__Walk_in_the_moonshine,_and_drink_like_a_jellyfish.__

[04.06.15] 

〜海月の放流〜 060


梅雨の晴れ間は五月晴れ。(いま六月だけど)
この晴れ間の太陽はもうすっかり夏のそれだ。
また新しい夏になる。

ところで。北海道には梅雨がない?ってのは本当だろか?
去年、旅をした時には梅雨のように雨が降ったり、寒かった。
さらには夏が、なかった。

さて。まだ梅雨は始まったばかりなのだが。
むしろ七月に入ってからの方が例年降水量が多かった気がするのだが。
想いは馳せる。
今年の夏はどんなかな?そして何処に居るのだろう。



●『駆け出す男』

もし長旅をするならば。「雨が降ったら予定は棒に振る」が旅人たるもの。
雨の中歩いても楽しいことはあまり、ない。野ざらしならなおのこと。

けれど。雨は嫌いでもない。(土砂降りはむしろ大好き)

雨の日はうちに居て。ぴちぴちちゃぷちゃぷ。
窓から眺めながら雨音を肴に呑んだくれてる。
か。
雨がしのげる軒先で雨宿りしつつ。
最も降りの強い時を狙いすますかのように飛び出し土砂降りに打たれて
ずぶ濡れの自分のバカさ加減を笑い飛ばす。

そういうのが乙ですな。
(あと数分待てば止むかも知れないというのに飛び出してしまいたくなる衝動 は一体何なのだろう?)


●『流転注意』

その土地土地のいい季節を狙って各地を流転するような“風に流れる人”にで もなってしまおうか・・・そんなことも考えたりするのですよ。

自己矛盾の暴発と妄想の暴走と正当化された生活と、どう折り合いをつけて生 きてゆこうか・・・そんなことばかり考えたりするのですよ。

何度も履歴書を書いて
何度も何度も面接に行って
何度も何度も何度も「やる気をアピール」する。
そうしてどこかにおさまり
当面はマジメにキッチリ仕事をこなそうとする。演技?
わしはイカレポンチでスットコドッコイな役者を自覚してるので“したたかに 計算高く適度に力を抜いて”なんて器用なことはできやしなかったです。

クソマジメにやったからといってヒトに認められたり評価されるなんて事はほ とんどないけど、「誉められれば伸びる」くらいのお調子者ではあるのです。

でも。そんなくすぐったい目に遭う前にたいていは自分からそそくさとその場 を去ってしまうのです。

逃げるときは全速力で逃げろ!抜け出せ走れ跳べっ!

そうやってたらこうなった。

「もったいない」とか
「これまでの経験を活かすような仕事をすればいいのに」とか
ノタマウヒトもおります。

何をやったってどんなことにだって面白みはころがってます。
でも。ぢっとしとれんのですよ。
つまらんとかくだらんとか飽きちゃったとかそういうことではなく。
他にも面白そうなことがありそうだ、という(よく言えば)好奇心、
(正確に言えば)目移り、スケベ根性がわしを一所に居させないのです。

流れ流れて原発の取水口に詰まってしまうのがオチ・・・ですか?
(まぁ、海月ですからね)


●『うたを忘れたカナリヤは満月に笑え』

わしは旅人なのだ!
と、ひとり高らかに宣言文読み上げ叫んでみても
だーれも聞いちゃいない。
わしはヤクタタズなのだ!と叫んでるのと一緒だもの。
「だからなに? So wha'?」
“まっとう”な反応。
旅人ってのは非社会的、非効率的、非生産的だからね。
ニヤリ。

そんな自嘲ほどヤクタタズなものもない。が。
そんなことよりも深刻なことがある。
街で、暮らしや仕事に追われる日々に埋没しかけていると
ふと、うたを忘れそうになる。旅を忘れそうになる。

旅を忘れた旅人は
どうすりゃ旅をおもいだす?
西条八十に訊きましょか
いえ いえ それはできませぬ

旅を忘れた旅人は
ビルの谷間に埋めましょか
いえ いえ それはなりませぬ

月夜の晩にコヨーテの
遠吠え遠く聴きながら
海に浮かんで見下ろせば
忘れた旅をおもいだす ・・・カナ


●『トントンギコギコ』

また何度目かのバイト面接に行ってきた。

家を出る時には雨は降っていなかったし、午前中は青空も広がっていたので天 気予報ハズレるか?とちょっと期待はしつつ折り畳み傘は持参。しかし。とい うかやはり。最寄駅に着いたら降りだす。移動の電車の中で車窓から雨の様子 を見ていると徐々に弱まってきてるような印象もなくはない。いっそ、たどり ついたらもう「止んでもよくってよ」と高飛車なお願いをしてみたり。

