__Walk_in_the_moonshine,_and_drink_like_a_jellyfish.__

[05.10.01] 

〜海月の放流〜 087

1週間ほどは旅日誌らしきものをつけていた。しかし。
2週間を超えたいまはもはや見聞きし想い感じたことを
逐一言葉に置き換えてゆくのがわずらわしく何一つ書き留めていない。
それほどまでに日々瞬間瞬間旅の中では変化がある。

その変化や出来事は確かにハッとするようなインパクトがあったりもするが。
動き続ける旅の中ではそれを充分に消化できないことにも気付く。

そんな時にはいったん動きをゆるめるか、いっそ立ち止まってみる。
それが「旅の休日」。
疲労が蓄積したからだを静養させると同時に想いを練る時間。


●『四国旅、いったんブレイク -旅の休日-』
7/28から旅を開始して今日8/15で19日目。

香川県・高松から歩き出し、海岸沿いを徳島県・鳴門、徳島まで巡り
徳島からは吉野川をさかのぼって愛媛県・伊予三島(四国中央市)まで横断。
久しぶりの徒歩旅ですっかり足裏は水ぶくれだらけ。
針でつぶして水を出すのが日課のような日々。

今回は旅の相棒Rがいるので、孤独感がない。
ちょっと思ったこと考えたことを即座に話せる。
というのが妙に新鮮。
また。一日の終わりに労いの酒を掲げるのも
1人より2人の方がうれしいしうまい。

一方で。相棒がいるというのは
互いの負担にもなりかねないということもつくづく痛感。
わしの方が暑いだの痛いだの弱音吐きまくりだったりするからねぇ。
苦労や心配をかけてしまっていることに恐縮。

さて。
その相棒Rが法事で一時実家に帰省するので。
いったんここで10日間ほど別行動。
わしはこのまま徒歩旅を続けてようか?
それともどこかに逗留して前半の旅を反芻してようか?



●『歩留』
暑い日々。炎天下のアスファルト上は40度を超える道のり。
路上には様々なものが落ちている。
廃棄物、排泄物、亡骸。
生と死の境界線上を行く。

様々な出遭いや発見がある。
からだの順応と反発。
違和感と共鳴。
どこに居てもどこに行ってもソレは在る。

なぜ徒歩旅なのか?
エアコンの効いた車や風を切ってゆくバイク・自転車の旅行者たち
とすれ違うたびに、自問自答している。
炎天下にさらされあぶられて歩いたり
恐れおののきながらの野宿などバカらしいばかりだ。

特に徒歩・野宿にこだわるわけでもない。
時に電車汽車を乗り継ぐこともあるし宿にも泊まる。
それでも徒歩の速度域でしか見えないものもあるように思う。
他の速度域のものと一体何が違うのか?
おそらく、そこで立ち止まれるか否かなのではなかろうか?

動く手段を選ぶと
動くという目的や方向を同時に手に入れている。
そしてそれに乗っかってしまうと立ち止まりにくくできている。
目的(地)に達するまでそれに執着してしまう。

何かに集中する没頭するというのも楽しいことであるし嫌いではない。
けれど。
一点に集中しすぎて周りが見えなくなってしまうのは惜しいように思える。

暑かったら日陰でヒルネでもしてればいい。
疲れたら道端にへたりこめばいい。
雨が降れば雨宿り。予定は棒に振ればいい。

土地の人々と交わす挨拶。道端で立ち話。
ヘンな看板に笑い転げ。
今日はどこで何を喰うかで盛り上がる。

朝焼けに目覚め、夕焼けに座り込む。
月に缶ビールを高々と掲げれば星も流れる。
波の音にからだほぐし、虫の音にやすらぐ。
まだ火照るからだが眠れずにいるのなら
うたに耳を傾ければよい。

周囲の気配に敏感になれば自分の気配にも気付く。

高みに上ればより向こう側を見渡せる。
そしてその遠景の先があまりにも果てしなく感じくず折れそうになる。
けれど気の遠くなるような果てしない道も
一歩ずつ半歩ずつ足を前に繰り出せば。
いつのまにかそこへたどり着いている。
振り返り仰ぐ高みはもう後方の彼方にあって
微笑むでも突っぱねるでもなくそこにそのまま在り続ける。

・・・わしらの旅はこうして目的もなく期間期限もなく
どこも目指すところはないけれど。
きっとナニカに近づいている。

追伸:現在、海月は愛媛県今治市街。
これから松山に足を伸ばしてみようと思う。
相棒Rとの再会は8/23の予定。合流地点はまだ未定。



・・・(つづく)[05.08.15]...Qurax2海月(=)彡
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