明朝に燕は飛び立つ / 龍が如く2 郷田龍司
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目の前をちらつく蛾がうざったいように、ジングォン派など価値を与えるにも相応しくない存在だった。
赤い記憶は強烈だった。
腕の中でちらつく赤の記憶は時折酷く苛んだ。そして、危険から守るように回された腕の温かさと怯えた様子で呟くその姿は、時を経るごとに傷つけぬようにと記憶の奥深いところにしまわれていった。
天涯孤独の身は、唯一孤高の存在なのだと錯覚することが出来た。誰かを信じるか信じないかなど問題ではない。
郷田仁が血の繋がった父親ではないと知った瞬間、不思議と悲しみは湧いてこなかった。そんな気がしていた。記憶にある母親の匂いとは異質の匂い、交わらない匂い――だが、嫌悪感もなかった。
郷田仁の独特の雰囲気に飲まれたのかもしれない。郷田仁は、ぎらついている者どもを掌中に収めるだけあって、気を抜けば飲み込まれてしまうような雰囲気があった。子供ながらにそれを時折恐ろしく感じていた。
母親の記憶があるのに、母親がいないことで元より家族というものから己を別物と考えていたせいかもしれない。郷田仁が肉親ではないと知った瞬間、ただ超えてやる、とそう思った。吹っ切れたといっても構わない。
この偉大な人間の腕でただ守られるだけの人間ではない、と認めさせてやりたいと思った。
その男はまだ揺りかごにいたのだと、不思議な感覚で逮捕されるその様を向かいのビルから眺めた。
堂島組組長・堂島宗兵が殺されたという連絡はすぐに伝わった。近江連合会長の息子という立場といえど気を抜けばとって食われる世界だ、情報網は怠らずに張っている。堂島組は、関東一の勢力を誇る東城会の中でも特に頭一つ抜けた勢力だった。二十数年前までは、それなりのマークはされていたものの、強大勢力に一目置かれるまでの存在にまではなっていなかった。
それが今じゃ嶋野組と風間組を輩出し、東城会では彼らなしでは立ち行かないまでの組織力を持っている。
いわば堂島組組長とは彼らの親玉でもあり、東城会会長とならないことが不思議なくらい力を持つ男だった。全国でも堂島組を知らない暴力団など無いに等しい。堂島宗兵が死んだことで東城会は他の勢力に呑まれるのでは、と期待したところも少なくない。
どうやら堂島宗兵を殺したのは、堂島の龍と異名を持つ桐生という男らしい。調べさせたところによると宗兵の息子は、桐生とやらを慕っており、父親が死んだこと、その父親を殺したのが尊敬していた者であったことにジレンマを起こして自棄になっているらしい。その息子は、安い挑発に乗ってありえないことに―それほどの実力も無いくせに、という意味で―単身大阪にやってきた。
最強の名を欲しいままにしたくせに子育てはしなかったのかもしれない。とんだ甘ちゃんだ。直接手を下すまでも無かった。
同い年という事を後から知ったがそれすら失笑もので。
その男の事についてはすぐに忘れた。大した役にも立たなかった。興味を覚えたのは堂島の龍だった。
笑う事を止められなかった。
ひどくおかしい、ただ口の中に切れた傷元から血が染み込んでくる事だけが許せなかった。誇りに思え――ドスという凶器がありながら唇を引き裂く事しか出来ないような相手と向かい合えたことを。
血が滾る、間違いなく目の前の男よりもドスよりも素早く的確に動ける身体であることを確信した。
周りの構成員が一瞬止めた手を再度奮う。野獣のような目に煽られたか――そうだ、こうでなければいけない。
ヤクザってのは、単純な力関係だけでのし上がるべきだ。なあ、そうだろう?
郷龍会を束ねるようになってからどのくらい経った頃だったか、ジングォン派と名乗る組織から声をかけられた。復讐ばかりを唱える男達は正直面倒ではあったが、手を組めばそれなりの利点があった。東城会を引きずり降ろすという利点。それに、郷龍会を動かさずに裏で動く機関があるのは有り難い。真正面からぶつかるやり方でないことには、吐き気がしたが目的を果たすには我慢しなければならないこともあるだろう。
迷わず手を組んだ。
そのひ弱な子供を見たとき、一瞬二人の女の顔がよぎった。腕の回る限り抱きしめて何か言葉を呟く女と、ヤクザ狩りの女と称される婦警。
不安で堪らないくせに、泣きもせず真っ直ぐに他人を見詰める――その強さが似ていた。
よくこんなこすい真似ができるものだと嫌気が差すが、これだって身内だ、身内の恥は身内が取り除かなければならない。それに、余計な手出しをされては堪らなかった。
長い夢を見ていた。
死ぬのか、と龍司はぼんやりと思った。己の一生が目の前を足早に駆け抜けていって、残されたのはたった一人の肉親だった。
辛い思いをさせた。警官とヤクザでなければ出会わなかった――そう分かっていても。
死ぬのか、だがこんな終わり方だっていいだろう。
母親のように幼い子を残して逝くわけでもない、父親のように裏切られたと勘違いして死ぬわけでもない、郷田仁のように部下に裏切られての無念の死でもない――唯一の肉親に会え、しかも人生でたった二人認めたうちの一人の男がその妹を守るだろうと確信すら持っている。
ちらりと爆弾の事が過ぎったが、何故だか気にはならなかった。
いい人生やったやないか――最期にこんな嬉しい思いをさせてもらえたんじゃ。文句のつけようのない最高の終わり方じゃ。
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