはどうだろう?
なんてことを本を物色しながら真剣に考えている。
ところが。
まったく受験用基礎学力がない自分に気付き困る。
「受験勉強」をしなければならないことに憤慨する。

もうひとつは。
芝居に参加することになる。
もう当日。直前の打ち合わせの場。
会場の楽屋ではなく練習場。
数時間後に各自会場に再集合ということになり、歩いて会場に向かう。
だが。
実は自分は会場の場所を知らず道に迷っていることに気付く。
しかも。セリフをひとつも覚えていない。役柄すら知らない。
集合時刻は間近。
開かずの踏み切りで立ち往生。

・・・夢でよかったぁ。と目覚めてから思ったりする。

夢判断、夢分析をするまでもなく。
何か傾向らしきものがあるようにも思える。
しかし。そんなこととは別に。

夢を見ている最中。
どういう状況であろうと身体を動かし頭を働かせていた。
そこで取った行動、その時考えた事は紛れもなく自分が行なっていた。
夢の中で初めて見るモノ、コト、ヒトもある。
確かに見た。触れた。悩み、焦り、憤り、泣き、笑った。

それはウソか?ニセモノと言って切り捨てられるか?
否。
ヒトがどう判断しようが、私(の脳)にとっては
すべて経験であり体験でありホントであるのだ。

起きてる時の生活とはまた別の生活がまぶたの裏にはある。
厚さ数ミリのその境目を瞬時に渡り歩く。
私にとって起きてる時の世界と寝ている時の世界は
ともにリアルであって。
どちらか一方だけを切り捨てることなどできやしない。



・・・(つづく)[06.07.24]...Qurax2海月(=)彡
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