>>>デザイア =暗鬼=
| 「すみませ〜ん」 不意に二ノ宮家の玄関先に、聞き覚えのある声が響く。母屋の客間にいた翔たちにもわずかにその声は届いた。 「すいませ〜ん!!」 潤が持ってきたのは、めぐみの家に代々伝わると言う、秘伝の香草茶葉だった。めぐみの家は古くからこの地にあり、山に生える野草を使っての茶葉作りを生業(なりわい)としてきた家系らしい。 「ゆうべ飲んだのも、すっごくうまかったよね」 |
| 広間に香草茶の良い香りが漂い始める。コポコポとポットから慣れた手つきでお湯を注ぎ入れているのは、茶葉を持参しためぐみである。 「ごめんなさいね、いらしたの気付かなくて・・・」 そのめぐみに向かって、詫びを入れているのは理美だった。かなりの疲労の色が顔に表われている。 「いえ、こちらこそ、突然押し掛けてしまって申し訳ございません」 ポットから手を離しためぐみが、深々と頭を下げる。 「いや、ホント気遣いしてもらって・・・悪かったよ」 理美の横に腰を下ろしていた和也が、そう言いながら軽く頭を下げた。しかし、その隣にかすみの姿はない。広間にいるのは、理美、和也、佑実、智、翔、そして潤とめぐみだけである。今日子は、理美が声をかけたにもかかわらず、母屋の自室から出てくることはなく、安則とかすみは、具合が良くないからと言って離れからやって来ることはなかった。 「へ〜、こんな田舎でハーブティー飲めるなんて思わなかったわ」 めぐみから香草茶を受け取った佑実が、声を弾ませながら言う。同じく喜太郎のことに巻き込まれてイライラしていた彼女も、理美の計らいでここに呼ばれたのだった。 「ん〜!イイ香り!」 一口啜り、佑実は満足げに宙を仰いだ。それを和也は複雑な表情で睨み付ける。 「あ、あの・・・」 めぐみがおずおずと口を開いた。 「かすみさんたちの分も煎れましたので、もしよろしければ持っていって頂けませんか?飲むとだいぶ落ち着くことができると思うんですけど・・・」 そう言いながら、そっと3杯のお茶を理美の前に差し出す。 「あらまあ、ありがとう。そうね、じゃあ持ってくわ。確かにこのお茶飲んだら、急にスッキリした感じだし。ホントすごい効き目ね!」 もれなく相伴にあずかった理美が、そのお茶の効き目に驚きながら、言われた通りにいそいそと奥へ運んでいった。それを和也は心配そうな顔付きで見送る。 「カズ・・・かすみ姉ちゃんのこと、心配?」 その姿を見た潤が、そっと尋ねる。翔と智も、和也の反応を伺う為に、お茶を飲む手を止めた。 「そりゃ、心配さ。アイツ、ああ見えて臆病なトコもあるし、気の弱いトコもある・・・。だいぶ参ってるみたいだよ」 やけに大人びた口調で和也が応え、潤は「ふ〜ん」とだけ頷いた。すると、突然佑実が和也にしなだれかかり、けだるそうに口を開いた。 「どうしてボンはそんなにお姉ちゃまに優しいのかしらぁ〜?」 いやらしく尋ねる佑実を、和也は心底迷惑そうにグイッと押しのける。 「当たり前だろっ、たったひとりの姉貴なんだから!」 「ふぅ〜ん・・・」 佑実は見下ろすような顔で和也をジロジロと見つめる。 「『たったひとりの姉貴』ねえ・・・」 そのもの言いたげな口振りに、見ている翔は内心ハラハラしていた。おそらく和也にとって、佑実は1番キライなタイプの女だろう。自分のことに首を突っ込んでくるタイプの人間を、あまり良しとはしない性格であるということも良く知っていた。このままでは和也が『キレ』かねない。慌てた翔が口を開きかけた時だった。 「みんな、かすみ姉ちゃんのことは心配してんだよ!」 突然声を荒げたのは、それまで黙ってお茶を啜っていた智だった。一同はその意外性に目を見張って振り向く。 「あっ!や、そのっ・・・」 急に自分に注目が集まったことにハッとなった智が、慌てて視線を落とす。 「かすみ姉ちゃんは、俺たちにとって、その・・・みんなの姉ちゃんみたいなもんだし・・・だから、その・・・」 しどろもどろになった智が、横面を人差し指で掻きながら続ける。 「ね、姉ちゃんのこと、心配するのは、あた、あたっ・・・当たり前だろっ!?姉ちゃんの心配して、何が悪いんだよ!」 最後の方は開き直ったような口調になりながら、ふんぞり返るようにして佑実を睨みつけた。唇が興奮の為かわずかに震えている。 「な、何よ・・・そんな言い方しなくてもいいじゃないっ」 その異様な剣幕に、今度は佑実が慌て出す。 「ただあたしは・・・っ!」 そう言い出して、自分に突き刺さる冷たい視線に気付き、キュッと下唇を噛み締めた。智も、翔も、潤も、めぐみも、そして和也も、ただじっと佑実を見つめている。 「あーあー!わかりましたっ!あたしが悪うございました!・・・ったく!