マジックミラー


「いつも、思うんだ。なんだか俺は、ガラス越しに恋愛をしてるみたいだって」
 冷たい板ガラスを挟んでの恋愛は、いつも、少しだけ寂しい。寂しい気持ちを誤魔化すみたいに抱き合ったって、結局は、冷たいだけなのに。 
 握り締めた一枚の写真を見つめながら呟くと、それを聞き咎めた声が、すぐに返ってくる。
「恋愛だって?」
 それまで、何やら必死にデスクワークに励んでいた幼馴染みは、ふいに落とされた呟きに一度手を止め、訝しむように胡乱な眼差しを向けてきた。
「どの口で、そんなしおらしいことを言うんだか……」
 そんな殊勝な神経を持ち合わせていないことなど、きれいにお見通しだと言わんばかりの口調である。――「うそじゃないよ」、視線は写真に落としたまま、そうやって、笑って答えた。
「俺ばっかりが、透明な恋をしてる。相手の全部を知っていても。好きでいようとする。だから俺のは、ちゃんとした恋愛だ」
「ああそう。お前の恋愛観はちょっとおかしいからね」
 呆れたようなぼやきも笑い声で一蹴する。それくらいの図太い神経は、とっくの昔から持ち合わせていた。相手が自分の話を真面目に聞いていないのは判っていたけれど、それでも言葉を続ける。
「だけど、あっちはいつだって不透明。俺のことなんて、本当は、なんにも見えてないよ。――見せるつもりも、あんまりないけど」
 相手と自分との隙間を阻んでいるのは、ただのガラスではない。時には不透明に、時には透明に向こう側を映し出す、マジックミラーだ。そして自分はいつでも、透明な景色を眺める位置にいる。その自分と反対側に位置する者は、己の望む、うつくしくやさしいものを、鏡に映し込んで見つめるだけだ。
 つまり、それの仕掛けは明瞭だった。明るいほうから覗き込めば、景色は濁り、覗き込む自分の姿しか見えない。暗いほうから覗き込めば、向こう側のすべてが澄んで見える。――ただし覗き込む方向を間違えば、全てが無駄になる。板ガラスの存在を知っている自分は、そのことだけに気を払っていればいい。ただそれだけの、話だった。
 向こう側からは何ひとつ真実は見えないのに、自分だけは全てを見透かす位置にいる。相手の全てを掌中に収めている、そんな錯覚が。
「――それって快感だよね」
 まるで全知の神のように。
 余りにも幼稚な遊戯であっても、ただそれだけのことが、自分を痛みもなく、微笑ませる。
「……やっぱりお前が適任者だよ」
 聡明な幼馴染は苦笑を隠しもせず、ただ頭痛を催したかのように、そっと額を押さえた。


  

20051108