__Walk_in_the_moonshine,_and_drink_like_a_jellyfish.__

[05.06.28] 

〜海月の放流〜 083

わしはギャンブルを一切しない。
ビデオゲームはコントローラーがちまちましてるのでやりたくない。
人生そのものがギャンブルのようであり、ゲームのようなのだから。
わざわざ擬似遊戯なんぞでつぶす「ヒマ」など、わしには無い。
・・・
とても恵まれている。
モノはあふれている。
喰うことに困ったことなどない。
だけど。だから。・・・


●『シュールRPG』
ほんとはカネ勘定の事なんざ無頓着で。
こまかいこと言いなさんな、と自分自身に言いたいわけだが。
あれもこれもどれも興味の触手が伸びてしまうと。
カネがいくらあっても足りないわけで。
そもそもカネが潤沢にあったためしなどないわけで。

ならば。少ない中で工面するなり重点比率を按配するしかないわけで。
これはもう一種のゲームのような感覚でもあるんだなぁ。

ムダを削るのはもちろんだけれど。
大きく削れるのはやっぱり食費。
それでも無きゃ無いなりに「工夫」するわけで。
その工夫こそがまたおもしろいのだからして。
むしろあえてビンボーメシを喰らっていたりする。

山ほど高く、海ほど深く、空ほど広く興味対象をひろげてゆくには。
どこかで何かを按配しなければならない。

カネに限らず。削れるものはたくさんある。
時間が要るなら睡眠を削る。
空間が要るならモノを削る。

何かを捨てたり手放したり。そうしないと手に入らないから、というよりも。
手放しで「遊ぶ」ことのうれしさ愉しさに気付いてしまったから。

体力、気力の問題も大事。
だけれど。カラダすらもどんどん変えてゆけるんだ、ってことに気付けば。
ほらもうなんてすごいんだ、この世界は。

身軽に生きたいな。身軽に行こう。
軽み[かるみ/かろみ]の世界を遊ぼう。


●『記憶を食べる』
野菜であれ、肉であれ。
穀物であれ、豆であれ。
たべもの、のみもの、なんであれ。
喰らうというのはそのものの記憶を摂取することでもあるな。

地中に埋もれるものならば、土の。
地表に開き遊ぶものならば、日の。
空中に伸びゆくものならば、風の。
水中に洗われるものならば、水の。

光の陰陽。熱の温冷。

折り込まれた時間。
畳み込まれた空間。

ゆっくりと。大事に。噛み含む。
じんわりしみこませるように味わう。

さまざまな記憶を取り込み練り込んで
わしらもまたどんどんおいしくなってゆく。


・・・(つづく)[05.06.15]...Qurax2海月(=)彡
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