果たして面接地の天候は。ざーざーざー。嫌なノイズ。
折り畳み傘で防御できるところなんて結局肩から上くらいなもんで眼鏡が濡れ ないくらいにしか役には立ってないばかりか、傘立てに収容できない分、邪魔 くさかったりもするわけだが。

会社に到着。
外来者受付電話をコールするとすぐに担当者がやってきて面接始まる。履歴書 を提示すると仕事内容待遇等、諸説明に入る。が。どうも賃金面で互いのズレ が大きく、もうその場で、「今回は見送り」との結論で合意。瞬殺。あっけな かったなぁ。仕事内容自体は興味深かったのだけど。

ざばざば雨は降り続けているが、さばさばした気分で街を歩く。さぁまた次さ がそ。とは言え。このまま直帰するにはちょっとばかりやりきれなさも含有し てる脳みそをじゃぶじゃぶ洗っておきたくて気になってた映画を観に寄り道。

 『トントンギコギコ図工の時間
http://www.mmjp.or.jp/pole2/zukounojikan.htm

平日の14:30からの上映ではあるが子連れの親子が割と観に来ていた。

映画は小学生達の図工室での奮闘をドキュメントで追っているのだが。表面上 はこどもの無垢な純真さみたいなものを描いているようで、どうもフォーカス はそこではない気がしてならない。

こども達は中学受験を控えていたり睡眠不足を憂いたり悩みもあきらめもその 冷徹なほどの鋭さで淡々と自己分析をしてみせる。特にこの時期の“女子”は とっくに精神的にも成長してしまっているので、男子がなんとも取り残され感 たっぷりである。

あ、わしもたぶんそういう「男子ってバカで嫌い」って裏で言われてたタイプ だったかも(笑)。(もちろん、映画ではそんなシーンなどはない)

わしもそうだったが。小学校5、6年生というのはいっぱしのおとなであった。
自身がこどもであるがゆえにおとな達への観察眼は研ぎ澄まされ、さらに、自 分が未熟であることをちゃんと自覚している点において、おとななのであった。

ところがどうしたことか中学高校と進むにつれなぜかおとな度が減少してしま う。既にピークを超えてしまったからなのか?

やはりここにキーワードとして「遊び」を導入してみたい。

小学生達も「卒業したらもう遊べない」と散々嘆いていたな。こどもらの言う 遊びは具体的な行動を呼び示しているのだが。もっと広い意味での「遊び」は やはりどんな世代にも社会にも必要不可欠なものであると思われる。それがな くなってゆくことがおとな度の減少にも繋がっているような気がする。

広い意味での「遊び」ってのは何だ?ってのは書きたいことが山ほどあるし、 むしろわしはそれを生きたいと思っているので、そうそう簡単には説明はでき ぬのだが。

たとえば。
それは余裕、余白。と言うより。“ガタ”のようなニュアンスのもので。
隙間や無駄と言ってもいいかもしれない。

遊びのない引出しは開かないのだ。ガタがなければ使い物にならない。しかし。 ガタがありすぎてタガがはずれてるのもまた役立たずだ。

粋な「遊び」はこの辺の行き際と引き際をうまいこと塩梅している。
難しいねぇ。わしにはまだまだ。

で。映画に戻すと。
共感を覚えたセリフ。
学校で好きな時間は?の問いに
「体育と音楽と図工と、あと給食の時間」(男子談)
ビンゴ!同志よ!な気分だったね。(笑)

しかしなぜこんなに楽しい時間が、年を重ね社会とやらと接するにつれ減って いってしまうのだろうか?減少すると言うよりも自らでやらなくなる、商業的 他人にゆだねてしまう。

でも。上記に挙げた項目って結局、知識レベルではなく、より生に直結する事 柄なんじゃないのか?受験や能率効率のためにねじ込んだテクニックなんかよ りもさ。

最も哀しいセリフは。
中学受験も終えて卒業までに今一番したいことは?の問いに
「思い出をつくりたい」(女子談)ときたよ。
まいったなぁもう。二の句が告げん。ぎゃふん。

全体を振り返ってこの映画では図工の先生が一番かっこよく見えたのはわしだ けかしらん?(小学校で図工専科の先生がいるってのはすごいなと思う。人間 になりたてのような子から生意気盛りの子まですべて“一人”で担当するって すごい!)

