5月2日 朝目を覚ますと、いつの間にか旦那は仕事に行っていて 変わりに、ベビーの入院手続きを済ませてくれた母が側にいてくれた。 誰に詳しく説明されたのかも覚えてはいないけれど、 「赤ちゃんは仮死で生まれ国立の病院に先生が電話をした。救急車がこちらへ向かってくれることになったとき泣いたので搬送をためらったが、念のために検査入院した」 そのことはなぜか頭に入っていた。 昨日の出産のことがまだよく思い出せずにいた私は、ただ自分の体が動かないことに驚いた。 帝王切開すると、腹筋も切るのでよく考えると当たり前。 緊急の帝王切開ということで、そんなこと考えもしなかった。 看護婦さんが体を拭いてくれる。 食事はなし。 寝返りもうてない。 トイレにもいけない。 ただただ、点滴が落ちるのを見つめ終わればナースコール、 そして新しい点滴。その繰り返し。 正直、子供のことを考える余裕はなかった。 主人は、仕事を午前中で帰らせてもらいベビーのいる病院へ行き、私のところへ写真を持ってきてくれた。 「保育器に手を入れて触ったらギュッってしてくれた」 と、嬉しそうに話す主人を見て、このときはじめて涙が出そうになった。 |
5月3日
起き上がるのも一苦労。 寝返りもできない状態で、そこらじゅうにしがみついて動く練習。 トイレのたびにナースコールをしなくてはならない自分に嫌気がする。 昼過ぎ、主人の両親が見舞いに来てくれた。 ベビーがいないのに私を見舞ってくれたのがとても嬉しかった。 今日から食事が始まる。・・・重湯を三度。 出産日の昼以来、何も食べてなかったので お米の味のする重湯がとてもおいしかった。 |
5月4日
今日は友人がお見舞いに来てくれた。大きなプーさんの人形と、ベビー服をもって。 大きなプーさんはベビーの代わりといってくれた。淋しくないように、って。 淋しくないように・・・・? 毎日ベビーの写真を持ってきてくれる、両親や主人。 遠い田舎から祖父母も駆けつけてくれた。 私は淋しくない。早く歩けるようになって、ベビーに会いたい。 みんなが心配してくれている。 早くよくならなきゃ。 夜、急に胸が張り始めてカチカチになった。痛くて痛くて眠れない。 ナースコールをしても看護婦さんは来ない。(見回り中だったそうです)。 搾乳機はナースステーションにあるのだし・・と思い 私はナースステーションまで、一人で歩いていった。 部屋はナースステーションに一番近い部屋なのに 久しぶりに歩いた私は、2,3歩歩くとめまいがして何度も座り込んだ。 それでも私は、歩けたことに喜びを感じた。 気づけばこの日、出産以来はじめて病室の外に出た。 |
5月5日
今日は主人との共通の友人が来てくれた。毎日誰かが来てくれると、とても嬉しい。 点滴は寝るとき以外は常にしているので、腕の色が変わってしまいとても痛い。 点滴をうつ場所をかえ、左右の腕をかえ、たくさん点滴の後ができてしまった。 昨日、病室の外に出たことで、勇気がついて外のトイレまで自力でいけるようになった。 看護婦さんにしてもらう、清拭も少しずつ自分でできるようになった。 少しずつ、少しずつよくなっている。 笑ってもお腹が痛まなくなってきた。 自分でできることが増えて、余裕が出てきたと同時に、淋しさが今になって出てきた。 ベビーが側にいないこと、すごく淋しい。すごくつらい。 今まで、主人や、両親が、それを紛らわせてくれていた。 気づけば、私の病室はベビーの写真だらけだった。 その写真に支えられていたんだと、気づいた。 私だけが、淋しいという現実に気づいていなかった。 |
5月6日
朝から消灯ぎりぎりまでしていた点滴も、その本数が少なくなってきたように思う。 そう思うだけで、とても嬉しい。 ベビーも元気みたいで、今日保育器から出れたと聞いた。 元気だと聞くと、昨日からはじめた搾乳にもやりがいを感じる。 初乳の出るうちに少しでも多くベビーに飲ませてあげたい。 私に今できる、親としてのたった一つのこと。 |
5月7日
点滴が一日から半日に。 さらにお昼から普通食になった。 急に食事量が増えて驚いた。・・・でも全部食べれてしまう自分に、もっと驚いた。 「搾乳は体力使うからねー」と看護婦さんが言っていた。 そして、元気になった私を見てすごく喜んでくれた。 手術の次の日、看護婦さんが「元気だしや」って言ってくれていた。 あの時は「元気やのになんでそんなこと言うんやろ・・」って思っていた。 元気がないことにさえ、気づいていなかった。 そのことがわかる今、本当に元気になったと思える。 |
5月8日
今朝、抜糸を済ませた。 明日からはシャワーもいいとのこと。 昼には、搾乳だけでは、しっかり乳腺が開かないということで、 隣の部屋のベビーにお乳を吸ってもらうことになった。 本当は自分の赤ちゃんにはじめて吸わせてあげたかったんだけど… これもベビーのため。 そして何よりも、大切な赤ちゃんを私のために預けてくれたママさんに感謝。 心の広い、優しいママさんでした。 そして今日は主人の仕事が休み。 保育器から出たベビーに主人が会いに行きました。 検査のためのお薬で眠っていたみたいだけど、起きるのを期待して主人は1時間ほど抱っこをしていたみたい。 結局起きなかったけど、かわいかったって報告してくれました。 そしてベビーの名前決まったって言ってくれました。 ほんわかとした響きからは、大変だったお産を忘れてしまうようにゆったりと生きていってほしいという願いを込めて。 漢字の一字には、夫婦二人の大切な思い出をこめて。 |
5月9日
点滴が朝と夜だけになり、日中は点滴なしで動けるようになった。 もうすっかり、歩くのも苦にならなくなった。 ナースステーションに行くと、隣にある新生児室に目がいった。 生まれたてのベビー、長女と同じ時期に生まれたベビーが並んでいた。 同じ時期に生まれたベビーは、すっかり赤みが消えていた。 生まれたてのベビーと比べると、少し大きく成長しているように見えた。 こんなに差があるなんて・・・・ この時期の大切な成長を見逃してしまったんだと思ってしまい、急に涙が出てきた。 |
5月10日
昨日の夜で点滴が終了。 やっと点滴地獄から抜け出せた。 それを報告すると、主人が心からよかったなぁと、言ってくれた。 いよいよ明日は退院。 娘に会える日も近い。 |