いつも笑顔で
最遊記外伝



これは悟空が三蔵と出会う25年程前のある夜の出来事―――











ふっと意識が浮上するのを感じて悟空は目を開けた。真っ先に目に飛び込んできたのは見慣れた岩の天井。ずっと長い間、それこそ気付いた時からこの岩牢にいて、毎日眺めているものだから岩の模様の細部まで覚えてしまっている。そんな代わり栄えのしない天井だったが、今は様子が違っていた。
(ぼやけてて良く見えない…)
まるで水の中にいるみたいだった。全体が灰色がかっているのは分かるが、本来見えるはずの岩の凹凸がハッキリしない。不思議に思って目を擦ると、手に濡れた感触が伝わった。
「え…俺、泣いてる…?」
どうやら濡れた感触の正体は、自分が無意識の内に流した涙のようだった。しかも頬にも伝わっていることから結構な量の涙を流したのだろう。そう言えば何処となく目蓋が重いような気がする。…自分は泣く程の悲しい夢でも見たのだろうか?
そこまで考えて、悟空は目線を岩牢の入り口へと転じた。朝にしては薄暗い牢内を疑問に思い、外の様子を確認する為に――。

「―――っつ!?」

外を見て、何故自分が涙を流したのか分かった気がした。


(満月だ……)


丁度悟空が横たわっている場所からは、煌々と光り輝く巨大な満月が見えたのである。そしてその月に照らされて悟空の全身は蒼白い光に包まれていた。

ずっと今までそうだったのだ。満月が綺麗な夜は決まって涙が溢れてくる。それは起きている時だったり、今日のように寝ている時だったり。
何故そうなるのかは分からない。だけどきっと記憶にはない思い出が関係しているんだと思う。だって、泣いた日には、心の中のある部分がポッカリと抜け落ちたような空虚な気持ちになるから。
今の自分には殆ど思い出といった物がない。唯一あるのは“悟空”という名前だけ。これは自分で付けたのではなく誰かが付けてくれた。その誰かは分からない。だけどとっても大切で絶対に失いたくない人だったように思う。でもその人と過ごしたという思い出がない。気持ちだけが残って肝心のその人の姿、声といったものが全く思い出せない。
―――正直もどかしい。とても大切なことなのに忘れている自分が。


(だから満月の夜は好きじゃない…)

胸の辺りがギュッと締め付けられるように苦しいから。…けれども満月自体は嫌いになれない自分がいる。見ていると何故か心が安らいでいくから。

目が完全に冴えてしまったので、悟空は起き上がって岩牢の入り口近くまで寄って行った。何本も並んでいる石の柱の2つを掴みその隙間から満月を見上げる。空は雲1つなく、星も満月の光によってその輝きを遮られている所為で見えない。
じーっと満月だけを見つめる。そうして見つめていると何かが吸い込まれてしまいそうな気がしてくる。

そのまま1時間程経った頃だった。
満月を横切るように光が3つ奔るのを見た気がした。





『 悟 空 』






(…え?)
頭の中に声が響くのと同時に次々と知らない映像が過ぎっていく。
大きな太陽。舞い散る桜の花弁。見たことの無い、けれど何処か懐かしい場所。大勢の人々。その中にいる背の高い3人の男性。
1人は眼鏡を掛け、いつも口元に微笑を浮かべていた男。
1人は短髪でいつも酒と煙草の匂いがしていた男。
そして最後の1人は――この満月みたいな神々しいまでの金色の髪でいつも不機嫌そうにしていた男。

(天ちゃん、ケン兄ちゃん、金蝉っ!)

何故今まで忘れていたのだろう。3人ともとっても大切な人達だったのに。大好きだったのに。それに“悟空”と名前を付けて呼んでくれたのも彼らだったのに。
彼らの元に居た頃は、色んな事があった。親友と呼べる存在ができたり、探検したり、木登りをしたり、本を読んだり、金蝉と花畑に行ったり、天蓬にあやとりを教えてもらったり、捲簾のとっておきの場所を教えてもらったり――。

楽しかった。

面白かった。

ワクワクした。

目にする物全てが目新しかった。

居心地が良かった。

でも、最後は哀しかった―――


(…そうだ、あの時に)

そこまで思い出してふっと視界が暗くなった。いつの間にか俯いていた頭を上げると、何処からともなく流れてきた雲が月を覆い隠そうとしていた。
それと共に今まで自分の中に溢れていた記憶が、消えていくのを感じる。



  ・・いや






      や だ !

  




          い や だ !









              嫌  だ  !
 

















             消  さ  な  い  で































           この記憶はとっても大切なものだから!







              たとえどれ程悲しくても






              失いたくない記憶だから



































どれ程願っても次々と記憶が消えてゆく。
もう、顔も思い出せなくなってきた。

瞳からは次から次へと涙が溢れ、頬を伝って床に染みを作っていく。でもそんなのは如何でもいい。それよりも消えていく記憶をどうにか繋ぎとめておきたかった。

「っつ、何で?…消えるなよ!‥消えるなってば!…だれ‥か。‥‥誰かどうにかしてくれ―――!」

叫んだ瞬間、雲の切れ間から満月が覗き光が降り注ぐ。その光が悟空の目の前で3人の人形を作り出した。


『泣くなよ、悟空。俺はお前の泣き顔には弱いんだ』


「ケ‥ン兄ちゃん?」


『そうですよ。それに僕たちは例え記憶が無くなってもずっと悟空の傍にいますから』


「天ちゃん‥」


『あの時約束しただろうが。それに俺の方がお前の手を離せないんだよ』


「金蝉っ!」


『だから悟空、笑え。俺はお前の笑顔が好きなんだ』

『僕たちにその太陽のような笑みを見せてください』

『いつか必ず俺たちが迎えに行ってやる。それまでの少しの辛抱だ』


「‥うん。分かった!俺笑ってるよ。だからいつか迎えに来てくれよな!約束だからな」


『『『 ああ(はい)』』』



言い終えるとまた月が隠れてしまい、金蝉たちは消えてしまった。

悟空も泣き疲れてしまいその場で眠ってしまった。口元に笑みを浮かべて―――









                どこにも行かない
 


     約束しただろ?あの時




    独りになんてしねぇよ



   俺達はお前と一緒にいる・・・ずっと




     そんな泣きそうな顔すんなって



   お前には笑顔が一番似合うんだからよ







    だから…笑ってよ












    俺 達 の 太 陽 ―――