瑠璃鳥が行くままに

「よお、元就!」
元親はここで待っているという隆元の言葉に従ってその部屋に入ったのだが。
中には誰もない。騙された?という疑問が浮かんだが、心優しい隆元に限ってそれはあり得ない、と元親は知っていた。
彼が騙したのではないとすれば、ここに居るといわれた人物が出て行ったのだろう。
さて、その人物はどこにいったのか。
元親はついと庭先に足を運んだ。

回廊にそって庭を歩いていると部屋の襖が勢いよく開いた。突然のことに驚いていると「元親殿ではないですか。お久しぶりです」と声がかかる。
目の前の部屋へ視線を巡らせば、涼やかな表情をした隆景がいた。美丈夫と称される彼は17になったこの頃、妖艶な笑みすら浮かべるようになった。その笑みは探し人・元就に似通っていて、元親はドキリとすることもある。
「ああ、久しぶりだな。何をしていたんだ?」
「書を読んでいたのです。ですが、あまりの天気の良さに少し庭を歩きたくなって。元親殿こそどうなされたのですか」
言外に父上に会いに来たのでしょう?といった言葉が含まれていた。元就はそんなことがあるはずがないと云うが元親は親友といって憚らない。周囲の者を駒だという彼に家臣たちは怯えるがこの三兄弟は全くその気を見せなかった。
その豪胆さが元就から譲り受けたもののように思えて、それが嬉しく元親はこの三人とも親しくしている。
「いや、席を外していたから探している最中だったんだ」
「そうですか。ならば、私もついていきましょう。父上はあれで、ぼんやりとしているところがあるから」
クスリと笑う隆景につられて、元親も小さな笑みを浮かべた。
そのまま回廊に沿って暫く歩けば道場が見えた。その手前で誰かが木刀を振っている。カサリ、と葉を踏んだ音が届いたのか、その人物は素早い動作で元親と隆景に向かって木刀を突きつけかけた。
集中していたのだろう、もしくは心を戦場に置いていたのかもしれない。鋭い視線は二人を射抜いたが、男はふっと息を吐き出した。次男坊である元春であった。
見るたびに逞しくなっていくな、と元親は感嘆する。元春は兄弟の中で一番背が高くがっちりとした身体つきである、これでまだ伸び続けているというから驚愕ものだ。
「ああ、長曾我部殿か。これは失礼つかまつった」
「いいさ。こちらこそ邪魔したな。」
「小兄上、父上を見かけませなんだか?」
手の甲で汗を拭った父上?と元春は隆景の言葉を鸚鵡返しする。さて、と思考をめぐらせた彼は暫くしてそういえばと口上を切った。
「さきほど見かけたかもしれないな・・・」
「本当か?」
「俺が水を飲みに行った時に父上らしき人が通った気がする。父上がどうかなされたか?」
「いや、部屋に居なかったものだから探しに来たんだ。それで、元就はどの方へ?」
「あちらかと、」
元春が指差した方向は元就が好んで向かう場所だった。
この事実を元親は知らない。
だが、この毛利家で長年過ごしてきた隆景には「嗚呼、」と声を漏らすと同時に納得できるものであり、元春は間違いないだろうと思っている。二人の確信の意味が分からない元親は二人に云われるままにその場所に向かった、隆景はもはやついてきていない。
こちらか?と少しばかり不安を抱えながらも元親が進んだ先に元就は居た。腰掛けに座り、目を閉じている。どうやら眠っているようだ。その眠りを妨げないように、元親はそっと側に腰を下ろす。
急成長した毛利軍を支える彼は表立ってその苦労を見せはしないが、一人になれる場所ではこうして睡眠を貪っているのだろう。部屋で待っていなかったことを怒ってもよかったが、そんなことよりも元就の安眠を妨げる気にならなかった。それに、元就は親しくない者にそのような無礼な働きはしない。彼の無礼さは親しさからくるものだ。
少しずつ自分に懐柔されていく元就に元親は優しい視線を向ける。
元親は目を閉じた。眠りを共同しようとするかのように、ゆっくりと。


written by 吉沢[路地裏] 2007