夢の旅先

彼の父は総じて無口であった。
必要以上に話すことはなく、また行動もそれに基づいていた。また父が治める山陰地方も元より土豪の者ばかりで無骨者が多かった。酒が入れば飲めや遊べやと陽気になるが普段は口数は多くない。
そのためか、鶴寿丸(後の吉川元長)はそれが当たり前であるように思っていた。だから物心がついた頃、山陽地方を治める叔父と会ったときには圧倒された。喋り過ぎとは云わないが父の二倍も喋るので驚いて言葉を返せなかった。
不審に眉を寄せた叔父であったが、察したのかふと優しい笑みを見せた。
「小兄上は相も変わらずあまり喋らぬようだな」
叔父の指す小兄上というのが父親を指しているのを分かっているから、鶴寿丸は「変わりはございません」と返答した。
隆景は隆元を大兄上と呼び、元春を小兄上と呼んでいた。
その叔父の目に一瞬寂寥とも取れる色が走ったが、幼い鶴寿丸には分からなかった。鶴寿丸は父、元春が18の時の子だ、同年に結納をしたのだから随分と子に恵まれている。だが鶴寿丸の叔父、隆景には生涯子はできなかった。また鶴寿丸が八つを迎えた頃にも元春の妻・新庄局は子を産んだ。まだ嗣子となる子がない隆景には鶴寿丸の受け答えを自らの子に重ねたのかもしれなかった。
この日、隆景は元春に用があって小倉山城を訪ねていたのだが先の用事がまだ終わらないらしい。お待ちください、と通された部屋で庭の景色を見渡していると回廊を歩いていた鶴寿丸と目が合ったというわけだ。
鶴寿丸は武術も優れているようだが、教養も行き届いているらしい。利発な面構えがそう物語っていた。さっぱりとしたその性格は父親からそのまま受け継いだらしい、鶴寿丸の父・元春も隆景から見れば驚くほど淡白なところがある。城の様子も人となりもその性格を如実に表している。
派手さをいかばかりか好む隆景からすれば物足りさを感じるが、他人の屋敷のことに口を挟む気もない。
「このごろ、」と鶴寿丸がぽつりと言葉を落としたので隆景は言葉の続きを待った。
「この頃、父上はあまり稽古の相手をしてくれませぬ。」
寂しいと遠まわしに告げていた。
しかし、それも仕方のないことであった。
鶴寿丸が八つになった弘冶二年、元春は毛利の長年の宿敵である尼子氏との戦いで石見に遠征していた。だからこそ、たまに戻った時を待って元春に会いに来た隆景もこうして待たされている。外の情勢を治め内情にも目を向けなければならない。それは城主として当たり前の事であったが、山陰地方は土豪の者がぽつぽつと点在し確立していた。また、元々鬼吉川としてその武勇の誉れ高い彼らは、元春の猛将としての評価と相まって担当する陣は大抵が重要な個所が多かった。彼らの矜持を損ねず、そしてその不満解消にあたり結束を強めることに元春は何よりも心を砕かねばならなかった。
そして、前年には厳島の戦いもあった。
稽古の相手どころかあまり会う機会もなかったのかもしれない。
そこまで考えて隆景はおや、と思った。
「小兄上はこなたを厳しく躾ておられるか?」
「・・・基準とするものが分かりませぬのでお答えいたしかねます」
「それもそうだな。某も小兄上と会うのは久しく思える」
実際は郡山で軍議の際に何度も会っているので久しくはなかったが、個人的に会うのは久しぶりだった。
「話はそれほど長くはかからぬから小兄上に頼んでみようかの」
隆景にそう云われて鶴寿丸はさっと顔を赤く染めた。隆景からの申し入れならば元春も断りはしないだろうし、むしろ喜んで手合いの相手をするだろう。だが、何より鶴寿丸が頬を染めた理由は、彼がこうして隆景が座している部屋を訪ねた意味を悟られてしまったからだ。
隆景がいるところに居れば必ず父とまみえることが出来るだろうと鶴寿丸は思っていた。だが、いざ云われてみれば失礼以外の何者でもない、赤く染めた後は青くなり鶴寿丸はさっと平伏した。
「し、失礼つかまつりました」
「何を謝ることがある。子が親と共にいたいと思うのは当然だ。この俺がその間に立てるというのも嬉しいことだ、顔を上げなさい」
父とはまた違った優しい声音が鶴寿丸の頭上から降り注ぐ。そろりと顔を上げると、優しく微笑んだ青年がいた。
「俺もこなたのような倅が欲しいものだ」
その言葉に、鶴寿丸が口を開けかけると同時に襖が開いて元春が顔を出した。
「隆景、遅くなってすまん。何用・・・鶴寿丸、どうしてここに?」
父の驚愕に満ちた顔に鶴寿丸はびくりと身体を揺らした。
「某の話相手になってくださっていたのですよ」
「・・・そうか」
元春は深くは追求しようとしなかった。彼が淡白と云われる所以である。鶴寿丸は慌てて座から身を引こうとするが元春が呼ぶのでおずおずと側に寄った。
「元気であったか?」
「は、はいっ」
「お前に会うのも久しいな。今日は無理だが、暇があればお前の腕がどれほど上がったか見てみたいものだ」
「・・・っ、私も父上に見ていただきとうございます」
顔を紅潮させて云う鶴寿丸に元春は無愛想なその面を破顔させた、滅多に見れないものである。優しく鶴寿丸の頭を撫で下がらせた。
隆景に向き合った元春は既に武人の面を掲げていた。
「何だ?」
「いえいえ、鶴寿丸もさぞかし喜んでいるだろうと思いまして」
不思議そうな顔をしてみせた兄に少しだけ羨望の眼差しを向ける。元春は今年で26になるが二男一女の父だ。毛利を支える一端であり、彼らの父でもある彼は日に日に逞しさを増している。
隆景も妻である小早川繁平の妹との仲は円満であるがやはり子が欲しいことには変わりない。まだ焦る年ではないがいつ死ぬか分からぬご時世である、早く子が産まれるに越したことはない。
元春にはそういった隆景の気持ちは分からなかった。そこまで巡らす余裕がなかったとも云える。
生返事を返した元春はそれで、と言葉を告いだ。用件はなんだ、というわけである。隆景も意識を戻した。
だが意識の底では庭先で鶴寿丸が嬉しそうに武術の稽古に励んでいるように思えて、兄上も良き嗣子を賜ったものだと何ともいえない様子で目を細めた。


written by 吉沢[路地裏] 2007