ベストフレンド?
涼宮ハルヒの憂鬱 -- 古泉×キョン(獣化)

俺が犬小屋から頭だけ出して空を見上げると、家の壁と庭の木の間に、空とは違う青いものと黄色いものが見えた。
ちょこちょこと動いているそれは、間違いなく俺の知人ならぬ知鳥の長門と朝比奈さんなのだろう。
俺が犬小屋から出ると、長門と朝比奈さんも上から下りてきて、俺の側に落ち着いた。
「…おはよう」
青い色をしたセキセイインコである長門がその色に似た淡々としていながら鮮やかな声を響かせ、朝比奈さんも、
「おはようございます、キョンくん」
と暖かな黄色をした羽とよく似た穏やかな声を聞かせてくれた。
「おはよう、長門。おはようございます、朝比奈さん」
俺はそう返してから、俺のえさがてんこ盛りにされているえさ皿を見て言った。
「長門、先に食べててよかったんだぞ」
「……あなたのものを私たちが先に食べるのはいけないこと」
「いや、だから気にしないって言ってるだろ」
「……それでも」
「……そうかい」
だからと言って食事を取っているところをじーっと見られているというのもいささかくすぐったいものなんだが。
毎日同じようなやりとりを繰り返しても聞いてくれないあたり、長門も朝比奈さんも随分と頑固らしい。
それにしても、どこの誰だ。
鳥頭なんて失礼極まりないことを言った奴は。
長門も朝比奈さんも非常に義理堅く、三歩歩いて忘れるどころか俺すら覚えていないようなことも覚えていて、ちゃんと恩返しに来てくれる。
特に長門は、聞けば俺がこれまでに何度えさを分けてやったか、なんてことも正確に覚えているに違いない。
そんなわけで、俺は今日も長門と朝比奈さんに見守られながら朝食を終えた。
というか、ハルヒ――俺の飼い主の娘で、俺の世話を一応担当してくれているらしい――、えさ皿にえさをてんこ盛りにするなとお父さんとお母さんに言われてなかったか?
いつになったら学習してくれるんだ。
嘆かわしいような気持ちになりながらえさ皿にまだ半分くらいはあるえさを眺める。
ハルヒももうそろそろちゃんと分かってくれてもいいと思うんだがな。
それとも、人間という奴は5年以上生きていてもまだまだ子供だというから、どうやら十歳程度らしハルヒも、いまだに子供だってことなんだろうか。
うぅむ、と考え込んでいると、
「キョンくん、頬っぺたにえさがついたままですよ」
と朝比奈さんに指摘され、それをちょん、とくちばしで取られた。
「あ、ありがとうございます」
若干恥ずかしいですが、と俺が言うと、朝比奈さんは慌てたように羽をばたつかせ、
「あ、や、やだ、あたしったら、つい…」
いえいえ、嬉しいですからどうぞお気になさらず。
というか、朝比奈さんは本当に見ているだけで楽しい。
それを言うなら長門もなのだが、それは少しばかり意味が違う。
長門を見ていて楽しいのは、特に、長門が食事をする時と猫をからかっている時だからな。
今も、長門はその小さな体のどこに収めるんだという勢いでえさを食べている。
きつつきだってこうは木を叩けまい、というスピードだ。
それでも小柄で身軽なんだから、不思議なことこの上ない。
朝比奈さんは可愛らしい体と言動に似合う、ちみちみとした食べ方で、非常に微笑ましい。
毎朝のこの至福の時を考えると、ハルヒにえさを山盛りにされるのも悪くはないかもしれない、と思わないでもないのだ。
しかしながら、たとえ長門と朝比奈さんが手伝ってくれても、小さな小鳥に過ぎない彼女らだけではいまだにかなりの量があるえさの山を切り崩すことは出来ない。
よって、俺のところに訪れる客も、彼女らだけではないのだ。
もっとも、俺も一応犬――俺みたいな怠惰な犬でも、名目上は番犬扱いらしいし――である以上、自分の縄張りにほかの犬を入れるわけにはいかない。
なので、やってくるのはもっぱら猫とかネズミとか狸とかの俺よりも小さな小動物である。
ネズミは家の中によっぽどうまいものでもあるのか滅多に来ないし、狸もどうやら本来食するべき果物やなんかの方がドッグフードよりは好ましいらしく、たまにしか来ない。
だが、猫はドッグフードでも構わない上、比較的飢えているらしく、そこそこの頻度でやってくる。
それも数がいるから、入れ代わり立ち代わりといった状況になることもしばしばだ。
それに、猫というものはどうやら他の動物との社交性に関してはいささか慎重なタチらしい。
名前のある奴も少ないが、あっても名乗らない奴の方が圧倒的に多い。
挨拶も、「もらうよ」とか一言あればいい方で、場合によっては俺がよそ見をしている間にぱくんと食っていく、という奴もいる。
懐けば多少は面白いだろうに、なかなかそうはならないのが猫というものであるらしい。
もっとも俺も、猫とまともに語らったことなどないので、そう断言してはまずいのかもしれないが。
