聖戦後再会を果たしたアイオロスは、過去となんら変わらぬ笑顔で私に声を掛け、
そして子を成し、走り去るように死んでいった。
あまりにあっけない最期であった。
思い出を語るには長く、罪を償うにはあまりに短く、
彼は平和な日常を思うまま味わい、眠るように死んでいった。
明日は子供に会いに行くかなどと笑って話していた彼は、二度と目覚めることはなかった。
アイオロスの子は今年で14になる。
母親は誰も知らぬ。本当にアイオロスの子なのかと皆はじめは半信半疑であったが、写真を見るや全員が納得した。
彼はおそろしく父親に似ていた。
明るく、聡明で、アイオロスよりも勝ち気な子供だった。
しかしアイオロスと大きく違うところが一つあった。
彼は聖闘士の星の下には生まれなかった。
射手座にはアイオロスの死後星矢がおさまった。
十二宮に空位はなく、アイオロスの子だからといって黄金聖闘士になれるわけでもない。
皆心のどこかで期待していたのは事実だろう。
星矢など自分が射手座の聖闘士だというのに彼が射手座であったならと言っていた。
私はむしろほっとした。
彼が射手座の聖衣を身にまとい私の前に現れたら、私はどうなってしまうだろう。
黄金の弓を引く姿を、その鋭い矢の先端が私の心臓を貫く夢を見て、私は甘美な想いに浸った。
(やはり私は彼に殺されたかったのだな)
聖闘士でない以上、彼を聖域に連れてくるわけにもいかない。
母親は依然として分からなかったが、赤子の彼には後見人が二人ついた。
一人は聖域外の城戸財閥の人間。そしてもう一人は私であった。
射手座のアイオロスという優れた聖闘士の息子である以上、いつ何の力を目覚めさせるやもしれない。
赤子の彼を目にしたときは震えが止まらなかった。
しかし半ば親代わりとして接するうち、やはりアイオロスとは違うのだなと、後見人らしくふるまった。
育つにつれ彼はどんどん父親に似てくる。
14になった彼は私が憎んだアイオロスの姿そのものだ。
(だがやはり違う。彼はアイオロスではない)
若く希望に満ちた両目が私の顔をじっと見つめる。
栗色の癖毛が太陽の光を浴びてきらきらと輝いている。
太陽の下に立つ彼のなんと健全な美しさか。
「サガ」
はっと息を呑み現実に引き戻される。サガは聖域外にある都市部の集合住宅の一室にいた。
彼は明日からここで生活を始める。
「ぼーっとしてたな。疲れた?」
「私も年をとったからね」
これは嘘だ。確かに年齢は彼よりもずっと年上だが、彼は黄金聖闘士。未だその力も肉体も衰えはしない。
「年っていったって40過ぎだろう?それにサガは年なんて分からないくらいきれいだ」
「ふふ」
「また冗談だと思って・・・。友達の親がみんな気にしてたよ。次はいつ来るんだってさ」
彼はサガの背に長く垂れる青銀の髪をひとすじ指に絡ませた。幼いときからの手癖の一つだ。
サガはやめさせるでもなく、抱えた本を本棚に入れていった。
「・・・私はもう暫く来ないよ」
「分かってるよ。何度も聞いたし」
ふてくされたように髪の毛を少し強く引く。サガは振りかえり苦笑するとその手をそっと外させた。
彼はサガの冷たく白い手を逆に握り返すと、サガの胸元に擦り寄った。
額を肩のあたりにこすりつけ、背に回した手がぎゅっと服を掴んだ。
「珍しいな。寂しいのか?」
彼は答えない。幼いころはかなりの甘えん坊だったが、
ここしばらくは気恥かしさが勝るのかあまりサガの体には触れてこなかった。
実子ではないのだから、仕方ない。しかし親を知らぬ彼に、サガはぬくもりを与えることを躊躇わなかった。
「・・・生活に何か問題でも?」
彼はぶんぶんと首を振った。
「毎日楽しいよ。そうじゃなくて・・・」
ぱっと顔をあげ、縋るような茶色の瞳がサガの両目を捉えた。
「サガは何も教えてくれない。いつもさみしそうな顔をする癖に、一生会いに来なくなるような気がする」
「そんなことは・・・」
「俺は父親にそんなに似てるの?サガはいつも俺に会いに来てるんじゃない・・・父さんに会いたがってるんだ」
「それは違うよ」
「違わない!だったら俺を見てくれよ!俺の向こうに父親の姿を探さないで・・・」
彼は両目いっぱいに涙を浮かべると、再びサガの肩口に顔を押し付け、強くサガを抱きしめた。
(見透かされていたのだろうか)
聖闘士ではないことに安心しつつも、やはり期待していたのだ。
彼が射手座の聖衣を身にまとい、私を断罪することを。
それは息子ではない。彼の父親に、射抜かれたかったのだ。
サガは彼をそっと抱きしめ、頭を優しく撫でた。
サガ、サガ。俺はこの子が聖闘士でなくてよかったと思っている。
俺はまだ生きているが、何だかこの子が生まれ変わりのような気がしているんだ。
親馬鹿だろ?笑ってくれて構わないさ。
俺もお前も、聖闘士でなければ、この子のように平和な世の中を普通に過ごしていたのかもしれないな。
しかし、いかんな。成長したこの子が遊ぶ姿に自分を重ねるだなんて。
この子はこの子でしかない。ひたすらに愛おしい。
サガ、お前も会う機会があったら、優しくしてやってくれ。
お前みたいな男に笑顔で優しくされたら、俺のように惚れてしまうかもしれないな。
私もお前も、愚かだな。アイオロス。彼はやはり彼だ。お前はお前。
私もいい加減、お前の姿を探すのはやめないといけないな。
瞼の裏に浮かぶ射手座の聖闘士はそっと弓矢を下ろした。
静かに微笑みながら霧消していく。
「お前は確かに父親によく似ているけれど」
「・・・」
「彼はこんなに甘え癖のある子ではなかったな」
サガが少し笑いながら言うと、彼は一瞬不満そうな顔をしたものの、子供扱いするなよ、と言いながら優しくサガの背を撫でた。
サガは体に感じる暖かさに、じわりと涙を浮かべた。