・・・考えさせられることモリダクな気分で外に出ると雨は上がっていた。 速い雲の隙間に青空の切れ端が見え隠れする。


●『タブブラウズ』

わしはOpera7.23を使ってる。これもうほんとオススメ!
とかいう話ではなくて。

タブーのちら見。

日本語には、多くの同音異義語がある。(日本語に限らないのだが)
時代とともに言葉は分岐し異義語になってゆくにしても同音のものは実のとこ ろ“語源”的には一緒の場合が多い。詳しいところは学者にまかせるとして。
同音異義語を逆手にとってダブルミーニングやトリプルミーニングをある言葉 に含ませるというのはよく行われてきたはずだ。隠喩、暗喩、暗号。
あまりオープンに声高に叫ぶとその言動ばかりでなくその人まるごと歴史から 「なかったこと」にされかねない物騒な時代というものはあったようだ。
(否、ある)

都市伝説オカルトや“ネタ”ではぐらかして流されるものってのはたくさん あって。あまり興味本位で首突っ込んでると「マジヤヴァイ」ってことになり かねない。

漂泊者の歴史・マイノリティ・聖と俗・裏と表・金の流れ・報道管制

・・・
イラク戦争より遡ること十数年前。
湾岸戦争ってのがあった。その開戦直前の状態をガルフクライシスと呼んでい た時期(日本では直訳して湾岸危機と呼んでいたわけか)にちょうどイラクの 周辺国を旅してた。現地の言葉などわからんし英語さえろくに知らんのだが。 英字新聞の見出しだけ辞書片手にちら見してた。断片的な情報とニュース映像 および現地の雰囲気などからなんとなーく状況を把握しながらあちこちの検問 にぶつくさ文句たれつつ旅を続けたわけだが。
数ヵ月後。
日本に帰国すると戦争が始まった。そして。どうしても違和感。
あれ?報道のされ方が、・・・。あれっ?え?

十数年たってイラク戦争
テレビを所有してないので日々のニュース映像を逐一観察もしてないから何が どうなってるのかすべてネットの垂れ流し情報をかいつまんでいたわけだが。 これもやはり湾岸戦争のような現地事情との乖離があるのだろうな、との意識 ではいた。
個々のジャーナリストたちはほんとに命がけで“真実”を伝えようとしてるの かもしれない。(真実があったと仮定する)が。それを流し伝えるのはあくま でも組織や企業であることを忘れることはできない。企業とは定義として営利 目的のために存在しているのだから。

そして。この国にも厳然とタブーは存在する。

まずい。あまり知りもしないでこういうこと書いてると・・・。
やはりメタフォールの世界に戻ろう。



●『友情同盟』

男子にとって女子というものはほんとによくわからん別種の生物である。
(おそらく女子も男子に対して同様のことを言うだろうが)

男子は根本的にバカである上に成長のある時点において肉体的にも精神的にも 女子に先に進化されてしまって取り残されてしまう情けない生き物である。元 来生物学的に言っても男子は女子のできそこないのようなものであるからして もう生まれながらにダメの烙印を押されてるようなものだ。しかもここ最近で は生物全般のメス化現象にも見られるように種の保存の見地から言ってももは やオスの必要性すらなくなってきつつある。

そうは言っても男子だって自分の居場所は欲しいわけで。なにかしら女子に取 り入ろうと策を講じ政治やら宗教やら経済やら科学やら歴史を発明してきた。

ところが。それでいい気になって俺様気取りでバカ面ぶら下げたところでぢつ のところ女子にとっては「バッカじゃねえのー」と蔑まれているわけだが。

そういうダメ男子連が唯一拠り所にできたのが「友情」である。

それはもう女子から見ればほとんど傷の舐めあいに近いものかもしれぬが。
この男子同士の友情のすごいところは一度結ばれた友情は距離や時間に関わら ず断たれることがないということだ。
別にべたべた密着するわけではない。奴は奴だ。というスタンスはありつつ、 リスペクトのもとに成り立っている。(要は単純なのだ)

友情の極限では、もし友が請えば友の為にその友を殺すことさえできる。
(もちろんそれが唯一最良の選択と判断せざるを得ない場合に限る)

おそらくこれは女子には到底理解のできぬ世界であろう。

女子同士の関係というのは友情ではない!そういうプリミティブ(原始的)な ものではない。もっと社会的政治的な「同盟」関係と言うのが近いかも知れぬ。 (わしは男子であるからこれはあくまでも観察からの推論である。もちろん用 語の上では「女の友情」というのは存在する)

