君が望む小さな世界

サガをこの手の届く内に留めおきたいと思ったのは、何も今日が初めてではなかった。
そうと自覚せずに思っていたこともあっただろう。
ひどく、醜い感情を体の中に渦巻かせておいて、表面では至極真っ当に、それこそ、憧憬を抱かせるほどの笑顔、態度を見せていた。
裏切り、だったのかもしれない。
自分に憧れを抱いている少年たちや、自分に期待している大人たち、そして、サガに対しての。
それでもどろどろとした心のまま笑顔で応え、遊びに付き合ったり、手合わせをした。
ぶつけ合う拳から、自分の中の醜悪な部分がサガにうつってしまうんじゃないか。そんな心配もいつもしていた。

サガも、そんなことをずっと思っていたと知ったのは、ずっとずっと後のことだ。


夜の聖域は静まり返っている。
小高い丘の上からは十二宮のかすかな灯りが点々と連なる様子が見えた。
夜空には星が輝き、群雲に紛れ月はひっそりとその姿を晒していた。
アイオロスは夜、この場所を訪れるのが好きだった。
貴重な睡眠を削ってはいけないと分かってはいたのだが、ふと、寂しさや懐かしさを求めて、この十二宮の灯りを見に来る。
最近では大抵、昼間思ったように、自分の中のどす黒い感情に気付いたときだった。
この場所から見る十二宮、そして教皇宮、女神神殿は、アイオロスにとってちっぽけな場所だった。
「手の中に、おさまりそうだ・・・」
しばらくぼんやりと灯りを眺めていると、背後から草を踏み分ける音がした。
少し体をひねって後ろを見ると、そこにはなんだか見てはいけないものを見たような顔をして、愛しい人が立っていた。
「アイオロス」
「サガ、どうしたんだ。こんな時間に・・・」
こんなところへ、と言おうとしてやめた。自分が今まさに、こんな時間にこんなところにいるからだ。
「・・・少し、外に出たくて」
「そうか」
サガは動かなかった。アイオロスが振り向くと、少し微笑んで言った。
「アイオロスは?」
「・・・たまに、こうしてここに来るんだ。俺達が守る・・・聖域を見に」
「・・・」
嘘でもあり、本当のことだ。アイオロスは聖域を守らなければいけない。それが使命だからだ。しかし、 今ここにいるのはそれを確かめるためではない。
小さな世界。自分と、サガの生きるひどく閉鎖的な世界。
ちっぽけな、手の中におさまりそうなくらい小さなこの聖域は、それでもサガにとっては世界そのものだった。
アイオロスはそれを知っていた。しかしアイオロスにとって世界は聖域だけを示すものではなかった。
自分でそのことをよく知っているからこそ、アイオロスはサガに、自分もこの小さな世界が全てなのだと嘘をつく。
この嘘に気付けば、サガは恐らくアイオロスを許してはおけないだろう。
聖域という小さな場所が世界そのものであるサガにとって、もっと遠いところを見詰めるアイオロスの存在は、いつでも嫉妬の対象となった。
「・・・灯りが、きれいだろう」
そして、なんて小さな光。
「お前は、そうやっていつも遠くを見ているな」
「・・・俺は、手の届く内くらいしか、見てないよ」
「・・・」 それきりサガは黙ってしまった。
愛しい存在。アイオロスにとってサガは愛すべき世界の中の、愛すべき人間だ。
どろどろと渦巻く感情を浴びせないように、硝子細工を扱うように、そっと扱ってきた大切な人。
だがサガにとってのアイオロスは、愛憎、嫉妬、焦燥、その全てを抱かせる大きすぎる存在だった。
愛しさと同時に、憎しみをも抱く。その複雑な心を、アイオロスは知っていた。しかし、それでもアイオロスにとってサガはいつまでも 美しく、清廉なままの存在だった。
そして、そう思い続けていたことが、逆にサガを苦しめた。
小さな世界の、弱い人。

サガは、既に手の届く内におさまっていた。