とりあえず、当面気になっているのは、この前から度々やってくる、明るい毛色をした猫である。
毛艶のよさといい、どこか優雅な足運びといい、生粋の野良とは思えないのだが、他の猫に聞いてもどこの誰だという話が全く聞けない。
長門と朝比奈さんも、どこかで寝ているのを見はしても、誰かに飼われている様子はないと言っていた。
おそらく、もともとどこか遠方で飼われていたかどうかしたのが、捨てられたんだろう。
逃げて来たにしてはそいつは覇気に欠けていた。
野良暮らしに馴染もうとしてはいるんだが、育ちの良さが災いして失敗しているような、他の仲間との付き合い方を図りかねているような様子があった。
だから俺も気になってしまうんだろう。
何にせよ、朝はハルヒが小学校に行ってから目を覚まし、長門や朝比奈さん、その他の連中と話したりしながらハルヒの帰りを待ち、それから散歩に連れてってもらい、家に帰ってえさを食う、という俺の生活は非常に規則正しく、かつ穏やかなものと言っていいだろう。
この穏やかな日常が、俺はそれなりに好きなのだ。

その日、昼過ぎに転寝していた俺が薄く目を開くと、例の猫が庭にいた。
いつもなら澄ましているようにしか見えない目を剣呑に細め、庭の草をつついて遊んでいる朝比奈さんを狙っている。
「おい」
と俺が声を掛けると、そいつはびくっとしてしっぽを膨らませながら俺を見た。
「悪いが、俺の縄張り内で長門と朝比奈さんを襲うのはやめてくれ」
「……」
そいつは答えない。
だがまあ、俺の声に驚いた朝比奈さんはすでに上空に逃げ出していたから、とりあえずは大丈夫だろう。
「腹が減ってるんだったら、俺のえさ皿にまだ残ってるだろ」
「…別に、お腹が空いてるわけじゃありません」
初めて聞いたそいつの声は、やけに綺麗な響きだった。
他の野良猫とかだったら、お高くとまってる、とでも表現しそうな話し方が妙にしっくり来る。
「じゃあなんだ?」
「……あなたには関係ないでしょう」
「そうか? お前が俺の大切な友達である朝比奈さんを傷つけようとしたというだけで、俺も十分関係者だと思うんだがな」
「気に食わないなら吠え立てるかどうかして追い出せばいいでしょう。僕の体格を見ればあなたとなんて勝負にならないことは目に見えているんですし」
「そういうのは好きじゃねぇんだよ」
そう言いながら俺はそいつの様子が少しばかりいつもと違っていることに気がついた。
いつにも増して薄汚れて、大分薄くはなっているが血の匂いがする。
ケンカでもしたんだろうか。
……腹が減ってるわけじゃないと言ったということは、つまりそういうことか。
「狩りの練習かケンカの練習かは知らんが、それなら朝比奈さんよりも長門に頼んだ方がいいと思うぞ」
俺が言うと、そいつは驚いたように目を見開いた。
どうやら当たったらしい、と俺はほくそ笑みながら、
「長門は凄いぞ。ただの小さなセキセイインコのはずなんだが、この前は近所のボス猫を返り討ちにしてたし、カラスなんかにも引けを取らないからな」
「返り討ち…ですか?」
あれは実に見事だった。
自分を狙ってきたボス猫に対して、ひらりひらりと避けて翻弄した挙句、頭にきて突撃を仕掛けてきたボス猫をコンクリの塀に激突させたのだ。
思わず長門に賞賛の言葉を送ったら、
「…源九郎義経の幼少時のエピソードを参考にした」
と分かるような分からんようなことを言われたのだが、あれは一体どういう意味なんだろうか。
いまだに分からん。
「長門さんは博識なんですね」
小さく、そいつが笑ったような気配がしてそちらを見たが、そいつの表情は別に変化していなかった。
驚くような戸惑うようなそれのままだ。
「お前、意味が分かるのか?」
「うろ覚えですが、牛若丸、と言えばあなたも分かるのではありませんか?」
「……分からん」
「…そうですか」
そこ、呆れるな。
正直言って、お前と長門の方がおかしいんだろうからな。
俺はあくまでもただの飼い犬であって、人間の名前をいくら言われたところでよく分からん。
分かるのはそれがうちの家族の誰の名前でもないということくらいのもんだ。
「牛若丸、源九郎義経という人物は、歴史上の有名な武将です。その幼少期のエピソードとされるものに、自分より大きな男相手にその攻撃をかわしてそれを翻弄した上、勝利するという話があるんです」
「なるほど。……お前、詳しいな」
俺が言うと、そいつは困ったように、
「そうなんでしょうか。これで普通だと思っていたんですけど」
断言してやる。
お前は全然普通じゃない。
「……それを言うなら、あなただって普通ではないと思いますよ」
「なんでだよ」
「普通の犬は鳥や猫をこんな風に近づけたり、えさを分け与えたりなんてしないでしょう」
「知らん」
他はどうあれ、俺はそうしたいんだから放っとけ。
