掌中の蜘蛛が踊る

「よお、がんばってんな」
気安くかけられた声に、どうにかして抗う術はないかと成実は思った。派手な装束に身を包む慶次は一週間前からこの米沢の城でごろごろとしている。
一言文句を云ってやりたいものだが、城主である政宗が呼んだ客だから出て行けとも云えない。成実はなるべく関わらないようにしていたのだが、どうやら厄災は向こうからやってくるらしい。
道場で稽古していた成実は顎を伝う汗を拭いながら、慶次の横を何も云わずに通り過ぎようとした。
「無視すんなよ」
「・・・なんか用でも?」
「別に用なんてないよ。頑張ってるなーと思って」
ふざけた返事だ、むっと成実が顔を歪めると慶次はけらけらと笑った。こういうタイプは苦手だと成実が苦々しく思っていると慶次は勝手に喋り始めていた。今日の料理は美味かっただとか、小十郎の小言を聞く羽目になっただとか。
聞いていると、どうも政宗と話しているような気分になった。口調は全く違うのだが話す内容が似通っている。そんなおかしな共通点に、ふっと成実が笑うと慶次は気を良くして、彼が返事をしないにも関わらず更に言葉を並べ立てた。
二人は庭先を歩いていたのだが、自分の部屋の前まで来たことを知った成実はさっと慶次の側を離れた。
「あれ、どしたの?」
「俺の部屋はここだ。じゃあな」
「ちょ、待てよ!今日初めて話したってのに冷たい奴だな」
「話を聞いてやっただけでもありがたいと思え。俺は、あんたとまみえるつもりは一切なかったんだからな」
云い募る慶次に無情にも成実は勢いよく襖を閉めた。鍵などついていないのだから、開けてしまえば良かったのに呆気にとられた慶次はその場に突っ立ったまんまだった。
とぼとぼと歩きながら、難しい顔をしていると「よお、」と声をかけられる。顔を上げた慶次の前に、政務を済ませた政宗が少し疲れを浮かべた様子で笑っている。その政宗に事の成り行きを並べ立てればしょうがねえよ、と返事が返ってきた。
「しょうがねえってどういう意味なんだよ」
「お前はあいつを気にいってんのかもしんねえけど、あいつは苦手だと思う奴は一切近づけねえ奴だからな」
だからしょうがないんだと政宗はあっけらかんと云う。苦手とは云うが、成実と顔を合わせたのも話をしたのも今日がほぼ初めてである。何がどうなって苦手と思われる要因があったのだろうと慶次がしかめっ面になっていると、政宗の苦笑が目に入る。その顔を見てこれ以上、云っても無駄だろうということを悟った。
ただ諦める気はない。前田慶次とはそういう男であった。
成実と酒を飲みながら話してみたかったのだ、その腕を試してみたいという思いもあったし面白い男だと聞き及んでいたから楽しめそうだと思っていた。
成実が会いたくないと云っても慶次は会って話がしたい。持久戦だ、と誰に云うともなく慶次は拳を握り締めた。

慶次の猛攻撃は、成実の神経をすり減らした。側でその様子を楽しんでいる政宗にも苛立ちはあったが、主君に簡単に怒りをぶつけるわけにもいかない。
こちらに関わるな、と一度がつんと云ってやるべきだと成実は決心した。
「おい、」
その声に慶次がくるりと振り返る。長い髪がゆらり、その動作についていくように靡く。そういうところも成実は気に入らなかった。
実の無い虚だけの外見など成実が最も嫌うところであった。
「お、成実じゃん。どしたの?」
「どうしたもこうしたも無い。俺の周りをうろつくな、迷惑だ」
「なんで迷惑なんだよ、俺はお前と話してみたいだけ」
「それが迷惑だっつってんだよ。俺はあんたと話したくない。それだけだ」
一方的に云い切り背を向けた成実の肩を慶次は思わず掴んで振り向かせる。ここで引けば、二度と成実はこちらに興味を示さないと感じたからだ。
だが勢いが過ぎて、気づけば成実の顔が目の前に迫っている。どちらにもどうすることも出来なかった。
ぶつかった唇に成実は呆然となる、慶次も同じようなものだったが先に正気になったのは慶次だった。ここで引けば成実はこの事件で更に慶次を避けるだろう――ならば。
「うぐっ」
唸り、反射的に逃れようとする成実を強引に壁に押し付けて舌を侵入させる。右手で肩を押さえ込み、左手でその腰をとった。するりと足の間に滑り込ませた膝で蹴りを封じ込む。
脂肪のない身体は硬く、女子とは似ても似つかない。抵抗を変わらず続ける成実を抑えようと動けば腰にまわした左手が滑らかな曲線を描いて成実の尻の割れ目を撫でる結果となった。
「っ、」
ひき付けのように喉を上下させた成実に慶次は思わぬ副産物に心の中で笑った。懐かない猫を懐柔しているような面持ちになる、そう思えば余裕を持って対峙できた。
「成実・・・」
「は、なせ・・・ッ!糞野郎!」
何とでも罵ればいいさ、と慶次は思う。
成実と身体を重ねるなど考えたこともなかったが、ここ数日の彼の態度を思い出すと組み敷いてしまえという気持ちが湧かないでもなかった。
成実の行為は慶次を随分と傷つけたのだ。その代償だと云い募ってもいい。
だが――
(これを恋と呼ぶならそれも良い。接する中で、俺はこいつを好きになってたのかもしれない)
慶次の真剣な表情に成実は汚く罵っていた口を閉じた。
「好きだ、」
その言葉は甘く脳髄を刺激するような響きを持っていた、女子ならころりと参ったかもしれない。だが成実の矜持はそれを許さなかった。
嫌いだ、俺はあんたなんか好きにならない、俺はあんたが嫌いだ――喚く成実の唇をそっと舌先で舐めた。
罵りすらも愛しいと思う自分がなんだか不憫に思えたが、どんなに罵ろうとも所詮は慶次の腕の中。
(こういうやり方は好きじゃねえんだけどな)
慶次は再び成実に口付けた、己の思いがどれほど強いかを思い知らせるために。
成実の顔が歪んだのを目の端で捕らえながら慶次は決して成実を離そうとはしなかった。


written by 吉沢[路地裏] 2007