女子同士の関係においてはたいてい探りあいが日常化している。時にブラフの 応酬にもなる。強さや優位性を機軸にやり合うばかりではなく。弱さをさえも 手札にすることすらある。ぢつに高度なやり取りが日々、否、瞬間瞬間に行わ れる。一例をあげれば“交換日記”などは外交手段としてとてもシビアなやり 取りなのだった。

仲の良い者同士に見えても次の瞬間には眼中に無いかのような言動をしていた り般若の形相で嫌悪していたりする。男子にはそれが常に脅威であった。自分 もそうして“切られる”のか、と。

同盟関係。歴史において果たしてどれだけその名目上の意義があったのか?た いていは一方的な条約破棄とかで裏切ってるし。はぁ、不勉強なわしにはまっ たくわかりません・・・。

おっと、こんなことを書いてると女子からの猛反発を喰らいそうだ。そう。利 害関係が一致したときの女子の団結力は理屈や論理を“超越”しており、いざ 攻撃となれば男子はまったくなす術がない。これこそまさに同盟のなせるワザ である。(あんまり書いてるとコワイのでとっとと逃げようっと)


●『面子』

議論好きなヒトってぇのはいる。議論家?それはそれで構わぬ。

それにしても。わしは「ディベート」とかいうのが大嫌いだ。
(議論とディベートはわしの中ではニュアンスが異なるのだが)
自分の立場を固守するための説得力ありげなヘリクツコリクツの応酬。

わしにもその都度その都度言いたいことがないわけではないが。もともと主義 も主張もないから何故自分の発言を固守せねばならないかがわからん。
(これも一つの主張なのだろうか?)

ディベートなんぞしたくはないが。自分の立ち位置を説明することにやぶさか ではない。しかし。自分と違う意見を否定したり拒否したりするのはめんどく さい。あぁ、そういう考え方もあるのね。ってことで。自分の考えやら言動を 押し通すつもりがないばかりか、その(自分にとって新たな)考えに感化され ることは多々ある。

ディベートってぇのはあれだ。メンコだ。手持ちの札をバシバシたたき付け合 い取ったり取られたりのゲームだ。もちろん技も要る。がたいていはマネージ メントのチカラだったりする。どのタイミングでどの札を出すか。最強のメン コはおいそれとは出せぬ。特撮ヒーローだって初めから必殺技は出さぬ。切り 札。これをどこで出すかが勝負の別れ道。相手に切り札を出させないうちに逃 げ切るのもうまいやり方。

で。はっきり言えば。メンコの世界はメンコ次第なのであって。それを操り勝 つ“人間”が偉いわけでもなんでもない。メンコの世界を離れればただのハナ タレ小僧に戻るだけの話。メンコが弱くてもベーゴマでは最強の奴も居るかも 知れぬ。

なにが言いたいのかと言えば。ディベートだのメンコだのに人間の資質の優劣 なんてものは関係ないって事。改造メンコでバカ勝ちしてもローカルルールの 範囲内ではオッケーだったりするし。改造、工夫の能力は個人の資質に関わる ものかもしれんけれど、あくまでもメンコがすごいだけの話。
つまり。そこでは人間の個性や優劣を競っているわけではなくてメンコを楽し んでるだけの話なのだ。(それでも“卑怯な手”を使うと人間性を攻撃されか ねないが。)

・・・
ところで。「人間の個性」などという言葉をうっかり使ってしまったが。
わしはアイデンティティとかパーソナリティとかいうのも大嫌いだ。
オリジナリティ?はぁ?なんじゃそりゃって気分。

何故そういうよくわかってない概念を振り回す?
何故そういうひとところに留まろうとする?

・・・月は変わりつづけることで変わらずにそこに居る。


●『蚊取り線香』

そろそろそんな時期になるかな?
あまり蚊に刺されにくい体質のようなのでまだ無頓着でいるんですけど。

近頃では電気電子式のものが主流のようですが。
あのぐるぐる渦巻きのつまり→@こういうのがやっぱり好き。
カタチも大好きだしあの独特のかおりも好き。あのかおりが漂ってくると、
あぁ夏、とミョーなノスタルジアに強襲されるのです。

ところで。あの蚊取り線香は、右巻き?左巻き?
いや、そもそも渦巻きの場合どちら巻きかを判定する基準は中心から考えるの か?外周から考えるのか?さらに裏表逆転させると途端に反対巻きに早代わり。

うーむ。毎度毎度、夏になるとこういうこと考えちゃうのでした。ぐるぐる。

@ちょっとおもしろいページ発見!@
 『蚊取り線香、自分でデザイン
http://www.kincho.co.jp/tama/sen/senko.html


・・・(つづく)[04.06.15]...Qurax2海月
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