「では、僕のことも、放っておいてください」
そう言ってそいつは俺に背を向けて、庭から出て行った。

数日後、長門から、
「彼はなかなか見込みがある」
と言われた時、誰のことだと聞き返すまでもなく、そいつのことだと分かった。
長門にしては珍しい褒め様に、俺は思わず目を細めて、
「そうか。そりゃ何よりだ」
と返すと、
「いつかカラスも仕留められるかも」
「……それは…」
「最終目標は、この付近を全て掌中にすること。彼の方が今のボスよりもリーダーとして相応しい」
「……ま、まあ、ほどほどに頑張れよ」
長門がそんな風に積極的なのはいいんだが、あいつの方は大丈夫なんだろうか、と少なからず心配になった俺の考えは、別に杞憂でもなんでもなかったらしい。
屋根の上で長門の訓練を受けていたそいつは、木に飛び移り、それから地面にまで下りてくると、そのまま地面に突っ伏した。
「…お疲れさん」
また機嫌を損ねるかもしれない、と思いつつそう声を掛けたのだが、返事はない。
どうやら疲れて眠っちまったらしい。
「長門、もう少し手加減してやったらどうだ?」
犬小屋の上に止まった長門は平然と、
「……必要な限り手加減はしている。私は彼の身体能力及び意欲に見合った訓練をしただけ」
長門が言うならそうなんだろうが、結果としてこんなところで寝ちまうってのはよっぽどだろう。
もう少し、余裕を与えてやってくれ。
「……分かった」
「やれやれ」
とため息を吐いた俺は、そいつの首の後ろを慎重にくわえた。
体重も軽いし、どうやらまだ成猫ですらないらしいそいつは、特に苦もなく、犬小屋の中に運び込むことが出来た。
なんで俺がわざわざそんなことをしたかと言うと、理由は簡単だ。
もうそろそろ雨が降り始める。
さっきの場所にいたんじゃ濡れちまうし、そうじゃなくても寝入ったばかりで起こされる辛さはよく分かるからな。
だから俺は犬小屋の中に置いてあった毛布を引っ張って掛けてやり、ついでだからと目を閉じた。
少しして、聞こえ始めた雨の音を聞きながら、ハルヒが帰ってくるまでの間だけでも穏やかに眠れることを祈った。
「……っ、い、一体何事ですか!?」
という悲鳴にも似た叫び声で起こされ、俺は非常に気分が悪かった。
元々、犬だというのに寝起きが悪い俺だ。
思わず不機嫌に唸りながら、
「何がだ」
と返しちまったせいで、そいつはびくっと身を竦ませることになった。
…すまん。
「どうして、僕があなたと一緒に寝てるんですか…」
「俺が運んだから」
「なんで、そんな……」
「…それは外を見てから言え」
犬小屋の外は今も雨が降っている。
「お前も濡れたくはないだろ」
「…それは……そうですけど…」
困惑しているのは当然だろう。
俺に運び込まれた、ということも驚きなんだろうな。
こいつは割といつも全身を緊張させていて、隙を作らないようにしていたから、俺としては大人しく運べたことも驚きだったのだ。
それほど長門の訓練が過酷だったのだろうが、それにしても、と。
「……本当に、」
とそいつはため息混じりに呟いた。
「なんなんですか、あなたは」
「……ただのお節介だ」
「全くその通りですね」
そう言いながらも、そいつは笑っていた。
苦いものの混ざった笑みではあるが、そう悪い気分にもならない。
少しは懐いてくれたってことかね、と思いながら、
「なあお前、名前は?」
「…そんなの、聞いてどうするんです?」
「呼ぶ。あと、長門とお前の話する時に困ってんだよ。あいつとか彼とか言うしかなくてな」
「……一樹です」
「ん?」
「僕の名前ですよ」
「ああ、なるほど、分かった。……一樹だな」
「はい」
「俺はキョンだ」
「知ってます」
そんな風にして、雨が上がるまで話し込んだ。
一樹は、長門ほどではないにしてもかなり博識で、若干長すぎる感のある説明も、妙に癖のある話し方も、全く気にならないくらい、話し相手として楽しい相手だった。
「また来いよ」
別れ際にそう声を掛けてやると、
「……そうですね、また」
と返してくれるようになっただけ、親しくなれたってことかね。
そんなことを考えていると、
「たっだいまー!」
とハルヒの声が聞こえてきた。
玄関先にランドセルを放り出す音がする。
「ただいま、キョン!」
笑顔で俺に駆け寄ってきたハルヒが、いきなり不思議そうな顔をした。
なんだそのリアクションは。
「…あんた、あたしがいない間に何か楽しい事でもあったの? 凄く嬉しそうじゃない」
……俺は思わず黙り込み、ハルヒから力いっぱい目をそらした。
そんな、一樹が懐いたからってそんなに嬉しがってなんか……。
そらした視線の先にあるものを見つけ、自分の頭を犬小屋の壁にでも思いっきりぶつけてやりたくなった。

――俺のしっぽよ、頼むからそう動くな、止まれ。