なんなの!?」 佑実は持っていた茶碗を乱暴に置くと、ガバッと立ち上がった。 「幼馴染みだかなんだか知らないけどね、勝手に『仲良しごっこ』でもしてればイイじゃない!―――そんなにあの女がいいんならね!!」 佑実はそう言うと、フン!とそっぽを向きながら荒々しく広間を出ていった。 「・・・・・・」 翔はその様子に呆気に取られながら、ハッとなって智の方を振り返る。智はまだ興奮が冷めやらない状態で、湯呑み茶碗を握り締めていた。 「智―――」 不意に和也が智を呼ぶ。だが、智は残りのお茶を一気に飲み干すと、その声が聞こえなかったかのような顔で大きくため息をついた。潤は突然変わってしまった部屋の雰囲気に、イマイチついていけない様子でただオロオロとしている。翔もまた、智と和也との間に生まれた不思議な空気に、ただ眉根を寄せて黙っているしかなかった。 広間に沈黙が訪れる。ただ、そこには香草の残り香だけが、変わらず優雅に漂っていた。 |
| 夜8時を廻った頃だった。 「じゃあ、そろそろ・・・」 潤がそう言ってめぐみに目配せをする。 香草茶の効き目か、急に元気を取り戻した理美は、潤とめぐみの為に慌てて夕飯をこしらえた。そしてお茶のお礼にと食べていくことを勧め、ふたりはそれに従い、ついでに翔と智も同席することとなり、結局はこんな時間まで二ノ宮家に滞在することになったのだった。 「あら、もうイイの?」 そう。例え何があろうとも、この家は懐かしい思い出の場所。仲の良い幼馴染みたちがひと夏を過ごしあった家―――。それはどこよりも安心できる場所なのだ。 「じゃあそれなら、やっぱり潤も泊まってかないとな」 「ごめんください」 案の定、玄関には雅紀と若菜の姿があった。手には大量の果物やら野菜やらの入った籠を抱えている。 |
| 広間には再び良い香りが充満していた。雅紀と若菜が仲間に加わったことで、めぐみが新たにお茶を煎れ直したのだ。 「おいしい・・・!」 若菜がホッとため息混じりにつぶやいた。雅紀も安堵の表情でお茶を啜っている。 「やー、なんだかんだ言って、こうやってみんなで集まるだけで落ち着くよ〜」 智が笑いながらそう言った。確かに、こうして幼馴染み同士が顔を見合わせているだけで、なぜか心は落ち着きを取り戻していた。翔にもようやく安堵感が押し寄せる。 「じゃあ、翔くんと智はしばらくここにいることにしたんだ?」 雅紀の問いに、翔は頷きながら口を開いた。 「うん。どうせ道が直るのも先の話しみたいだしさ、それならここに置いてもらった方が得策だと思って」 そう言って肩をすくめる。 「案外ちゃっかりしてるよねー」 冗談めいた口調で潤が笑う。すると横に座っていた智が続けた。 「そうそう!でも昔だって、こうしてカズんトコ泊まったり、雅紀んトコ泊まったりしてたじゃん、俺ら。なんかそういう方が落ち着くんだよね〜。みんなと一緒にいる安心感っていうの?」 確かに、翔が緑翠村を訪れたあの夏、一同は二ノ宮家に泊まったり相葉家に泊まったりすることを繰り返していた。気付くといつも7人一緒で、広い部屋にただ敷き布団だけを敷いて、みんなで雑魚寝(ざこね)をしたこともあった。 「昔っから、こうしてみんなで集まっちゃあ、ゴロ寝とかしてたよね?確かカズのばあちゃんが蚊帳(かや)吊ってくれたりして―――」
ちりり・・・ 耳の奥で小さな音が響く。 (・・・?) ちりりん・・・・・ (鈴・・・?) 翔は眉間にしわを寄せた。頭の隅で記憶の断片が浮かぶ。 蚊帳の中で眠る子供たち。 ちりり・・ん・・・ (また・・・?!) 暗闇の中で背後に感じる冷たい岩の感触。
「翔くん?」 (なんだ、今の―――?!)
「・・・そういえば、かすみちゃん、具合どう?」 「翔くんたちも、気を付けて―――」 その言葉に、翔は一瞬、胸を締め付けられたような感覚に襲われた。ドクンと心臓が大きな音を立てる。 |
| ざわり。 木々の間を風がすり抜けて行く。すっかり夜の更けた空には、ゆっくりと黒い雲が流れている。 カタッ。 小さな音を立てて、その部屋の襖がゆっくりと開かれた。影はするりと室内に忍び込む。布団に眠る塊に足音なく近付き、枕元から顔を覗き込んだ。影はその手を、おもむろに寝込む人物の首へと持っていった。その手には、勾玉を連ねたネックレスが握られている。 「・・・っ!」 ブツッ!! 紐の切れるような音がして、勾玉はバラバラと落下する。それと同時に、首を締められていた人物はずるりと崩れ落ちた。 「・・・」
空を覆う黒い雲からは、ポツポツと雨が落ち始めた。庭から湿った土の匂いが立ち上る。影の立ち去った後には、再び静寂だけが支配する夜の闇が残っていた。 |
>>> to be continued...