一人の平和

そっちはどうだいと聞かれたので、素直に答えることにした。
「概ね、世界は平和なんだろうよ。」
なんだいそりゃ、男が笑った。まあつまり、俺の周りは平和なんだよ周りは。

俺の直属の上司はフォンヴォルテール卿なわけで、そりゃフォンヴォルテール卿といえば十貴族の一つで普通なら雲の上のお人なんだろう(そのあたりの拘りはとくにはないむしろ最近は苦労人の印象が強くなりつつすらある。合掌)が、まあ相手が誰であれお給料と身分の保証があればいいのだ。それはまあいい、フォンヴォルテール卿は俺の上司で人使いの荒いところを除けば概ね上司としては完璧だ。人の趣味にまでは口出しはしない。
その更に上司の魔王陛下。まああのお人も変わったところはあるがそれは文化の違いも在るからだろう。価値観の違いと文化の違いで片付けられるし、何より現魔王陛下をヨザックは思いのほか気に入っている。
おもしろいし、なんていった日には幼馴染が無言で睨みつけてくるんだろうが。
(…嫌なこと思い出した)
そう、ヨザックの平穏を崩すのは主にあのおとこだ。原因やらきっかけやらは九割方、その名づけ子による所なのだろうが。

***

目の前にはしっかりとしわの刻まれた眉間がある。あーあこりゃもうきえねぇな、上司の険しい視線にヨザックはにへらと笑った。苦労人は大変だ。
「じゃ、これで暫く俺も休みですか?」
「ああ、構わん。」
久しぶりの眞魔国での休暇だ。何をしようか久しぶりに知り合いの顔でも見に行こうかと予定を積み上げていたヨザックの前で、扉が開いた。

「あれ、ヨザック!戻ってきてたんだ。」
扉から現れたのはユーリだった。扉を開いたのはコンラート。その態度は紛う事なき、レディーファースト。
(過保護すぎだっつーに)
「ええ、やっとお休みもらえたんですよー。」
ちょっと人使い荒すぎません?とりあえず魔王陛下の情に訴えてみると、笑顔とお疲れ、と励ましが返ってきた。この軽さがいいよなとヨザックは思う。幾分か自棄が入っていなかったわけではないが。
ユーリはグウェンダルに数枚の書類を渡して、なにやら真剣に話し合っている。あら立派になって、久しぶりの親戚の子どもの成長を見るかのようだった。知らずにヨザックの表情が緩む。彼の成長を楽しみにしているのはなにも彼の名付け親だけではない。
その名付け親の顔を見て、ヨザックは溜息をついた。何だあの男の緩みきった顔は!
幼馴染やら戦友やら関係性を示す言葉だけはやたらに多い男は、要するにヨザックにとって遠慮の必要ない相手である。こっそり伺い見たところで視線に気づかないはずがないのだから、堂々と魔王陛下とその護衛を見比べる。ユーリの視線は目の前に書類とグウェンダルに、コンラートの視線はユーリに。
(うわ、わかりやすい。)
やなもん見ちゃった。顔を歪めると、コンラートがこちらを見て笑った。だからなんだと言わんばかりの笑顔だった。最悪だ。その顔陛下に見せてやれ、口元だけ動かしてにっこりと笑う。コンラートは何もなかったように視線をユーリに返した。ユーリがコンラートを見上げる。いくつかの質問に(おそらく陛下にとって)いつも通りの顔(つまりこちらかすれば胡散臭さいことこの上ない)で穏やかに答えていく。
何だこの二面性。恐ろしいのは陛下の視線を受けた時のあの男の表情が半分以上素なところだ。
やってらんないよなぁ、ヨザックは話がまとまったらしいユーリとコンラートを見ておもった。

来た時と同じように、コンラートは扉を開けて、ユーリは当然のように部屋を出て行った。
振り返ったコンラートが口だけを動かす。
(やすみがあるとおもうなよ)
それはそれは、すがすがしい笑顔だった。

「弟さんの教育間違ったんじゃないですかー・・」
ヨザックの嘆きに、グウェンダルは黙り込む。
上司は相変わらず眉間に皺を刻んだまま、ぽつりと私の責任じゃない、とぼやいた。



なんだこれ。

written by 雨梓[physis] 2007