繋いだ手

サガはアイオロスを宥めるようにずっと抱きしめていた。
アイオロスも、この時ばかりは、恥やプライドや取り繕う心など忘れて、
ただただサガに縋り付いて泣いた。 「もう会えぬだろう」
「・・・」
アイオロスは答えなかった。
「お前は地上へ戻り、やがて天へ昇る」
「俺は・・・認めない」
サガは苦笑したようだった。
外はもうすっかり日がのぼってもいい時間だが、死者の国は暗い闇に閉ざされたままだった。
アイオロスは子供のように、サガの背をぎゅっと抱きしめた。
「ロス・・・」
「・・・なぜ・・・なぜだ・・・サガ・・・!」
「それが私の罪、私への罰だ」
「俺は許せん・・・絶対に・・・!」
「誰を許せないというのだ」
「お前を・・・お前を誤解している・・・」
「誤解など、何もない。ただ事実があるだけだ」
「俺に一人で戻れというのか」
「一人ではない・・・仲間がいる」
「お前がいないのに!」
アイオロスはサガの瞳を真っ直ぐ見つめて言った。
サガにも当然別離を悲しむ心はあったが、しかし取り乱すアイオロスを前にすると、
自分が悲しんでいることなどどうでもよくなってしまった。

アイオロスが真に地上を慈しみ、守ってくれれば。

それだけがサガの願いであった。
サガのことなど二の次にする人間でなければならなかった。
だが
「・・・つらいか?アイオロス」
「・・・」
「つらいならば、忘れてしまえばいい」
「サガ?」
「私のことなど・・・」
サガは右手に双子座の小宇宙を高めた。室内がぼんやりと青く光った。
アイオロスはサガを離し、厳しい目つきでサガを見た。
「何をするつもりだ。俺にお前の技は効かん」
「そうだな・・・お前は、教皇となるべき者だ。
だが、私の存在ひとつでそのように動じるようでは困るのだ・・・!」
「俺に忘れろと言うのか!?お前を!別れ以上の哀しみを俺に味わえと!」
「忘れてしまえば何も分からなくなる・・・。哀しみも、憎しみも。お願いだ、アイオロス」
サガの優しい、哀願するような瞳に、アイオロスはぐらりと揺らいだ。
「お前は、いいのか、つらくないのか?」
「つらい・・・つらいに決まっている・・・
だが、お前が心から女神と、人と、地上のためを思うことができぬというなら、
私は私をお前の中から滅ぼす」
「サガ・・・」
「全ては女神のため・・・忘れてくれ、アイオロス」
「嫌だ」
「ロス!」
「お前が俺の中からいなくなるくらいなら、俺は誰を殺してでもお前の傍から離れない」
アイオロスの言葉に、サガは愛しさも悲しさも通りこし呆れてきた。
「子供のようなことを言ってくれるな」
「お前が言わせている」
サガは微笑んだ。穏やかだった。
「ならば私はここで消えよう」
「なっ・・・!」
「お前の枷になるなど・・・あってはならない。なりたくはない。
冥界に私がいなければお前は心置きなく帰っていけるだろう」
「馬鹿なことを!」
サガは小宇宙を高めた手を自分の胸にかざした。

「さようならアイオロス。どうか元気で。お前は地上を、愛してくれ」

室内が一気に明るくなる。
青白い光は黄金へと輝きを変え、サガの周囲はバチバチと白い火花が散った。

「よせ!」

アイオロスも自らの小宇宙を高め、サガの腕に掴みかかった。
その瞬間



しまった



アイオロスの目の前にかざされた手は真っ白に輝くと、
アイオロスはその場に崩れ落ちた。

サガはその体を抱きとめ、床に横たえた。
「すまないアイオロス・・・騙し討ちなど・・・やはり私は聖闘士には向かない・・・」
サガは顔を歪めながらも微笑むと、サガを掴んだまま離さない手を、そっと握り返した。
(これが最後・・・)
二人分の小宇宙の瞬間的な膨張を感じ、ばたばたと廊下を走ってくる気配がした。
サガは一度ぎゅっとアイオロスの手を握ると、アイオロスに口付けた。

「何事だ!」
入ってきたのはラダマンティスと、シオンだった。
二人は横たわるアイオロスの姿を見ると瞠目した。
「サガ・・・」
「私にまつわる記憶を消してあります。地上へ帰らぬと駄々をこねることもないでしょう」
「お前はいいのか」
「覚えていようといまいと・・・もはや関係ありません」
サガはそっと目を伏せた。
「・・・部屋へ運びましょう」
ラダマンティスが言った。
「すまぬが人は呼ばないで頂けまいか」
「無論・・・冥界はそれほど野暮ではない」
「すまない、ラダマンティス」
今度はサガがラダマンティスに向かって言った。

ラダマンティスはアイオロスの腕を肩にまわし、支えながら立ち上がると、
何か引っ張るものを感じて振り向いた。
「・・・サガ」
「すまない」
「いや」

既に指を解いたサガの手を、アイオロスは握ったまま離さなかった。

「いいのか」
「・・・私がどう考えていようと、結果は変わらない・・・」
「・・・いらぬことを聞いた」
「私の仲間を頼むぞ」
「地上へは無事に、送り届ける」
「・・・ありがとう」

サガは微笑むと、反対の手でアイオロスの手を、そっと外した。

「お前は地上を・・・愛してくれ」