ある小さな出来事

 それはまだ、私が小学校3年生のころの話です。


 明日はバレンタインという日です。
 今年は、隣に住んでいる、網野くんのお姉さんと手作りチョコを作ることになりました。
 料理は家で当番のときにしたりするので、だいぶできるようになりましたが、お菓子とかはあまり作ったことがないので、明日がとても楽しみです。


「おはよー」
 俺は勢いよくドアを開けた。
 今日は俺の姉ちゃんの家で、五百川と姉ちゃんがチョコを作るらしい。
「おっ、来たか」
「あっ、網野くん。おはようございます」
 もうすでにチョコ作りは始まっていて、泡立て器の音が部屋中に響いていた。
 俺はくつを脱いで部屋に上がり、台所を通って奥の窓のある部屋に腰を下ろした。ここから台所で作業を進める二人を眺める。

 今日は日曜日で、姉ちゃんは午後からデートがあるらしい。で、そのときにわたすチョコを作るんだとか。
 毎回作っているからか、なかなか手際がいい。隣で見ている五百川に気づくと、やってみる?といって簡単にやり方をおしえ、泡立て器を五百川に手わたした。
 台に乗って、テーブルの上のボールの中のものを泡立て器で懸命に混ぜている五百川は、最初とまどいながらだったが、気づくととても真剣な顔になっていた。
 五百川はときどきそんな顔をする。俺にはそのときの五百川が何を考えているのかわからなかった。どうせ聞いても、ヒミツです。とかいうんだろうし。

 ボールの中のものを型に流し込み、冷蔵庫に入れたり、何かをふりかけたりをくり返して、ようやくチョコは完成したようだった。
 姉ちゃんは五百川に包み方をおしえながらも手早くチョコを包み、早々と身支度をすませた。
「じゃ、行ってくるから。テツの分はこれね。鍵もここに置いておくから、出るときはポストに入れといてねー」
といいながら鍵をテーブルの上の包みの横に置き、くつを履いて出ていった。

「はいっ、網野くん。これどうぞ」
といって五百川は包んだばかりのチョコを差し出した。もうひとつある包みは、きっとひろ兄にあげるんだろう。
「あっありがとう」
 受け取りながら、顔が熱くなっていくのがわかった。
 オレンジの包みに赤のリボンがついたそれに入っているのは、生チョコというやつらしく、今日初めて作ったんだと笑顔でいう五百川はとてもうれしそうだった。
「お返し、何がいい?やっぱあめとかクッキーとかかな・・・」
「私はお菓子なら、苺ショートが大好きです」
「苺のショートケーキって、やっぱおまえ子どもだな」
「網野くんだって、まだ子どもですよぉ」
 ちょっとおこりながらも、五百川は笑っていた。


 あれからまだそんなに月日は経っていないはずなのに、もう何年も経ってしまったような気がする。まだ確かな手がかりはつかめていない。
 何で俺はあのとき気づかなかったんだろう。あの五百川の真剣な顔の意味に。


written by 葉墨漓都 2007