__Walk_in_the_moonshine,_and_drink_like_a_jellyfish.__

[05.02.02] 

〜海月の放流〜 075

当てがあろうがなかろうが。
僕らは、ゆく。


●『凡』
平凡な代わり映えしない日常。と嘆くなかれ。
もし仮に昨日と今日がまったく同じであったなら。
それはそれで、ものすごい奇蹟なのだから。

+
ちなみにわしは。
たいして汗をかくこともない季節や過ごし方ならば。
1週間単位で、おんなじ服をずーっと着っぱなし。
洗濯しても乾けばすぐそれを着る。

メシは一日二食しか喰わんのだが、朝にそば喰って夜にはパスタを喰らう。
それはもう半年以上たいして味付けも変えずに繰り返してる。

よくもまぁ飽きずに、と我ながら感心するくらいおんなじ。
そんなことにゃあ頓着してないってだけで。
毎日毎日おんなじ物を喰らいおんなじ服を着ておんなじ道を歩き
おんなじ電車のおんなじ車両でゆられておんなじ職場に通っても。
毎日毎日違うアイディアがやってくる。
まったく同じをトレースすることの方が難しいしね。

回転する世界。一瞬たりとも凡て[すべて]同じではない。


●『ユキテカヘラズ - 鉄砲玉 -』
「ただいま」という言葉は好きで。
初めて訪れる所でさえも、直感で居心地の良さを察知すると
自然に「ただいま」と言いたくなる。
ただいま帰りました、の意味での「ただいま」ではなく
ただいまやってまいりました、の意味なのか。

・・・
いつ頃、気付いたのだろうか?
「帰る」という言葉がどうもしっくりこない、違和感がある
ってことに。

言葉を使う便宜上は。
遊び回って、帰る。学校終わって、帰る。仕事上がって、帰る。
呑みに繰り出して、帰る。旅から、帰る。

へとへとに疲れたり、ぐでぐでに酔っ払ったら
「もう帰りますぅ」とへろへろと言い放つ。
いま、幸いなことにこうして起居する部屋があるからこう言える、
というのもある。

それでも単におんなじ所から出て、おんなじ所に戻る、
ってだけのような気がする。

20年近く前から実家を離れ一人暮らしを始めて引っ越しも繰り返し。
実家と呼ばれるものでさえも転居の繰り返し。
帰省したとしても慣れ親しんだ感は希薄。
「故郷はどこ?」「どこから来た?」
と問われるのが最も答えにくい質問。
(質問者は細かい事情を要求してるわけでもないからなおさら説明できぬ)

起点は常に現在地点の自分なんだから。どこに動くにも
「行く」という言葉の方がピンとくる。

どこかに帰りたいと思わない。
そういう思考回路はイカレてるんだろうか?薄情なんだろうか?

思い出、郷愁が詰まった場所はいくつかある。
大切な場所も、大事な人々も年々増えている。

それなのに。
そこに「帰る」という発想にはならない。

もう二度とそこに足を踏み入れない、というのとは、違う。
そこには「行く」。再び行くことはあろう。何度も行くこともあろう。

それでも「帰る」わけではない。

なんなんだろう?この感覚は・・・。


・・・(つづく)[05.02.02]...Qurax2海月(=)彡
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